現代時評《地震予知無視を許す原発刑事裁判》井上脩身

 テレビで緊急地震速報が流れたとき、多くの場合すでに地震が発生しているか、せいぜい発生の数分前だ。このアナウンスのさい、津波の恐れの有無も予報してくれるが、これでは家が津波の被害を受けないように塀をつくる時間があるはずがない。とるものもとりあえず高台に逃げるのが精いっぱいだ。原発も同様、津波が現実に襲ってくるまで何も対策をとらなくてもやむを得ない。東京電力福島第一発電所の事故をめぐる刑事裁判で、東京地裁が19日に言い渡した無罪判決はそう述べたにひとしい。原子力発電という、放射性物質を高度に使用する業者も、普通の市民と変わらないレベルの危機意識でよしとするこの判断が許されるならば、必ずや第二の福島事故が起きるであろう。

 裁判は、強制起訴によって業務上過失致死傷罪に問われた東電旧経営陣の勝俣恒久元会長、武黒一郎元副社長、武藤栄元副社長に対して行われ、3被告は一貫して無罪を主張。禁固5年が求刑されたが、長渕健一裁判長は「事故を回避する義務を課すにふさわしい予見可能性があったと認めることはできない」と、被告側の主張を全面的に認めた。

 公判での最大の争点は「最大15・7メートルの津波が原発に襲来する可能性がある」との試算についての判断。試算は、政府の地震調査研究推進本部(地震本部)が2002年に公表した地震予測「長期評価」に基づいて行われたもので、東電は08年3月に受け取っていた。3被告は担当者から「海抜10メートルの敷地を超える津波が原発に押し寄せる可能性がある」との報告を受けていた。(9月20日付毎日新聞)

 報道によると、通常の刑事裁判の検察官に当たる指定弁護士は武藤元副社長について「担当者から15・7メートルの試算を聞いた08年6月には津波を予測。同7月には対策をとるよう進言があったのに先送りした」、武黒副社長には「担当部長から15・7メートルの試算を聞いた09年4~5月ごろには津波の予見ができたが、対策の検討や原発の運転停止の提案を怠った」、勝俣元会長についても「09年2月の会議で担当部長の巨大津波襲来の可能性の発言を聞いて以降、津波を予見できたが、対策をとらなかった」などとした。

 3被告への指定弁護士の主張を総合すると、東電幹部は08年6月~09年5月までの間に、津波に襲われることを予見したのに、その対策をとる義務を怠った結果、原発事故が起き、放射能の拡散による死傷者をだしたことになる。

  これに対し被告側は「試算の基になった長期評価は信頼性がないと聞いた」(武藤元副社長)、「試算は信頼性が乏しく、外部の専門家に検討してもらうことになった」(武黒元副社長)などと主張。「信頼できなかったので対策をとらなかった」というのだ。

 判決は「長期評価」の信用性について、海底の状況の違いを考慮していない▽専門家の評価も分かれていた▽原子力安全・保安院(当時)も「参考情報として扱っていた――などとして「信頼性に限界があった」と判示。この上に立って「原発の運転停止を決断せざるを得ないほどの具体的予見可能性があったとはいえない」として、指定弁護士の主張を退けた。

 以上が裁判の要約である。私は原発の法的判断について、「許されざる危険」の法理にたつべきだとの立場である。

 自動車運転が認められるのは、道交法などの法律に基づくもので、これを「許された危険」と呼ばれており、過失については具体的予見可能性があることが前提である。これに対し、原発のような極めて広範囲にわたって人々の生命・身体に危害を及ぼすものについては「許されざる危険」として、抽象的予見可能性があれば、過失犯に問われ得る、と私は考える。

 しかし、現実の裁判では「日本は地震国だからいつか地震が起きる」という抽象的予見可能性では立証としては不十分だろう。そこで、政府の「長期評価」が具体的予見可能性の根拠となり得るものかどうかをみてみたい。

