LAPIZ STORY《出雲の神々そして鬼が行く道002》片山通夫

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【LapizOnline】神在月
今一つスケールの大きい話がある。出雲の国には「神在月」と言う月がある。出雲以外の国では「神無月」と呼ぶ。旧暦10月。全国の八百万(やおよろず)の神々が出雲の国に集まる月を指す。・・・と言うことは、10月生まれで大阪(出雲ではない)生まれのボクなんぞ、神様が留守の間に生まれたと言うことだ。神無月生まれのボクは神様のいない月の子供だったわけである。特に信心深いわけではないが、神様の留守中に生まれるとなると、いささか微妙な気分になる。しかしよくしたもので、「留守神」と呼ばれる留守番の神々が全国各地におられたという。簡単に説明すると、恵比寿(えびす)神、金毘羅(こんぴら)神、家の竈(かまど)や土地に根づいた「荒神(こうじん/あらがみ)」たちが留守番してくれているようだ。そういえばボクの家にも竈あり、薪で煮炊きしていた。大阪では竈のことを「へっつい」さんと呼んでいた。だから10月の神無月でもよく考えてみれば大丈夫なわけだった。竈の神様がしっかりと留守神として守ってくれていた。・・・はずである。 “LAPIZ STORY《出雲の神々そして鬼が行く道002》片山通夫” の続きを読む

LAPIZ STORY《出雲の神々そして鬼が行く道 001》片山通夫

イザナミとイザナギ

【LapizOnline】最初にお断りしておきたい。ここに書いた歴史書ともいえないSTORYは単なる筆者の妄想に近い話である。

はじめに

ボクは2022年秋に一冊の写真集を出版した。「Once Upon a Time」と名付けた。そう1960年代から撮り始めた写真でボクの半生の集大成だ。大きなきっかけはあの新型コロナのせいである。2019年末からの新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行が我が国で始まったと記憶する。とにかく大騒ぎだったことはよく知られている。そんな中、写真は「現場へ行かなければ撮れない」ものだと固く信じていて困った。いろいろ考えてボクは「段ボール箱4個分のかつて撮ったフィルム」を整理することにした。カビで黒い斑点いっぱいのネガなどを呆然としながら2か月ほどは眺めただけだった。そのうちコロナも収まるだろうと甘い考えで…。しかしご存じのようにそうはならなかった。友人たちと飲みにも行けなかった。仕方がないので、フィルムを整理することにした。先に述べたように半世紀程に渡る期間のフィルムである。ほとんどを捨てたがやはりかなりの数が残った。それからが大変だった。山とあるフィルムを1本1本ライトボックスの上に広げてざっと見る。そして「これは!」と感じたフィルムを別の段ボール箱に放り込む。毎日約2か月程だったか同じことの繰り返しをした。そのあとの仕事が大変だった。ボクのようにずぼらな人間はこの後地獄を見た。カビを落とすという作業だ。ところが簡単には落ちないもので、エチールアルコールのしみ込ませたガーゼでフィルムを擦ったけれど、落ちたカビはわずかだった。アルコールはボクを酔わせた。ラりったのだった。この時点でアルコールで溶かせるという案は断念し、まずデジタル化した。つまり作品となる画像をまず選んで、フィルムスキャナーで読み取ったわけである。その後もう一度取捨選択した画像を写真加工ソフトで修正を加えた。
この時点でほぼ一年かかったのではないかと記憶する。
しかし世間ではまだまだコロナウイルスが暴れまくっていた。電車に乗るのも「危険」な常態だったので、事務所を引き上げることにし、自宅で作業をすすめることにした。
そうしてようやく写真集”Once Upon a Time”にまとめる仕事をデザイナーにお願いでき刷り上がった。
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神々の出雲

さて貧乏性のボクはやはりカメラをポケットにウロウロしている。サハリンへは「ロシアがウクライナに侵攻してから」サハリンへは行けなくなった。そして昔から気になっていた丹波の国に通っている。具体的に言うと出雲(島根県)丹波篠山(兵庫県)、福知山(京都府)の辺りだ。

