連載コラム・日本の島できごと事典 その145《屋嘉比島》渡辺幸重

米軍の慶良間列島上陸日時(琉球新報「沖縄戦新聞」より)

【LapizOnline】沖縄島の西方約20~40kmに浮かぶ慶良間(けらま)列島の西側の島々は座間味村(ざまみそん)に属し、座間味諸島とも呼ばれます。その中でも西側に位置するのが無人の屋嘉比島(やかびじま)で、学生時代に探検部だった私は1973(昭和43)年の夏、「無人島居住実験」と称して男二人で1ヵ月間テント生活をした島です。第二次世界大戦までは銅山として栄え、沖縄戦では米軍が上陸して凄惨な強制集団死(集団自決)事件が起きた島ですが、当時の私はそのことを知らず、あとになって恥ずかしい思いをしました。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その145《屋嘉比島》渡辺幸重” の続きを読む

連載コラム・日本の島できごと事典 その144《クナシリ・メナシの戦い》渡辺幸重

ノッカマップで行われるイチャルパの様子(根室市公式サイトより

【LapizOnline】北方四島の一つ、国後島(くなしりとう)と根室海峡を挟んで相対する北海道・知床半島の東南側の目梨(めなし)地方で1789(寛政元)年、アイヌ民族が松前藩に対して蜂起する事件「クナシリ・メナシ(国後・目梨)の戦い」が起きました。事件当時は「寛政蝦夷蜂起」「寛政蝦夷の乱」「国後騒動」「寛政元年蝦夷騒擾」などと称され,近代以降は「寛政元年の蝦夷騒乱」「寛政の乱」「クナシリ・メナシの乱」「クナシリ・メナシ地方アイヌの蜂起」などとも呼ばれます。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その144《クナシリ・メナシの戦い》渡辺幸重” の続きを読む

連載コラム・日本の島できごと事典 その143《住民投票》渡辺幸重

ミサイルが配備された陸上自衛隊石垣駐屯地

2018(平成30)年10月31日、沖縄県石垣市で石垣市自治基本条例に基づく住民投票を直接請求する市民の署名活動が始まりました。内容は、石垣島の於茂登岳(おもとだけ)麓に陸上自衛隊駐屯地を建設するという計画への賛成・反対の市民の意思をはっきりさせる住民投票の実施を石垣市に求めるものです。「石垣市住民投票を求める会」は11月30日までの1ヶ月間の署名期間内に住民投票請求の要件である有権者の4分の1を超える1万4,263筆の署名を集めました。これは有権者の約37%にあたります。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その143《住民投票》渡辺幸重” の続きを読む

連載コラム・日本の島できごと事典 その142《黒曜石》渡辺幸重

 【LapizOnline】黒曜石(こくようせき)はケイ酸を主成分とし、磨くと美しい光沢を持つ火山岩で、硬度が高く、刃物を作るのに適していることから世界各地で先史時代からナイフや石器として広く使用されてきました。日本列島でも旧石器時代から黒曜石製の刃物や矢尻、鏃、装飾品などが作られています。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その142《黒曜石》渡辺幸重” の続きを読む

連載コラム・日本の島できごと事典 その141《リュウキュウアユ》渡辺幸重

リュウキュウアユ(ホライズン「奄美大島の川」サイトより)

【LapizOnline】国立環境研究所の「侵入生物データベース」サイトでリュウキュウアユの分布図をみると、奄美地方が「自然分布」、沖縄島周辺が「外来分布」となっています。リュウキュウアユは元々奄美大島と沖縄島に自然分布していたはずなのにこの違いは何なのでしょうか。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その141《リュウキュウアユ》渡辺幸重” の続きを読む

連載コラム・日本の島できごと事典 その140《王直》渡辺幸重

平戸市の王直像(「日本掃苔録」サイトより)

【LapizOnline】王直(おうちょく:?―1559)は中国・明代の海商で後期倭寇の頭目です。民間の貿易を許さない明を逃れて日本の五島列島や平戸島(いずれも長崎県)を本拠地として中国人、ポルトガル人、南洋人らと密貿易を行いました。自らを徽王(きおう)や五峰大船主と称し、武装船団を率いて強大な勢力を誇りました。日本国内の有力者と海外勢力を結ぶ役割もしており、日本史を物語る上で重要な人物です。日本への鉄砲伝来にも関係しているとみられています。最後は国禁を侵したとして明朝に捕らえられ処刑されました。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その140《王直》渡辺幸重” の続きを読む

連載コラム・日本の島できごと事典 その139《屋久島憲法》渡辺幸重

屋久島の山岳

【LapizOnlin】私が小学生だった頃、担任の先生から「屋久島には屋久島憲法という立派なものがある」と聞き、内容がわからないままに誇り高い気持ちがしたものです。あとになって知ったのですが、それは日本国憲法と同じような憲法ではありませんでした。正式名称は「屋久島国有林経営の大綱」と言い、1921(大正10)年に農商務省鹿児島大林区によって発表された山林管理と利用に関する基本的な決まりでした。島の山林のほとんどを国有林にする一方で一部を地元で利用することを許すという内容ですが、その“屋久島憲法”ができるまでには入会山林(共有林)を強制的に国有林にした明治政府に対する地元の闘いがありました。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その139《屋久島憲法》渡辺幸重” の続きを読む

連載コラム・日本の島できごと事典 その138《漁業権紛争事件》渡辺幸重

久六島(灯台があるのは上の島:「青森県・白神山地の地質、岩石、化石、地形、自然」サイトより)

漁業権や水利権は生活や産業にとって大事なものだけに、その権利をめぐる争いは昔から激しいものがありました。特に資源が豊富な漁場の漁業権の場合は権利関係が複雑に絡み合い、紛争が長期化したようです。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その138《漁業権紛争事件》渡辺幸重” の続きを読む

連載コラム・日本の島できごと事典 その137《台風上陸》渡辺幸重

台風経路図

【LapizOnline】四国の西側に細く延びる佐田岬半島(愛媛県)を台風が襲ったことがありました。初めテレビは「四国に上陸」と言っていましたが、翌日には「佐多岬半島を通過」と言い換えていたので「アレッ」と思ったことがあります。また、私が生まれ育った島は台風銀座にあり、台風の目にすっぽり包まれたことがありました。吹き荒れていた大風がパタッと止み、静かな快晴の空になったあと風向きが変わってまた大風に戻りました。それが台風の目だったのです。私は「台風が島に上陸した」と思ったのですが、それは“上陸”ではありませんでした。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その137《台風上陸》渡辺幸重” の続きを読む

連載コラム・日本の島できごと事典 その136《補陀落渡海》渡辺幸重

補陀洛渡海の様子(那智駅交流センターのジオラマ)

【LapizOnline】補陀落(ふだらく)とは仏教で南方の海の彼方にあるとされる観世音菩薩が住む浄土のことで、行者(僧)が浄土への往生を果たし、民衆を浄土へ先導するために単身小舟に乗って沖に出る捨て身の行が「補陀落渡海」と呼ばれます。最古の事例は868(貞観10)年の慶龍上人、最後は1909(明治42)年の天俊上人の渡海で、主に平安時代から江戸時代中頃まで行なわれました。全国では約60例、そのうち和歌山県の那智勝浦からの渡海が半数の約30例を占めています。他には高知県の足摺岬、室戸岬、茨城県の那珂湊などから出帆した例があります。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その136《補陀落渡海》渡辺幸重” の続きを読む