 添田孝史氏の『東電原発裁判』(岩波新書)によると、政府の地震本部は過去の地震、衛星測位システムで観測した地形のひずみなどのデータを総合して、三陸沖から房総沖の海溝寄りではM8・2前後の地震が今後30年以内に20%の確立で起きると分析した。この評価について04年に土木学会が専門家にアンケートをとったところ、7割近くが支持した。

 東電経営幹部はこうした報告も受けていたはずだ。政府の「長期評価」を「信頼できない」とするならば、一体何であれば信頼できるというのか。「1週間後に地震が起きて、津波がくる」と言われても、信頼できない、いや信頼したくないであろう。となれば、実際に地面の揺れを知覚する以外に信頼できるものはない。

 飛び出してきた子どもを車ではねた場合、「まさか飛び出すとは思わなかった」という抗弁は通らない。だが、原発という政府推進産業ならば、「まさかほんとうに津波が来るとは思わなかった」という弁明がまかり通るのである。

現代時評《ドローンテロの恐怖》片山通夫

 イージス・アショアというバカ高いミサイル防衛システムがある。

 平成30年度の防衛白書には

「イージス艦(BMD対応型)のBMD対応部分、すなわち、レーダー、指揮通信システム、迎撃ミサイル発射機などで構成されるミサイル防衛システム(イージス・システム)を、陸上に配備した装備品であり、大気圏外の宇宙空間を飛翔する弾道ミサイルを地上から迎撃する能力を有しています。北朝鮮に、わが国を射程に収める各種の弾道ミサイルが依然として多数存在するなど、弾道ミサイル防衛能力の向上は喫緊の課題である中、イージス・アショアを導入すれば、わが国を24時間・365日、切れ目なく守るための能力を抜本的に向上できることになります」とあった。

 つまり「大気圏外の宇宙空間を飛翔するミサイルを地上から迎撃」するための武器なのだそうな。

参考⇒ https://www.mod.go.jp/j/publication/wp/wp2018/html/nc020000.html

 先頃、サウジアラビアの石油施設が攻撃されて炎上した。世界の報道によると、ドローンで攻撃されたようだ。知っての通り、ドローンは非常に低空を飛ぶ。それに他の飛行物体よりも安価だ。車一台の価格で数機のドローンを飛ばせるだろう。筆者の知り合いにドローンで空撮をしている方がおられる。聞けばカメラがついて20万そこそこだとか。自動車での自爆テロに比してドローンでのテロは今回のケースを見ても非常に簡単なようだ。それに被害も大きい。過去に自動車爆弾で石油施設を炎上させるほどの被害を与えたことがあったか。下手をすればこのテロが引き金になって、アメリカ・サウジアラビアとイランが全面戦争に入るかもしれない。そんな非常事態を招いてしまった。

 かつて、自爆テロはなかった。時限爆弾や地雷などによるテロでも敷設者は安全な場所にいた。だから初めて自爆テロが2007年にアフガニスタンで起こった時は衝撃だった。今回のドローンによる攻撃は全くの想定外のことだったろう。だからなのかサウジアラビアは、迅速に韓国に対して「防空システム」の提供を申し入れた。これはもしかして2017年12月の韓国・中央日報に掲載されていた「軍が韓国型ミサイル防衛(KAMD)の核心武器である天弓(M-SAM)ブロック2を来年から量産する。新型国産地対空迎撃ミサイルの天弓ブロック2は200発以上生産される可能性」のことかもしれない。同記事によると「金泳三(キム・ヨンサム)政権から金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権まで続いた「プルゴム(エゾヒグマの意)事業」(1次1995-98年、2次2003-2006年)を通じてロシアから導入した技術を基礎としている。盧泰愚(ノ・テウ)政権が旧ソ連に貸した資金を返せなくなったロシアは韓国に武器と技術で代わりに償還する案を提案、金泳三政権がこれを受け入れてプルゴム事業が始まった。軍関係者は「天弓の性能は韓国軍が保有しているパトリオットミサイル(PAC3)より優れている」と述べた。価格はパトリオットより安い。業界関係者によると、PAC3は1発あたり100億ウォン(約10億円)程度だが、ブロック2の場合は50億ウォン程度」と安価だ。