ボクは出雲の国と丹波の国になぜか惹かれてきた。今はもうない「急行三瓶(さんべ)」と言う列車が夜の大阪駅を出発するのを良く眺めていた。三瓶は大阪~浜田・大社という区間設定で1961年10月から走っていたらしい。勿論三瓶は出雲の国の三瓶山から名付けられたものだった。そしてこの山は山口県にある阿武火山群(あぶかざんぐん)とともに中国地方に存在する二つの活火山のひとつである。
「急行三瓶」は大阪を出ると尼崎から福知山線に入り篠山口という駅に着く。この篠山口からバスに乗り換えて篠山に向かうと城下町篠山である。またこの町はデカンショ節で名高い。寄り道はともかく篠山口を出た急行三瓶は福知山で京都から延びる山陰線に合流し、鳥取、米子、松江を経て出雲に到着したらしい。「らしい」と言うのは、残念ながらボクはこの列車に乗ったことがないからだ。

三瓶山のことを書く。出雲には神代の時代から出雲大社があり、この山も勿論神話に出てくる。何しろ神様の時代の話だからスケールは大きい。少し引用してみる。

昔々、出雲の創造神、八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)は出雲の国を見渡して「この国は、細長い布のように小さい国だ。どこかの国を縫いつけて大きくしよう」とお思いになりました。(なんて乱暴な話だ!) そこで、どこかに余分な土地はないかと海の向こうを眺めると、新羅(しらぎ)という国に余った土地がありました。ミコトは、幅の広い大きな鋤(すき)を使い、大きな魚を突き刺すように、ぐさりと土地に打ち込み、その魚の身を裂いて切り分けるように土地を掘り起こし、切り離しました。
そして三つ編みにした丈夫な綱をかけて、「国来、国来(くにこ、くにこ)」と言いながら力一杯引っ張ると、その土地は川船がそろりそろりと動くようにゆっくりと動いてきて出雲の国にくっつきました。こうして合わさった国は、杵築(きづき)のみさき【出雲市小津町から日御碕まで】になりました。その時、引っ張った綱をかけた杭が佐比売山【さひめやま、現在の三瓶山(さんべさん)で、その綱は薗の長浜になりました。

ざっとこのように三瓶山は他所から土地を引っ張った綱や網をかける杭だったという話が載っている。ヤマトの神話に比べてスケールが大きい。そしてこれらの神話に出てくる舞台は、現在の地形や地名と合致する。この話の舞台となる出雲地方を地図で確認すると、宍道湖・中海の南側に出雲本土があり、北側には東西に細長い島根半島があり、この島根半島が四つの大きな地域に分かれていることに気づく。つまり必ずしも嘘八百を並べたのが神話だとは言えないのではないかとボクは思うのだ。こうして他国から出雲に土地を引っ張ってこの国の面積を大きくすることに成功した神様は酒を飲み、歌いそして舞ったことだろう。およそ我が国の神々はアマテラスが天の岩屋に隠れた時代から酒と歌と踊りが必須だったと記憶する。この伝統は高天原から当然のごとく葦原中国(あしはらのなかつくに)に、そして我らが出雲にも伝わったはずである。「お神酒上らぬ神はない」とばかりに、我が国では酒や歌、そして舞は「宴(うたげ)」について回る。これらの話は出雲風土記や古事記そして日本書記などに書かれている。

出雲の国は日本海に面した国だ。山陰と呼ばれているように、山陽の岡山や広島とは違って冬は厳しい気候である。しかしながら朝鮮半島や7世紀末に中国東北部を中心に建国されたツングース系民族の国、渤海(渤海)に海を隔てて近いがゆえに海外から知識や思想とともに技術をとり入れる度量も欲もあっただろう。そのあたりが瀬戸内海に面して国内の力関係に目を向けた国々とは違った考え方や技術が出雲にはあったのではないか。奥出雲に今も伝わる「たたら」という製鉄技術もそうであろう。
このことは「ツングース文化と日本文化との比較研究」という論文に詳しい。
file:///C:/Users/mk/Downloads/SDR60005.pdf

