ONCE UPON a TIME 外伝・写真特集” サトウキビ刈り #1”片山通夫

刈り取られたサトウキビ・ハバナ近郊

キューバの特産品のひとつに砂糖がある。もう島中がサトウキビ畑。革命後、ソ連にとって「仇敵(仮想)アメリカののど元に突きつけることのできる匕首・キューバ」をとても大事にした。およそ肌の合わない、テンポのあわないキューバ人と良く付き合っているものだと感心する。そんなわけでソ連は国際価格より高い相場でキューバの砂糖を買い取っていた。そんなわけでボクが行った時はキューバは革命後10年で「砂糖増産1000万トン」運動真っ盛り。猫も杓子もサトウキビ刈りに出かけている。職域毎にチームを組んで、交代で。世界中から来た若者も大勢参加していた。

 

ONCE UPON a TIME 外伝 ”革命はマンボのリズムにのって”片山通夫

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当時、ハバナではラジオ放送がとても盛んだった。車もホテルの部屋もラジオからニュース番組専門の放送が流れていた。それは「こちらはアメリカで最初に自由を手に入れたハバナ放送です」で始まる。そのアナウンスはとても誇らしげだった。ニュースはよくわからなかったが、合間に流れる音楽は決して堅苦しい音楽ではなくボクも知っている、所謂ラテンミュージックが主だった。ベサメムーチョ、キサスキサスキサス、グアンタラメラ、そして時には日本の歌なども何度か聞いた覚えがある。「キューバ革命はマンボのリズムに乗って行われた」とも言われるほどキューバ人は音楽好きだ。

ONCE UPON a TIME 外伝 ”おしゃれの準備”片山通夫

参考

キューバに着いて、ほどなくしてボクはキューバの外務省へ出かけた。 居住登録をするために。変な話だがキューバ政府が指定したホテルにいるのにまるでボクが勝手に決めたホテルのような扱いだった。ボクの貧相な英語では間違っていたが、キューバでの身分証明書の発行手続きだった。ここで例の堀田氏の描写を思い出すことになる。
彼は「そうして女の子はオッパイが大きくて、お尻もまた立派で、部屋へ入って来るときには、まずオッパイから入って来て、出て行くときにはお尻がなかば永遠に残っている。……」と書いた。そのまんまのシーンが目の前で繰り広げられた。堀田氏の本に書かれなかったことがある。ボクはその外務省の係官が女性で彼女の髪が所謂カーラーでまかれていたことだ。ボクも決して生真面目な人間ではないがこれには驚いた。

つたない言葉で尋ねた。彼女はこともなげに「あなたのためではない。今日は私の彼と食事に行くのだから」とのたまった。そりゃそうだ。ボクとは初対面だ。しかしこれには感心した。つまり恋人のためには勤務中でもおしゃれの準備をするのだ。そういえば町でもそんな女性をよく見かけた。

ONCE UPON a TIME 外伝 ”剃刀が切れない、経済封鎖のせいだ!”片山通夫

ONCE UPON a TIME 外伝 を・・。

カストロ氏とソ連のフルシチョフ氏

しかしそうも言っておれない事態がボクには見えた。革命後10年。気を付けてみるとまだまだ落ち着かない状況だった。最初に経験したのは歯磨きや剃刀の不足だった。そんなもの何処にでもあると思っていたボクは浅はかだった。確かチェコ製の剃刀は見事にボクを「切られの与三」のように傷だらけにした。歯磨きは手に入らなかった。
半年という長期のキューバ滞在だったので日本大使館に挨拶に行った。その時歯磨きのことや剃刀のことが話題になった。大使館では時折メキシコへ出かけるので買ってきてあげようと言ってくれたので早速お願いした。当座の分として彼の手持ちを譲ってくれた。大使館の人って親切だった。同時にアメリカの経済封鎖を恨んだ。

現代時評《プーチン追い落としはあるのか》片山通夫 (文中敬称略)

最近のロシアにまつわる国際ニュースを読んでいて、明らかに流れが変わってきたような報道に接することが多くなってきた。プーチンを排斥するクーデターなど、プーチン後のロシアのありようへの言及だ。世論は心情的にウクライナに味方して、ロシアの指導者であるプーチンを排斥すればことは治まるという単純で希望的な見方をしているようにも見える。果たしてその見方は正しいのか今のところはなんとも言えないと筆者は考える。たとえば仮に世間でニュースになっているワグネルの創設者・ エフゲニー・プリゴジンがプーチン追い落としの先鋒になりそうだとか、いやロシア正規軍、はたまたチェチェンの某がクーデターを・・・と枚挙にいとまがない。 “現代時評《プーチン追い落としはあるのか》片山通夫 (文中敬称略)” の続きを読む

ONCE UPON a TIME 外伝 ”キューバ、陽気の国#2”片山通夫

フローズン・ダイキリ

先にヘミングウエイがこよなく愛したというフローズン・ダイキリのことを書いた。このカクテルぼ作り方を後々に言葉が少しわかるようになってから、某バーテンダーに教えてもらった。ベースはラム酒。それも彼曰くは”ハバナクラブ”というラム酒。結構日本では高い。15年モノでは一本(700ミリリットル)2万円前後する。そこまで行かなくても良いとは思う。3年モノでは2000円位?。
値段はともかく、そのハバナクラブをベースにする。

●ホワイトラム         40ml
●ホワイトキュラソー      1tsp(ティースプーンの略)
●ライム(又はレモン)ジュース 1tsp
●砂糖(又はガムシロップ)   1tsp
●クラッシュアイス       1カップ
 (グラスに軽く山盛りぐらい。)

ミキサーにクラッシュアイスを入れてラムその他の材料をミキサーで混ぜる。
氷が白くシャーベット状になったら口の広いシャンペングラスに注いで二本に切った
ストローをシャーベットに差し込む。

夏になるとこれがおいしい。
あれ?ボク、何を書いてるんだろう???