 いずれにしてもサウジアラビアは韓国から安価なミサイル防衛システムに興味を示したのは確かだ。サウジアラビアはアメリカと強固な同盟国だ。その同盟国がアメリカの防衛システムでは役に立たないと判断すれば、他国から購入を検討する。

 一方我が国は「大気圏外の宇宙空間を飛翔する弾道ミサイルを地上から迎撃する能力」を有するというイージスアショアは産経新聞によると総額6千億円超 関連施設など含めると想定の3倍に(衛省試算)」なるらしい。

 一基数十万円のドローンで原発を攻撃されたらと思うとぞっとする。安倍首相は原発事故に関して答弁したように「そんなことは起こらない」と言い張るつもりなのだろうか。

 参考 http://urx3.nu/0skT

吉井英勝議員「海外(スウェーデン)では二重のバックアップ電源を喪失した事故もあるが日本は大丈夫なのか」

安倍首相「海外とは原発の構造が違う。日本の原発で同様の事態が発生するとは考えられない」

現代時評《飛鳥時代への思い》片山通夫

 その昔・・・まだ神話の時代のことである。伊弉冉(イザナミ)と伊弉諾(イザナギ)のお話。伊弉冉は火の神様を産んでやけどを負い亡くなって黄泉の国へ行ってしまった。島根県東出雲には黄泉の国への出入り口「黄泉比良坂(よもつひらさか)」がある。伊弉諾は伊弉冉恋しさに黄泉の国へ行ったがあまりにも変わり果てた伊弉冉の姿に驚いて逃げて帰ってしまった。根性なしである。そして筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊を行った際、天照大御神、月読命に次いで鼻を濯(すす)いだときに産まれたと古事記には書かれている。

 その素戔男(スサノオ)だが高天原で大暴れしてついには追放されて地上に降り立った。最初に降り立ったのが朝鮮半島の新羅の国だと日本書紀には書かれている。素戔男は手ぶらで倭の国へ行くのは少し体裁が悪いのか、当時倭の国よりも文明が進んでいた新羅へ降り立って、手土産を見繕った。筆者の憶測だが、まだ弥生時代で青銅器文化しかなかった倭の国に鉄器文化を手土産にしたと思われるのだ。

 当時倭の国は文化的には相当遅れていたと思うのだ。

 筆者は今更ながらだが、司馬遼太郎氏の「街道をゆく」のシリーズを読んでいる。その2巻目に「韓(から)のくに紀行」という巻がある。朝日文庫版の16ページに「大阪はこの原野に人間がほとんど住んでいなかったころ、百済からの移住者がきて拓き、そのころ百済郡という郡さえ置かれた。それが、今の生野区とか、鶴橋、猪飼野あたりらしい」

 ここにいう「百済からの移住者」たちはおそらく新羅に攻め滅ぼされた百済国の人々だったと思う。いわゆる渡来人たちである。

 ところで日本書紀一書(第四)に「素盞嗚尊の行いはひどいものであった。そこで、神々が、千座の置戸の罪を科せられて追放された。この時素盞嗚尊は、その子五十猛神をひきいて、新羅の国に降られて、曽尸茂梨(ソシモリ) の所においでになった。そこで不服の言葉をいわれて「この地には私は居たくないのだ。」と。 ついに土で舟を造り、それに乗って東の方に渡り、出雲の国の簸の川の上流にある、鳥上の山についた。」とある。

 わが国は友好国百済を助けんと唐・新羅軍と白村江で戦ったが完敗。ほうほうのていで逃げ帰った。この時百済人たちも倭国を頼って渡来した。時は天智2年8月(663年10月)のこと。

 つまり日本書紀に書かれている「新羅の国に降り曽尸茂梨(ソシモリ)」というところにいたとなっている。まさか白村江の戦いの最中でもあるまいし、それ以前の時代でもあるまい。というのは、もし百済を助けて「日本が勝っていたら」スサノオは堂々と出雲へ渡ってきたはずである。「この土地にはいたくない」というのは、土船に乗って早々に我が国へ渡ってこなければならなかったからであろう。新羅に負けたからだと思う。

