モノローグ・コロナの日々《治療薬》片山通夫

コロナがおそらく政権の疲れからか感染症の分類が2023年5月8日から2類から5類に変更になった。5類とはインフルエンザ並みだとか。・・・とすると、治療薬が存在する。高熱になった場合は、 発症後48時間以内であれば抗インフルエンザ薬(タミフルやリレンザ等)の効果(インフルエンザウイルスの増殖を抑える)が期待できるようだ。また漢方薬の麻黄湯(まおうとう)などが効果的だとか。

しかし残念ながら、コロナにはこれほど効果が期待できる治療薬はまだないようだ。知り合いの医師と話していたら「町のドラッグストアで買えるようになることが理想だが」とつぶやいていたのが印象的だった。

現代時評《傭兵会社ワグネル》片山通夫

盤石の体制だったと世界が考えていたロシアのプーチン体制の一角がほころび始めた。周知のように民間軍事会社ワグネルの「一日反乱」が起こったのだ。ワグネルは19世紀ドイツの作曲家のリヒャルト・ワグナーのロシア語。ちなみにウクライナで活動中の民間軍事会社の名称にモーツァルト・グループというのがある。ワグナーにしろモーツアルトにしろ迷惑だろうな。所でそもそも傭兵の歴史は古いようだ。
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モノローグ・コロナの日々《あなたの価値観を私に押し付けないで》片山通夫

同性婚に関する裁判や性的少数者(LGBTQ)の理解増進法などになんとなく、しかし長い間、違和感を覚えていた。それが何なのか、自分でも自覚できなかった。それが今朝すっと、いわゆる胸のつかえがとれた。
国が、国家権力が個人の生き方に干渉しているからなのだと気が付いた。まったく余計なお世話なのだ。これと「差別する」ということはまったく違うということを書き添えておく。気をつけなくてはいつの間にか個人の生活、もしかして尊厳にまで国家が干渉しだす。東京新聞の2023年6月26日の記事に「 LGBTQ権利擁護の大パレード、NYで観衆200万人「他人の価値観をコントロールしようとしないで」 という記事があった。
言葉を換えれば「あなたの価値観を私に押し付けないで」だ。(掲載は不定期です)

モノローグ・コロナの日々《梅雨の中の七夕と伝統的七夕》片山通夫

子供の頃はこんな七夕の夜が恋しかった。

昔、小学生のころ、七夕祭りはいつも雨か、うっとおしい日の連続だった。何しろいわゆる梅雨のさなか。降らない方が不思議な時期だった。そして8月に絢爛に行われる仙台の七夕祭りがうらやましかった。そしてなんて頭のいい人が考えたのだろうと長い間そう思っていた。しかし本来は旧暦の7月7日が正しいのだと気が付いた。変に新暦に「語呂合わせ」をするからいたいけな小学生を悩ますのだ。
太陰太陽暦は、明治6年に現在の暦が採用されるよりも前の暦で、現在は公には使われていない。このため、伝統的七夕の日は、太陰太陽暦による7月7日に近い日として、以下のように定義された。
つまり二十四節気の処暑(しょしょ=太陽黄経が150度になる瞬間)を含む日かそれよりも前で、処暑に最も近い朔(さく=新月)の瞬間を含む日から数えて7日目が「伝統的七夕」の日という。

さて今年は8月22日がその日に当たる。そんな先なら忘れてしまいそう。

モノローグ・コロナの日々《プーチン 大変!》片山通夫

外国の干渉が間接的せよ、直接席的にせよ、うるさいのかプーチン大統領の腰がなんとなく定まっていないように感じる。BBCは「ベラルーシ大統領、プリゴジン氏の到着を発表し亡命を歓迎 ワグネルに基地提供と」、「プリゴジン氏、ロシア軍トップ2人の拘束計画 米紙」などと姦しい。
いずれ一枚岩でなく、一癖も二癖もある3人のにらみ合い。我々凡人にはまったく先が読めない。言えることは「プーチン 大変!」だ。