お断り:Lapiz online が始まりました。是非こちらもお読みください。
しばしそちらで多忙となりそうです。
本稿はしばらく休載させていただきます。

「持続可能な開発目標」609studio編集部

SDGs (Sustainable Development Goals) への理解と取り組み

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2022年も終わりに近い12月。世間の年末のあわただしさを感じた頃の話。SDGs (Sustainable Development Goals) を考えるにあたり、さて自分に何ができるかと考えた。そう簡単に何かができるわけでもない。人に言うほどのことでもない。いや、黙って見過ごすこともできるがそうもいっておられない地球の環境だ。これでも必死に考えた。けどなんとなくテーマが大きすぎる。じっくり考えよう。今個人で思いつくことは紙の減量だ。ついては年賀状をやめようという安直さ。我ながら情けない。

参考:国連や我が国の関連サイトをあげてみる。
⇒地球環境を守りつつ、社会の繁栄を推進するために世界を変えようという運動の骨子となるもの。17の分野の目標から構成され、2030年までの達成を目指して、2015年9月の国連のサミットで全会一致で採択された。
我が国の取り組み
国連広報センター

 

ONCE UPON a TIME 外伝 ”キューバ、陽気の国#1”片山通夫

ハバナ旧市街で

まだまだ言葉もなにもわからなかった時に、堀田善衛氏の”キューバ紀行”という本はボクにとって最大のバイブル(無神論者だけど)だった。その中でとても印象的なエピソードがひとつあったので紹介したい。 (堀田善衛 キューバ紀行から)

すなわち、まず呑気で陽気であること、ナマケモノ、音楽好き、踊り好き、チャチャチャ、ルンバ、コンガ、ボサノバ、パチャンガ、カリプソなどの音楽のリズム、力ン高くひびきのいいスペイン語の発音、
 それから視覚に訴えるものとしては、青い青い空、パステル・グリーンのカリブ海、椰子の木、
 まるでカラーフィルムの広告のためのような風光、大きな帽子のソンブレロ、男はスペイン風のヒゲ、
 そうして女の子はオッパイが大きくて、お尻もまた立派で、部屋へ入って来るときには、まずオッパイから入って来て、出て行くときにはお尻がなかば永遠に残っている。……

わかります?この描写。ボクはこの描写の世界に迷い込んだわけである。

ONCE UPON a TIME 外伝 ”キューバ革命 #3”片山通夫

ケネディ(右)とフルシチョフ

ついでと言ってはいけないだろうけど、もう一つキューバをはさんで世界中が震撼した事件があった。キューバ危機(、英: Cuban Missile Crisis、西: Crisis de los misiles en Cuba、露: Карибский кризис)は、1962年10月から11月にかけて、ソ連がキューバに核ミサイル基地を建設していることが発覚した事件である。

ソ連のフルシチョフはまさにアメリカののど元に短剣を突きつけたのだった。
事件は、1962年夏、ソ連とキューバは極秘裏に軍事協定を結び、キューバに密かに核ミサイルや兵員、発射台、ロケット、戦車などを送ったことに始まる。アメリカの偵察機がキューバのに建設されたミサイル基地を発見し、事態は大きく報道されてアメリカのケネディ大統領とソ連のフルシチョフ第一書記の間で書簡の交換を繰り返し危機を抑え込んだ。この危機はそれぞれの国での指導者の立場が複雑に彼見合っていたと考えられる。ちなみに1964年10月に解任された時は東京オリンピックの最中だった。オリンピックのニュースとともにフルシチョフ解任のニュースは世界に衝撃を与えた。

ONCE UPON a TIME 外伝 ”キューバ革命 #2”片山通夫

ピッグス湾

一方アメリカは亡命キューバ人を利用してピッグス湾事件(スペイン語: Invasion de Bahia de Cochinos、英語: Bay of Pigs Invasion)を起こした。ケネディ大統領の1961年の事で前任のアイゼンハワー大統領時代に立案されていた侵攻案を承認した。在米亡命キューバ人部隊がCIAの全面的な支援でグアテマラで軍事訓練の後、キューバに侵攻してフィデル・カストロ革命政権の打倒を試みた事件。ソ連の支援を受けたキューバ革命軍が勝利し、この作戦を主導したアメリカは世界から非難された。この事件後カストロのキューバはますますソ連を頼るようになった。

今少しウイキペディアを参考にアメリカとの関係を見てみる。1959年5月にカストロは農地改革を断行し、6月にアメリカの資産を国有化したため、アイゼンハワー大統領は対抗策としてキューバの最大の産業である砂糖の輸入停止措置を取る形で禁輸措置に踏み切った。これに反発したカストロ首相は、弟のラウル・カストロを冷戦下でアメリカ合衆国と対峙していたソ連の首都モスクワに派遣し、1960年2月にアナスタス・ミコヤン第一副首相がハバナを訪問し、1億ドルの借款供与、砂糖買い付け、武器売り渡しを柱とする経済協力協定を結んだ。