 さて、我々は今、最悪の日韓関係に直面している。古代から朝鮮半島とは浅からぬ関係だったことを思うと、一時の誤りだと思いたいが、近代、特に1900年代からの両国の不幸な関係は一筋縄では解決しそうにない。

 けれど悠久の弥生・飛鳥時代に思いを馳せることができれば、新しい局面を迎えることができるかもしれない。何しろ百済人(渡来人)の血も我々には流れているはずだからだ。

現代時評《嫌韓というブーム》片山通夫

 安部政権があおっているのではないかとも思われるほど昨今のマスコミ、大手紙や週刊誌、特にテレビの「ワイドショー」と称する番組が多い。嫌韓記事や番組のことだ。

 まさに安倍政権への忖度記事や番組のオンパレードだ。

 『週刊ポスト』9月13日号が「『嫌韓』ではなく『断韓』だ 韓国なんて要らない」というタイトルで韓国批判記事を掲載した。

 まさに「嫌韓ブームに乗った」安直な記事なのだ。我が国は過去の過ち、つまり朝鮮(当時)を植民地にして大陸への侵略の足掛かりにした歴史をすっかり忘れてしまった結果が、この「週刊ポストの特集」に代表される嫌韓ブームなのだろう。はなはだしいのはこの記事の中で「ソウルは3日で占領できる」などと書いていることだ。

 いつの間にか、不戦の誓いはおろか、70数年前に戻って「戦争に向かって」突き進む時代になってしまっている。一週刊誌の記事だと侮ってはいけない。大なり小なり、このような風潮がもてはやされる時代になってしまっている。その代表が週刊ポストであり、丸山某が繰り返す「戦争で取り戻す領土」なのだ。

  「戦争は悪である」という意識が薄れてきたのだろう。いったい誰が「ソウルを3日で占領」するのだろう。自衛隊という若い兵士なのか。それとも「週刊ポストの記事にやんやの声援を送ってきた」匿名の読者?戦争や嫌韓をあおっているマスコミの連中?

 いずれも実体のない連中が売らんかなの浅はかな考えで無責任にあおっているだけだろう。

 しかし責任で恐ろしい時代になったものだ。

現代時評《頭を冷やそう》片山通夫

 安倍首相は「日韓請求権協定に違反するなど、国と国とのですね、信頼関係を損なう対応が残念ながら続いている、韓国側が続けているわけでありますが、日本はその中にあってもですね、現在の北東アジアの安全保障環境に照らせば、日米韓の協力に影響を与えてはならないという観点から対応してまいりました」と23日に記者団に語った。

 厚顔無恥とはこのことを言うのだろうか。しかし安倍首相だけのせいにしてはならない。いやできない。安倍に忖度する我が国のマスコミも大きな責任を負わなければならない。マスコミの安倍よいしょ記事に踊らされている大多数の国民のほとんどが「すべて韓国が悪い」との大合唱だ。徴用工問題もGSOMIA破棄も韓国の責任だと言ってはばからない。

 しかし少し待ってほしい。頭を冷やして振り返ってみたい。

本当に韓国政権の韓国人のせいなのか。

 もともとは日本の植民地政策にあったのだが敗戦後も日本は韓国を始め迷惑をかけた国や国民に真摯に向き合ってきたかが問題だ。日本は奇跡的に敗戦の焼け野原から立ち上がっていわゆる経済大国になった。しかしそこには朝鮮戦争(1950年6月25日 – 1953年7月27日)という朝鮮半島を舞台にした過酷な戦争で大儲けした日本があった。

 そこで日本は真摯に歴史に向き合えればよかったのに、経済第一という政策に走った。経済が強くなるといわゆる「札束」で物事を問題を解決しようとする。だから勢い傲慢になる。歴史を金で買う国に落ちぶれたのだ。それも自分に都合のいいだけの歴史を。

