ノスタルジア《昭和の時代 01》片山通夫
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【LapizOnlin】昭和の町
最近「昭和時代」を懐かしむインターネット上の書き込みがよく目につく。昭和元年1926年から昭和64年 1989年までが昭和。戦後ぎりぎりに生まれた筆者などいわゆる高度な技術革命の恩恵をもろに受けてきた。例えばこの時代には真空管ラジオからトランジスターに変わり今やインターネットでどこででもラジオ放送を聞くことができる。自動車もよほどのお金持ちが持つことが出来た時代から、今や一家に一台ならぬひとりに一台の時代になった。こんな目まぐるしく移る時代を生きてきたのが昭和生まれなのだ。(写真はすべて大分、豊後高田で) “ノスタルジア《昭和の時代 01》片山通夫” の続きを読む
神宿る。《栢野大杉(かやのおおすぎ)》片山通夫
現代時評plus《ロシアじゃないけど非常事態省》片山通夫
【609studio】この稿を書いている今、(24/9/21 13:00現在)能登半島は台風14号の影響か、気象庁によると石川県に大雨特別警報が出されている。能登半島の7つの河川で氾濫が発生したという。気象庁は正午前から記者会見で「命を守る」よう要請している。まさに非常事態の様相だ。突然の事故や爆発ではない。台風や豪雨はある程度前もって予測できると言うことを、気象庁は盛んに注意している。よく知られているように気象庁は国土交通省内の組織だ。ところがこの気象庁のホームページでは民間の広告を募集している。聞くところによると予算不足を補うためらしいが、これは未確認だ。 “現代時評plus《ロシアじゃないけど非常事態省》片山通夫” の続きを読む
昔見た風景《浅沼委員長暗殺》片山通夫

【LapizOnline】1960年10月12日、日本社会党の委員長だった浅沼稲次郎氏が、演説中に右翼の少年に左胸を刺されて死亡した。国民に衝撃が走り、抗議のデモは日本全国に広がった。ただこの風景は「日常」とはいいがたいかもしれない。
昔見た風景《学生デモ》片山通夫

現代時評《地震、雷、火事、おやじ》片山通夫

【609studio】かなり古いことわざだとは思っていた。「地震」は恐ろしいのは確かに一番だと言える。江戸時代から色んな地震に名前が付けられていた。国会図書館には「地震年表(江戸期:1605年~1868年)」と言うのが残っている。
そしてたいていが大暴れするナマズが描かれていて地震が起こる。科学的根拠はない。地震の規模は、マグニチュード(M)7.0~7.1 と推定されているがこれも定かではない。ナマズが「迷惑だ」と怒っているかもしれない。 “現代時評《地震、雷、火事、おやじ》片山通夫” の続きを読む
現代時評《サハリンでもあった朝鮮人虐殺事件》片山通夫
9月に入ると関東大震災時の混乱で相当数の朝鮮人が殺されたというニュースが各紙から流れる。東京都知事は今年も追悼文を出すことはなかった。その理由は既に新聞等でご存じだろうから、ここでは書かない。ただはじめて埼玉県知事からの追悼文が届き代読された。同じ日本の敗戦時、当時の樺太(現サハリン)で同じような虐殺事件が起こった。これは筆者がサハリンへ取材に通いだした頃に知った。事件の概略は下記の通りである。 “現代時評《サハリンでもあった朝鮮人虐殺事件》片山通夫” の続きを読む
昔見た風景《食い倒れ人形最後の日》片山通夫

【LapizOnline】写真は永年大阪の人に愛されてきた道頓堀の「食い倒れ人形」最後の日。大勢のファンが集まって別れを惜しんだ。 “昔見た風景《食い倒れ人形最後の日》片山通夫” の続きを読む
現代時評《災害ニッポン、どーする?》片山通夫
【SDGs 609studio】台風10号(サンサン)が日本列島を縦断してようやく熱帯低気圧になり、消滅していった。当初、四国沖から紀伊半島、近畿辺りに上陸するかと思われた10号は西に方向を変え奄美を経て南九州に上陸し長崎から東に方向を変えて九州を横断した。
台風の進路もなかなか予測がつかない時代に入ったように素人ながら考える。
予測がつかないと言うことは、今回の10号のように長期間同じような場所に居座る事にもなる。ひいては豪雨の被害も大きくなり、弛んだ地盤は土砂崩れなどの被害を誘発する。 “現代時評《災害ニッポン、どーする?》片山通夫” の続きを読む
Webサハリン物語《episode#13 日本人はお墓まで帰国した》片山通夫

【609studio】コルサコフ(大泊)は港町である。ここから、いやここへ稚内からの連絡船が着く。稚泊連絡船である。コルサコフは港を見下ろせる丘の町であった。この町にも残留朝鮮人は大勢暮らしている。2・3人に聞いてみた。彼らが口々に言うのは決まっていた。
Webサハリン物語《episode#12 アリランの歌 02》片山通夫
【609studio】ここであらためて地図を広げてみたい。サハリンと北海道の稚内とは宗谷海峡を挟んで50キロにも満たない。ただユジノサハリンスクと稚内との距離は190キロほどある。戦前連絡船で8時間ほどかかったという。冷戦時代にその距離を飛んでいたのは渡り鳥かラジオ放送の電波だった。NHK稚内中波中継局から発せられるラジオ放送は宗谷地方はもとよりユジノサハリンスクまで届いていた。筆者もユジノサハリンスクで聞いたことがあるが、鮮明に聞くことができる。 “Webサハリン物語《episode#12 アリランの歌 02》片山通夫 ” の続きを読む
Webサハリン物語《episode#11 アリランの歌 01》片山通夫
【609studio】朝鮮民謡に「アリラン」と言う歌がある。朝鮮半島全域で歌われている。
「アリラン アリラン アラリヨ・・・」と日本でもよく知られているあの歌である。聞けば「アリラン峠」とはどこにあるのかはわからないと言う。きっとどこの地方ででもマッチするように特定の場所では無いという意味なのかもしれない。 “Webサハリン物語《episode#11 アリランの歌 01》片山通夫 ” の続きを読む
Webサハリン物語《episode#11 サハリンの朝鮮人#02》片山通夫

【609studio】サハリンでも残留朝鮮人はソ連当局を相手に「祖国へ返せ」とデモを仕掛ける人もいた。筆者がインタビューした女性も息子夫婦とその子供を北朝鮮に送られてしまったと嘆く。息子が堅くなに「祖国韓国へ返せ」と当局に訴え出たため、業を煮やした当局は「そんなに帰りたいのなら」と船に乗り込ませた。 “Webサハリン物語《episode#11 サハリンの朝鮮人#02》片山通夫” の続きを読む
Webサハリン物語《episode#10 サハリンの朝鮮人#01》片山通夫

【609studio】いわゆる「鉄のカーテン」の向こう側の実態はなかなか把握できない。それは取材し始めた頃から感じていた。サハリン州は「閉鎖都市」だった。シベリアで外国人が行けたのは、ナホトカやハバロフスクなどごく少数で外国人立ち入り禁止だった。 “Webサハリン物語《episode#10 サハリンの朝鮮人#01》片山通夫” の続きを読む