現代時評《民主主義サミットの危険性》井上脩身

ONLINE民主主義サミット(Webから)

アメリカのバイデン大統領の呼びかけによるオンライン形式の「」が、12月9日から10日(日本時間)にかけて開かれた。バイデン大統領は世界を民主主義国と専制主義国に二分し、その対立ととらえているように思われるが、現実は同大統領が考えるほど単純ではない。20世紀までに植民地支配をした欧米諸国(日本も含む)の多くは民主主義国であり、逆に植民地支配された国々に専制主義的な傾向がみられるなか、最も注視しなければならないのは植民地支配された国民のもつ屈辱感である。世界の中心軸がアメリカから中国に移りつつある今、その複雑な国民感情がどのように21世紀世界に影響を及ぼすかはまだ見通せない。わかっていることはただひとつ、いたずらに対立を煽ることは火種の元である。 “現代時評《民主主義サミットの危険性》井上脩身” の続きを読む

◇現代時評《「清美ショック」の立憲民主党》 井上脩身

清美節聞けぬ国会ちと寂し

11月23日付毎日新聞の投句川柳欄に掲載された句だ。清美はいうまでもなく立憲民主党の前衆議院議員、辻元清美さん。先の衆院選で落選した。辻元さんは小泉純一郎首相時代、国会で「ソーリ、ソーリ」と追及して名をあげた。民主党政権時代に国交副大臣をつとめ、権力の側にあることの利を覚えている。衆院選で予想外に議席を減らした立憲民主党。11月30日の代表選挙をへて、党の立て直しを図ることになるが、「政府追及勢力」にとどまるのか、「政権交代勢力」を目指すのか、という基本的立ち位置はあいまいなままだ。同党はいま、「清美落選ショック」ともいうべき深刻な状態にある。

冒頭の川柳は熊本の「ピロリ金太」さんの句だ。大阪・高槻市が選挙区(大阪10区)である辻元さんとは特段のつながりはないようだ。だから、辻元さんがいない寂しさは「ちと」なのであろう。私は「大いに」寂しい。なぜなら、私が卒業した高槻市の小学校を、辻元さんは4年生のときに1年間在籍していたからだ。彼女は5年生のときに大阪市の小学校に転校したので、私の母校の卒業生名簿には載っていないが、広い意味で同窓なのだ。
辻元さんは1996年、社民党(社会党から改称)の土井たか子党首の誘いで、衆院選比例近畿ブロックで初当選。2000年の衆院選では大阪10区から出馬し、再選した。「ソーリ」発言は、40歳を超したばかりのこの2期目のときに飛び出した。2009年、民主党を中心とする連立政権が樹立されると、辻元さんは社民党枠で国土交通副大臣に就任。翌年、社民党が連立を離脱したため副大臣を辞任したが、その際、「国交省は利権の巣窟だと思っていたがそうでなかった。多くの職員が変えていこうという思いに賛同してくれた。辞めるのはつらい」と、政権側の要職にあることの意義を語った。
辻元さんは2010年、社民党を離党、翌年、東日本大震災の発生を受け、災害ボランティア担当の首相補佐官に就任。「ボランティアのための窓口を政府につくりたい」と意欲を示し、同年、民主党に入党した。2012年の衆院選で民主党は惨敗して政権を失うが、辻元さんは比例で辛くも当選。2017年、民進党(前年、民主党と維新の党が合流)が小池百合子氏主導の希望の党への合流を決定したさい、枝野幸男氏がその決定に従わず、立憲民主党の設立を表明。辻元さんも立憲民主党に参画し、同年の衆院選で7選をはたした。
2021年10月31日に行われた衆院選では、序盤、優勢とみられたが、終盤、日本維新の会の新人の猛追に遭い、約1万4000票差で敗北。比例復活もできず議席を失った。辻元さんは「維新の突風が竜巻のように吹いた」と肩を落とした。

辻元さんが当初優勢とみられたように、立憲民主党全体として当選者が増えると予想された。その一番の理由は、国民民主、共産など野党5党が7割以上の小選挙区で一本化したことにある。ところが蓋を開けてみると、立憲民主党の当選者は96人(小選挙区57、比例39)と、前回(110人)より14人減少。枝野氏はその責任をとって代表を辞任した。
なぜ敗れたのか。選挙終盤、共産党の志位和夫委員長が街頭で、「立憲民主党中心の政権ができたら、共産党は閣外協力をする」と演説、その様子がテレビで何度も流れた。立憲民主党としては有難迷惑な発言だろうと私は思った。結果からみれば、モリカケや桜を見る会などに表れた傲慢な自民党の政権運営に批判していた人たちのなかの、「野党に政権は任せられない」とか、「共産党と組む政権は嫌」といった、自民党と立憲民主党の中間に位置する票が、自民党に戻ったり、日本維新の会などにまわったのであろう。維新が前回の11議席から41議席へと4倍近く伸びたのは、この自民党批判保守票が流れこんだからにほかならない。

いったい野党の役割は何であろうか。
かつて55年体制下では、社会党の最大の役割は労働者の擁護であった。だが、労働組合組織率が推定17%(2020年、厚労省調査)の現在、勤労者の意識は大きく変わり、その大半は支持政党なし層である。この層の有権者の政治意識はコロコロ変わる。コロナ感染が急拡大すると、横浜市長選で当選間違いなしとみられた前閣僚を落選させるほどの強風になる。だが、コロナが収束に向かうと、すーっと風向きを変える。野党が政権批判を強めれば、「何でも反対する」と冷たく言いはなち、政権を取る姿勢をみせれば、「民主党政権の失敗は二度とごめん」とそっぽをむく。
野党の役割はつまるところ、「政権追及勢力」か「政権交代勢力か」のどちらかでしかない(「政権すり寄り勢力」「政権補助勢力」もあるが、私はまっとうな野党とは考えていない)。枝野前代表は「政権批判を強めながら政権交代勢力になる」という二段構えであったと思われる。だが、辻元さんの例をみると、それは容易ではないことがわかる。「ソーリ、ソーリ」と強く追及した辻元さんには魅力があふれていた。だから冒頭のように川柳にも詠まれたのだ。だが国交副大臣や首相補佐官という政権幹部政治家を経験した後の辻元さんは、テレビで見るかぎり、気迫の政治家から、したたかな政治家に変わったように思われる。政治家としては成長したとしても、鮮烈な魅力が薄れたという印象は否めない。

立憲民主党の代表選挙には、逢坂誠二元首相補佐官、小川淳也元総務政務官、泉健太政調会長、西村智奈美元副厚生労働相の4氏が立候補した。12月から新たな代表のもとで党の再構築がなされるが、「ソーリ、ソーリ」の党か、それとも「官僚が賛同してくれる」党を目指すのか。どちらでもなくただ混迷を深めるならば、来年の参院選で、「維新の突風」に吹き飛ばされることは必至である。