 慰安婦問題、徴用工問題をはじめとする日韓の問題はすべてここに起因するのではないだろうか。安倍首相をはじめとする「歴史修正主義者」たちの言動を振り返ってみればいい。彼らは韓国の文大統領や国民の反応や言葉が「ありえない判断」「日韓請求権協定で解決済み」とおうむ返しに行っているが全く「心」が感じられない。それでは相手は心を開くことはない。

 本当にこのままでは軍事衝突の危険もゼロではない。早々に安倍一派の退場を願うばかりだ。

現代時評《国の矜持》片山通夫

 参議院選が終わった。安倍首相は夏休みとばかりにゴルフ三昧だそうな。まあご自分の小遣いでやられるのはご勝手にだが、戦闘機の爆買いや、外遊のたびのバラマキはもう少し国民の懐具合や生活事情を見てからにしてもらいたいものだ。

 先週の木曜日26日、相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が殺害され、職員2人を含む26人が重軽傷を負った事件は発生から3年を迎えた。関係者はまだまだ癒されないだろうとおもう。

 そこでふと思った。知的障害者を始め、様々な持った人を抱える家族はおそらく公的なもっと手厚い保護を望んでおられるだろうと。

 もし自分の子供が何らかの障害などをもって生まれたならば、親である自分が生活を共にできる間はまだしも、自分が亡くなった後のことを思えば、いてもたってもおられないと思う。

 我が国の体裁(大国たる見栄??)を考えるなら、戦闘機の爆買いやバラマキは決して良い策だとは思えない。すべての国民が平穏にその人生を終えることができるような政策をとることが、大国の矜持だと思うのだが。

現代時評《新聞は誰のためにあるのか》:片山通夫

こんな文春の記事が目についた。

 《「なめた記事を書くんじゃない!」 二階幹事長が読売新聞に激怒》

 なんでも訪中した二階氏がまるで「先生と生徒のよう」だと、中国国内の報道をみた中国国民がネットで批評したことを取り上げた記事だそうである。

https://bunshun.jp/articles/-/11844?page=1

 その二階氏の中国での行動をここで云々(デンデンではありません)するつもりではない。二階氏が読売の記者をつかまえて、冒頭に述べたように「なめた記事を書くんじゃない!」と激怒したという。このことはつまり政権をも含めた二階氏(自民党幹事長)率いる自民党がいかにマスコミを私兵視しているかの表れだ。

 私たち国民はもっと怒らなくてはならない。新聞を支えているのは読者である。一説には大企業という人もいるが…。それでもその大企業を支えているのは我々国民だ。

 その国民をないがしろにして、二階氏が自分の「醜態」を中国ネットでこき下ろされた

と読売の報道に激怒する理由は、たった一つ。

 おごり高ぶっている自民党だからこそ言えるセリフであり態度だ。

 「もういいでしょう」とはテレビドラマの黄門様のセリフだが、国民もそろそろこのセリフを吐く準備に入らなくては・・・。

現代時評《皇位》片山通夫


 皇位とはそのまま、御座居」(みくらい)の意味で、天皇の玉座である高御座に居るという意味である。前天皇から皇位を受け継ぐことを皇位継承、または「皇位を踏む」ともいう。古代では「日嗣(ひつぎ)」が皇位と同義語である。諸外国における国王・皇帝の地位を意味する王位・帝位に相当する。

ウイキペディアに知識を求めたらこのように書かれていた。つまり天皇の位置ともいえる。今、我が国は平成から令和へと時代が変わった節目で、国中が大騒ぎである。筆者は皇室にこのように国民の眼が向くのはとても素晴らしいことだとは思う。しかしその皇位に穏やかならない噂が流れるのは決して面白くない。これは天皇や皇族にとっても同様のことである。あらぬ噂を週刊誌ネタにすべきではないと思うのである。

