連載コラム・日本の島できごと事典 その127《ハワイ官約移民》渡辺幸重

周防大島の日本ハワイ移民資料館 https://suooshima-hawaii-imin.com/exhibition/

ハワイ諸島は1795年からハワイ王国として立憲君主制の独立国家を形成していましたが1893年にアメリカ移民を中心とした選挙でアメリカ合衆国の傀儡国家となり、1898年にはハワイ準州としてアメリカに併合されました。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その127《ハワイ官約移民》渡辺幸重” の続きを読む

連載コラム・日本の島できごと事典 その126《焼酎》渡辺幸重

 島にはそれぞれ特色のある“味”があり、そして“島酒”があります。「おいしい酒」というと、島に生まれ育った人間や島旅が好きな人はどうしても自分の故郷や贔屓の島の酒を第一に挙げることが多いようです。私の場合は屋久島の芋焼酎「三岳(みたけ)」ということになります。

伊豆諸島・青ヶ島の島酒は「あおちゅう(青酎)」です。酒造会社は1つでラベルも同じですが、各家庭に伝わる製法と味が10人ほどの杜氏に引き継がれ、それぞれが異なる味を持っているといわれます。サツマイモと麦麹を使ったものが主流で、流通量が少なく島外では購入が難しいため“幻の酒”と言われましたが、最近ではスーパーで目にすることもあります。私にとっては「トビウオのクサヤで一杯」が最高です。
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連載コラム・日本の島できごと事典 その125《臥蛇の入道先生》渡辺幸重

「臥蛇島の入道先生」比地岡栄雄(『臥蛇島離島50年記念誌』より)

学校は島社会にとって重要な施設で、先生も地域社会に溶け込んでいます。私も子どもの頃、親に言われて野菜や魚を教員住宅に届けたりしました。夜は先生の家に勉強や珠算を教えてもらいに通ったりもしたものです。島の子供たちだけでなく島の生活や将来のために貢献した先生方もたくさんいます。その代表が「臥蛇の入道先生」こと比地岡栄雄(ひじおかえいお)(1907ー1998)です。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その125《臥蛇の入道先生》渡辺幸重” の続きを読む

連載コラム・日本の島できごと事典 その124《立神》渡辺幸重

沼島の上立神岩(淡路島観光協会サイトより) 沼島の上立神岩(淡路島観光協会サイトより) https://x.gd/UpUaM

伊豆諸島と小笠原諸島の間の海上に天に向かって直立する大きな岩があります。孀婦(そうふ)岩と呼ばれるその岩を見たとき私は神々しさを感じました。信仰深い昔の人はもっと感じたことでしょう。全国には矛先のように屹立する大小の岩礁を「立神」と呼んで信仰や神話の対象としているところがたくさんあります。

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連載コラム・日本の島できごと事典 その123《海に沈んだ島》渡辺幸重

瓜生島の想像図(『海にしずんだ島-幻の瓜生島伝説-』より)

大分市の西北2kmほどの別府湾内に400年ほど前まで瓜生島(うりゅうじま)という島があったという言い伝えがあります。瓜生島は東西3.5km、南北2km以上という大きさで、12の村があり、沖の浜と呼ばれる港町には家千軒が建ち、約千人が住んでいました。室町時代頃から豊後国最大の貿易港だったともいわれます。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その123《海に沈んだ島》渡辺幸重” の続きを読む

連載コラム・日本の島できごと事典 その122《人名制度》渡辺幸重

本島・笠島集落(重要伝統的建造物群保存地区)

瀬戸内海の岡山県と香川県に挟まれた西備讃瀬戸に浮かぶ香川県側の島々が塩飽(しあく)諸島です。ここはかつては塩飽水軍の本拠地であり、戦国時代から明治期初めまで住民自治が行われた地域です。塩飽諸島は全部で28島(うち有人島13)あるといわれ、特に「塩飽七島」と称される櫃石(ひついし)島・与島・本島(ほんじま)・牛島・広島・手島・高見島が諸島の中心をなしています。