この頃続く

現代時評《親馬鹿ちゃんりん蕎麦屋の風鈴》片山通夫

【609studio】6月も半ばを過ぎて全国的に真夏日を迎えている。暑い日には筆者は蕎麦よりもうどんを好む関西人だが、落語に出てくる「時そば」を上方落語で聞いたことがある。「時うどん」と言うのだが、これはどうも頂けない。この場合はやはり蕎麦でないと・・・。
もっとも「時蕎麦」は冬の食べ物だ。 “現代時評《親馬鹿ちゃんりん蕎麦屋の風鈴》片山通夫” の続きを読む

北国街道・木之本にて《江北図書館》片山通夫

【LapizOnline】図書館は知識の源泉と言われ日本はもとより世界中で図書館運動ともいうべき運動が開かれている。図書館は地域住民の希望に沿った書籍の収集・収納が行われ、毎日の新聞や毎月の雑誌の閲覧なども活発に行われている。また読書クラブ的なクラブ活動も地域や時代によっては盛んに行われ、著名な書籍の著者や出版社が参加するところも結構存在する。 “北国街道・木之本にて《江北図書館》片山通夫” の続きを読む

北国街道・木之本にて《奥の細道》片山通夫

 

【LapizOnline】松尾芭蕉の奥の細道と言う有名な作品がある。言うまでもなく、松尾芭蕉は江戸時代前期の俳諧師だ。伊賀国阿拝郡出身。幼名は金作。通称は甚七郎、甚四郎。名は忠右衛門、のち宗房。俳号としては初め宗房を称し、次いで桃青、そして最後には芭蕉と改めた。北村季吟門下。その芭蕉が表したのが奥の細道と言う句集。芭蕉が崇拝する西行の500回忌にあたる1689年(元禄2年)に、門人の河合曾良を伴って江戸を発ち、奥州、北陸道を巡った紀行文である。全行程約2400キロメートル(600里)、日数約150日間で1691年(元禄4年)に江戸に帰った。越後・出雲崎から佐渡を望み、越中・倶利伽羅峠(くりからとうげ)を経て加賀・金沢そして越前・永平寺や敦賀を後に近江の国、木ノ本宿に至った。ついでに言うと、木之本から関ケ原を越えて岐阜・大垣に着き奥の細道の旅は終わった。残念ながらこの旅で芭蕉は敦賀から大垣に直行し、北国街道・木之本宿には泊まらなかった様である。 “北国街道・木之本にて《奥の細道》片山通夫” の続きを読む

北国街道・木之本にて《木之本宿》片山通夫

 

【LapizOnline】大阪から、JR西日本の新快速に乗ることにした。この3月には北陸新幹線が開通したとかで大阪から金沢へ行くのには、戦前シベリアへの航路があった敦賀と言う若狭湾にある港町を通る特急電車サンダーバードが頻繁に走っていた。そしてその特急は湖西線と言う京都・山科から飛鳥時代に遷都された大津京を通る線を走り、近江塩津で米原からくる北陸線と出会う。そして山を越えると敦賀である。3月16日以降新幹線はその敦賀まで来ていて、大阪から来るサンダーバードは敦賀止まりとなった。 “北国街道・木之本にて《木之本宿》片山通夫” の続きを読む

現代時評《少子高齢化、その先には消滅都市か》片山通夫

【609studio】今更ながらだが「少子高齢化」が目立ってきた。「少子化」とは、定義上の数値設定はないものの、出生率が低くなり、人口に対する年少人口の割合が少なくなることで、「高齢化」とは高齢者人口(65歳以上の人々)の割合が7%以上になることを指す。 さらに、高齢化率が14%以上の社会を高齢社会、21%以上を超高齢社会と呼ぶらしい。 “現代時評《少子高齢化、その先には消滅都市か》片山通夫” の続きを読む

神宿る。《岩部八幡神社大イチョウ》片山通夫

【Lapiz Online】香川県の塩江町に鎮座する岩部八幡神社は養老年間の717年から724年もしくは天平年間の
729~749年の創始と言われている。たまたま境内におられた方に「どっちなんでしょうね」と尋ねたら、「そのころ生きてたら記録しておいたのにね」。
もしかして狐か狸かはたまた貉かと思った。彼はにやりと笑うのみだった。 “神宿る。《岩部八幡神社大イチョウ》片山通夫” の続きを読む