モノローグ・コロナの日々《始めます!》片山通夫

まさかこのような日々をこの年になって過ごすことになるとは想像もつかなかった。「あやつ」がやってきて、毎日なす術もなく無事にやり過ごすだけの生活を家人はうるさく言うようになった。それを言う家人も面倒でいやだろうが、言われるこちらもうっとうしい。
あやつは「コロナウイルス」と呼ばれている。いわゆる感染症らしい。ところがこの感染症は今のところ「ワクチン」しかない。つまり治療薬が見当たらないのだ。おそらく世界中の製薬会社や研究所が研究しているであろうと思われるのだが。そんな日々にふと思ったことを綴ってみた。ボクも暇なのだ。(掲載は不定期) “モノローグ・コロナの日々《始めます!》片山通夫” の続きを読む

現代時評《滅びゆくマスコミ》片山通夫

先週「日本はもうだめかもしれない」と書いた。今週はその遠因がマスコミにあるように感じたので本稿を書いた。

忖度と言う言葉を安部政権時代から何度聞いた事だろう。国会での安部元首相の書くのも情けない低俗なヤジに関して、答弁の中で「(私は総理大臣だから)森羅万象を受け持っている」、「国会の長」などの明らかに間違いの言に対してどれほどたしなめ間違いをただし、そして説いたのかを聞いてみたい。当初筆者は大マスコミは安部氏の明らかな間違いを「そのうちまとめて訂正」するのだろうと思ったものだ。ところがほぼ一年前に安部氏が凶弾に倒れ死亡した。続いて国葬。マスコミのボスどもは嬉々としてというのもおかしい表現だが、国葬に参加した。筆者が見る限り国葬に疑問を持った記事は見なかった。

面白いことがあった。安部氏は知ってる限り「自分の権力の及ぶ範囲で行動」していた。たとえば国内にある日本外国特派員協会での記者会見は決して行わなかった。それに反して内閣記者会では、また海外での内閣記者会相手の会見などは積極的に行っていた。だから海外への発信はほとんど内閣記者会というフィルターを通した情報発信でしかなかった。
ここに興味深い記事を見つけたのでリンクを貼っておきたい。いささか長文なのでそちらをお読みいただきたい。

《昔の内閣記者会は今よりはるかにマシだった~官邸権力との暗闘史》
https://webronza.asahi.com/national/articles/2020101700003.html 

※論座は来月末で掲載をが終了されます。上記記事は7月末までしか読めません。

私たちは一般的に国内の新聞やテレビの報道を通じてのみ、政府の動向を知ることとなっていいる。そのテレビや新聞が政府のスポークスマンである内閣官房長官という権力者に牛耳られて彼の言うがままの記事しか流さなくなった。
PRESIDENNT ONLINE というサイトがある。そこに《安倍政権以前はそうではなかった…記者クラブが忖度に拍車をかけた根本原因》と題した森達也(映画監督)氏と望月衣塑子氏の対談が掲載されている。
https://president.jp/articles/-/51492?page=1
この記事も長いのでじっくりお読みください。

同記事の要約というか、小見出しを3点ほど挙げておく。
1・首相会見での質問は官邸が事前チェック
2・事前通告の拒否や厳しい質問は当ててもらえない
3・出来レースのような記者会見の問題点

これらを見る限り、内閣記者会は《政府の広報》でしかない。
こんな状態を辟易と大の男が従っているマスコミに政府を監視するなんて芸当が出来るはずがない。

日本新聞協会によると、新聞の発行部数はこの5年で1128万部も減少。2022年10月現在、計3084万6631部(前年比218万部減)す。最も多かった1997年(5376万部)に比べ、25年で4割以上も減少。(2023/02/10)

マスコミはこのまま滅んでゆくしかないのかもしれない。