徒然の章《不順な気候》中務敦行

この春の天候は近年の温暖化に逆らって、異常なモノでした。寒い日が続き、あちこちで積雪が見られました。「暑さ、寒さも彼岸まで」と言われますが、関西では「お水取りが終わると、春が来る」と語り継がれてきました。その通りにならないのがこの春。春はウメの開花から始まりますが、この春はずいぶん長く咲いたように感じました。開花と一緒に、寒波がやってきたからでしょう。逆に早咲きで有名な「河津桜」は、例年なら2月下順に満開になるのですが、京都・淀の水路沿いの花は2月末になっても、2~3分咲き。同じに行った城南宮では梅はいつものように花びらが舞っていました。大阪城、月ヶ瀬梅林なども少し早めだったようです。花を追って各地を回ったこの春の花を遅ればせながらお届けいたします。
2024

連載コラム・日本の島できごと事典 その125《臥蛇の入道先生》渡辺幸重

「臥蛇島の入道先生」比地岡栄雄(『臥蛇島離島50年記念誌』より)

学校は島社会にとって重要な施設で、先生も地域社会に溶け込んでいます。私も子どもの頃、親に言われて野菜や魚を教員住宅に届けたりしました。夜は先生の家に勉強や珠算を教えてもらいに通ったりもしたものです。島の子供たちだけでなく島の生活や将来のために貢献した先生方もたくさんいます。その代表が「臥蛇の入道先生」こと比地岡栄雄(ひじおかえいお)(1907ー1998)です。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その125《臥蛇の入道先生》渡辺幸重” の続きを読む

連載コラム・日本の島できごと事典 その124《立神》渡辺幸重

沼島の上立神岩(淡路島観光協会サイトより) 沼島の上立神岩(淡路島観光協会サイトより) https://x.gd/UpUaM

伊豆諸島と小笠原諸島の間の海上に天に向かって直立する大きな岩があります。孀婦(そうふ)岩と呼ばれるその岩を見たとき私は神々しさを感じました。信仰深い昔の人はもっと感じたことでしょう。全国には矛先のように屹立する大小の岩礁を「立神」と呼んで信仰や神話の対象としているところがたくさんあります。

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とりとめのない話《風と気配と地蔵さんと》 その4  中川眞須良

写真はイメージ

風無し地蔵

なぜかお地蔵さん  
辻、角に祀られている事が多い。 穏やか表情 生けられた花の微かな香り そして焚かれた線香の僅かな煙の末端とがお地蔵さんと人とを結ぶ絆である。それは時に人を立ち止まらせ思いを改めさせ進む道を再考するきっかけを与える時すらある。 “とりとめのない話《風と気配と地蔵さんと》 その4  中川眞須良” の続きを読む

編集長が行く《ひろしま美術館 ひだまりの絵本画家・柿本幸造 002》井上脩身

やさしい目の「どんくまさん」

美術館入り口の柿本幸造展表示
美術館入り口の柿本幸造展表示

柿本は「どうぞのいす」より少し早い1966年、至光社創業者の武市八十雄、同社編集者の蔵富千鶴子と話し合い、「不器用で失敗して迷惑をかけるけれど、それなのにどうしても憎めない、こんな主人公の絵本を作ろう」と、「どんくまさん」シリーズを始めた。武市がアイデアを出し、蔵富が文章を書き、柿本が絵を描くという分業方式だった。 “編集長が行く《ひろしま美術館 ひだまりの絵本画家・柿本幸造 002》井上脩身” の続きを読む

編集長が行く《ひろしま美術館 ひだまりの絵本画家・柿本幸造 001》井上脩身

~旅先で引きこまれた絵本の原画~

柿本幸造氏(ウィキベテアより)

2023年末、広島を旅したさい、ひろしま美術館に立ち寄った。同館にはバルビゾン派以降の西洋絵画のほとんどの巨匠の作品を展示しており、久しぶりに名画に触れてみたいと思ったのだ。訪ねてみると、特別企画として柿本幸造という広島県出身の絵本画家の原画が展示されていた。 “編集長が行く《ひろしま美術館 ひだまりの絵本画家・柿本幸造 001》井上脩身” の続きを読む

とりとめのない話《風と気配と地蔵さんと》 その3  中川眞須良

写真はイメージ

風負い地蔵
「あかかべ地蔵」の名の碑が立っているが このお地蔵さんに初めて出会った時「風負い地蔵」と呼ぶことにした。その日は 新年を数日後に控えた曇天の暮 午後3時を過ぎたばかりというのに玄関の外灯に明かりが灯る家があちこちに、風はやや強く歩いていて手袋無しでは身体の芯まで冷える。白いものがチラついてもおかしくない空模様である。 “とりとめのない話《風と気配と地蔵さんと》 その3  中川眞須良” の続きを読む

連載コラム・日本の島できごと事典 その123《海に沈んだ島》渡辺幸重

瓜生島の想像図(『海にしずんだ島-幻の瓜生島伝説-』より)

大分市の西北2kmほどの別府湾内に400年ほど前まで瓜生島(うりゅうじま)という島があったという言い伝えがあります。瓜生島は東西3.5km、南北2km以上という大きさで、12の村があり、沖の浜と呼ばれる港町には家千軒が建ち、約千人が住んでいました。室町時代頃から豊後国最大の貿易港だったともいわれます。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その123《海に沈んだ島》渡辺幸重” の続きを読む