明治政府は樺太開拓に北海道拓殖銀行を起用した。左の写真は今はサハリン州立美術館の「北海道拓殖銀行豊原支店」と、右の「大泊支店」。いずれも頑丈な石造である。大泊支店は現在利用されていない。
「樺太夢幻」005
白浦という集落があった。
樺太の最も狭い(南北に短い)部分にこの集落はあった。
そして白浦はオホーツク海に面していた。ここから西へ行くと久春内という日本海側に面した街に出るバスが通っていた。そんな白浦には今も翩翻と白浦神社の鳥居が山の中腹に残っている。
「樺太夢幻」004
「樺太夢幻」003
樺太庁博物館は1937年8月1日に樺太の豊原で開設された博物館である。1896年にアレクサンドロフスク・サハリンスキーで創立した旧博物館の所蔵資料を引き継いでいて、前頁の国境境界標や樺太の動植物、鉱物、民俗、考古学などの資料が展示・収蔵されている。
無論建物も樺太時代のものである。
新連載「樺太夢幻」002
この日露戦争の結果、全島がロシア領だったサハリンは、樺太と名を変えて、島の南半分、つまり、ほぼ島の真ん中を通る北緯50度線を国境として、日本が統治した。
写真の国境境界標はユジノサハリンスクにあるサハリン州立博物館に収納されている。
当たり前のことだが、裏側はソ連(ロシア)側となる。
暑中お見舞い申し上げます。
暑い毎日が続いています。
まだまだこの暑さが続くようです。
おまけに地震や豪雨・・・。いったい地球はどうなっているのでしょうね。ご自愛ください。
- 写真は冬の摩周湖。せめて気分だけでも・・。
新連載「樺太夢幻」001
我が国は大国ロシアと一戦を交えた。所謂日露戦争である。戦いは1904年2月8日から1905年9月5日およそ一年半にわたった。主な戦場は 清国満州南部、朝鮮半島、日本海そして樺太。2個旅団編成の樺太遠征軍は、日本海海戦後新編制された連合艦隊の第3・第4艦隊からなる北遣艦隊に護送され、7月7日、樺太南部の亜庭湾岸に侵攻(後の大泊郡深海村女麗-メレイに上陸)した。
そして日本が勝利したことはその後の我が国の歴史に多大の影響を与えた。
新連載「樺太夢幻」のお知らせ
次週から「樺太夢幻」を連載します!写真は日露戦争当時の日本軍上陸地記念塔・・・。
ご期待ください。
光と影の彩なす一瞬《生月島に見るカクレキリシタン》006
写真は正月の行事。近所に住む「カクレキリシタン」たちが集まってオラショを唱える。
オラショとは、日本のキリシタン用語で「祈り」の意。ラテン語のオラシオ (oratio、祈祷文) に由来する。オラショは、パライソ(天国)やインフェルノ(地獄)の教えが、カクレキリシタンによって300年間あまり、口伝えに伝承されたものである。カクレキリシタンにとって、オラショは一種の呪文のようなものであり、意味内容を理解した上で唱えられているものとは言えず、「基本的には一つの行として、暗記して唱えること自体が重要なことであって、意味そのものを理解することにはほとんど関心がない」という。(完)