塩飽水軍は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の戦いに海の戦力として貢献しました。秀吉の九州攻め(九州平定)では50人乗の船10艘を各船に水主(かこ)5人を付けて差し出し、秀吉の高い評価を得ました。その後も秀吉の後北条氏攻撃に大坂から小田原へ兵糧米を積み送り、また朝鮮出兵(文禄・慶長の役)でも医師や奉行、物資の運送に従事しました。秀吉は1590(天正18)年に塩飽諸島の検地をするとともに塩飽水軍の業績を認め、島中(とうちゅう)の船方(水夫)650人にその領知を認めて自治を認めました。江戸時代は幕府領で、大坂町奉行や大坂船手などの管轄下にありましたが、自治制度として「島中船方領知」は江戸時代から明治初期まで引き継がれました。この水主役を負担する船方を「人名(にんみょう)」と呼び、島の領知権や周辺海域の漁場の権益を人名株、制度を人名制度といいます。ただ、株を持たない漁師らは「間人(もうと)」と呼ばれ、激しく差別されたともいいます。幕末に増加した水夫役の徴用を人名が間人に肩代わりさせ、その費用の一部を負担させることもあったようです。

本島の小阪(旧小坂)地区の墓地に幕末に起きた「小坂騒動」の犠牲者18人の名前が刻まれた小さな石碑があります。移住者が多くよそ者として差別を受けていた小坂の漁師たちは2株の人名株を要求しましたが受け入れられず、1868(慶応4)年、泊地区の勤番所を襲って家々を打ち壊し、この衝突で双方に死傷者が出ました。人名はその報復として他の島々の加勢も得て小坂を焼き払ったといいます。

人名制度は1870(明治3)年に倉敷県が「藩制改革により塩飽の領知高を没収し、朱印状はこれを還納すべし」と命じ、終焉を迎えました。1880(同13)年に2,300円余の一時金が支払われたあとは何の要求も認められなかったそうです。

人名の多くが住んでいた本島の笠島集落には粋を凝らして建てた屋敷が並び、1985(昭和60)年に国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)に指定されました。

連載コラム・日本の島できごと事典 その121《通信制高校》渡辺幸重

メタバース空間内の教室(勇志国際高校)

国全体の人口減少が問題になっていますが、特に島では過疎化が進んでいます。そのため小中学校の統廃合も多く見られますが、一方では通信制高校の本校を島嶼部に置く学校法人がいくつかあります。島の自然や地域社会の教育力が評価されているのです。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その121《通信制高校》渡辺幸重” の続きを読む

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連載コラム・日本の島できごと事典 その96《ごみ騒動》渡辺幸重

<国内最大級の産業廃棄物の不法投棄により、「ごみの島」と呼ばれた瀬戸内海の離島・豊島(てしま)=香川県土庄(とのしょう)町=で、20年余りに及んだ処理事業が終了し、県が30日、現地を公開した。>
 これは今年3月31日の毎日新聞朝刊に「香川・豊島 ごみの山消えても残る地下水汚染 産廃処理事業終了」という見出しで掲載された記事の冒頭部分です。豊島は四国・高松港の北約12kmの瀬戸内海に浮かぶ島で、四方を島に囲まれた多島海美の中にあります。1970年代後期からこの島に有害産業廃棄物が大量に投棄されるようになり、住民に健康被害が出るようになりました。島の住民は激しい撤去運動を繰り広げ、2003年に成立した産廃特措法に基づいて2019年7月までに総計約91万3,000トンの廃棄物と汚染土が豊島の西約4㎞にある直島に運ばれ、香川県が建設した「直島環境センター中間処理施設」で焼却・溶融化処理されました。そして今回、汚染地下水を浄化する高度排水処理施設の整備や整地作業が終わり、「わが国初の汚染地修復の国家的取り組み」と言われた処理事業が完了したと報道されたのです。
 ちなみに、廃棄物と汚染土の総量は毎年処理対象量の見直しがあり、2012年7月には最大の93万8,000トンが見込まれましたが、2017年に搬出がいったん完了したあとに発見された産廃・汚泥を含めて最終的な量は処理約91万3,000トンとされています。 MORE