妻「どうすんのよ、話が違うじゃない。」
その日の夜、晋三氏は妻に責められていた。
何しろ昼の参議院予算委員会で「妻に聞いたらそんなこと言ってない」と啖呵を切ったまではいいが、野党は勿論、完璧に抑えていたはずのマスコミにまで総スカンを食った。食ったといえばあれだけ高い寿司をおごってやったのにとますます不機嫌になった。
“Column 続々・安倍晋三氏の憂鬱 《アンダーコントロールって嘘じゃん》片山通夫” の続きを読む
Lapiz Online & 片山通夫公式サイト photo:24の瞳映画村
妻「どうすんのよ、話が違うじゃない。」
その日の夜、晋三氏は妻に責められていた。
何しろ昼の参議院予算委員会で「妻に聞いたらそんなこと言ってない」と啖呵を切ったまではいいが、野党は勿論、完璧に抑えていたはずのマスコミにまで総スカンを食った。食ったといえばあれだけ高い寿司をおごってやったのにとますます不機嫌になった。
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放送局には大きなアンテナが立っている。
その向こうにようやく太陽が顔を見せた。
まだ晴れた日が来ない冬の一日。
ボクはバスに乗って以前からお世話になっている放送局へ向かった。
放送局の前には大きな看板があって、その看板はソ連時代からあるチョコレートの広告だった。ボクは日本の友人たちに買って帰るお土産をこの広告で思いついた。板チョコにする!
なぜ今回ボクが真冬のサハリンへ行ったかというと、大きなわけがある。
以前書いた拙著「あるサハリン残留朝鮮人の記録」の主人公チョン・テシクさんの奥さんが怪我をしてテシクさんの生活が乱れて面会できなかったが、奥さんも全快してお二人とも元気だとお聞きした。それで慌ててユジノサハリンスクへ出かけることにした。
右の写真はテシクさん夫妻
→日本統治下の朝鮮半島から樺太の炭坑への出稼ぎを余儀なくされた主人公は、やっと家族と暮らせるようになった樺太から「急速転換」で九州へ移送される。掘進夫としてわき目もふらず働くなか日本は敗戦。予想外の事態に直面した主人公は、ともに九州の炭坑で働いていた長男を朝鮮半島の故郷に帰し、戦後の混乱のなかを仲間と樺太へ向かう。「逆密航」を経てやっと家族と再会した主人公は、戦後のサハリンで世を去る。
ユジノサハリンスク駅近くの鉄路。
写真ではわかりにくいが、日本と同じ狭軌。
そう、日本が敷設した線路をそのまま利用している。
もちろん、メンテナンスは行っているはずだ。
もう70年以上前に日本は撤退したのだから。
ようやく雪がやんだ。それでも町は灰色の世界。寒いデス。聞けばマイナス20℃だとか・・。
相変わらずの雪のサハリン。
ユジノサハリンスクは吹雪いて、飛行機が予定通り着かなかった。一日遅れたのだ。そして着いたその日も写真のような雪模様の夜になった。しかし以前と比べて街は実に明るくなった。最も州都ユジノサハリンスクだけだと思うが…。
昨年「サハリン逍遥」という本を出版した。かるーい気持ちで読んでもらえるような内容にした。(右の写真)
そしてこの一月の終わりにまたサハリンへ出かけた。その時撮影した写真の一部をこれから順次紹介したい。