 まさか天皇は神聖にしてとは思ってもいないが、その天皇の皇位継承に穏やかならない噂を聞くことがある。例えば、大政奉還されて幕府から政権を受け取った孝明天皇と明治天皇の続柄。孝明天皇暗殺の噂など穏やかならぬ話が巷を駆け巡った。無論、150年もの前の出来事である。しかし一部の政治家とそれを支える人々の間では、明治に回帰することは夢だと公言してはばからないとも聞く。こうなるとまさか陛下の暗殺などは論外だろうが、皇位の継承という点からいうと女性天皇や女性宮家などの実現は全く不可能だと思えるのである。

 憲法第1条には「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と書いてあって、第2条で「世襲」と明記されている。どこにも天皇は男子に限るとは書かれていない。

 勝手に解釈するとはまるで安倍内閣の「閣議決定」だ。

現代時評《ホンマかいな?》片山通夫


 以外に強い口調で非難したと受け取れる。

《「なんとかなると思ったら大間違いだ」規制委員長 テロ対策遅れの原発認めず》

 毎日新聞が4月24日付で伝えた。筆者は目を疑った。だって言っちゃ悪いが今までなあなあの関係だとばかり思っていたからである。朝日新聞も《テロ対策施設、未完成なら原発停止 再稼働原発の停止も》と伝えている。

 原発は新規制基準でテロ対策拠点として義務づけられている「特定重大事故等対処施設」である。その規定に基づいて「原子炉の工事計画の認可から5年」とした設置期限の延長を認めないことを決めた。関西電力、四国電力、九州電力の計6原発12基は期限を1~3年ほど超過する見通しで、再稼働済みの5原発9基については施設が完成しなければ運転停止となる。(毎日新聞)

 電力会社にとっては危機である。

しかし気になることがある。

 あの官房長官が24日の記者会見で、《原子力規制委員会が電力会社に対し、テロ対策施設の完成期限の延長を認めない方針を決めたことについて「今後具体的な手続きを検討すると聞いている。原子力規制のあり方は、高い独立性を有する原子力規制委員会の判断に委ねるという政府の方針に変わりはない」と述べた》と産経新聞が伝えていることだ。

 疑い深くなってしまった筆者が悪いのか、えらい素直な官房長官だと思ってしまった。

 なにしろ、悪代官の名をほしいままにしている官房長官が「高い独立性を有する原子力規制委員会の判断に委ねる」なんて言い切っているのだから・・・・。そしてその報道は産経新聞だけでなく朝日もロイターも時事通信もカバーしていた。

 筆者でなくとも「ホンマかいな?」と耳を疑うのである。

勿論、原子力規制委員会にも菅官房長官にもである。

現代時評《ようやくのアイヌ新法》片山通夫

19日の時事通信が次のように伝えた。

アイヌ民族の誇りを尊重し、必要な支援策を盛り込んだ新法が19日の参院本会議で与党などの賛成多数で可決、成立した。法律上初めてアイヌを「先住民族」と明記。産業・観光振興などに使える交付金を創設すると定めた。公布後1カ月以内に施行される。  http://u0u1.net/WdQF  

 アイヌ民族には長い歴史がある。

アイヌ民族はいわゆる北方少数民族とされる。江戸時代にさかのぼれば、当時の樺太アイヌに突き当たる。彼らはアムール川の河口あたりのも出没したようだ。そして蝦夷地、現在の北海道にも住んでいた。北海道の一部は松前藩が治めていた。その頃の日本はいわゆる鎖国でわずかに長崎の出島でオランダ、中国(明朝と清朝)との間の通商関係に限定されていた。また朝鮮王朝及び琉球王国との「外交に限られていた。

 しかしながら、松前藩はアイヌ民族との交易にいそしんでいた事実がある。松前藩はアイヌ民族を使役し略奪したが、交易も行っていた。アイヌ民族は樺太と通じて中国との交易に参加していた。山丹交易である。山丹人とは樺太の対岸に住む人々を指した。その山丹人たちは中国(明や清朝)との交易をおこなっていた。実際は中国がアムール河口あたりまで朝貢を強いていたからであろう。ただ中国の朝貢は緩やかなものだった。

 それでも山丹人は中国の都まで時には赴いた。その時中国は様々なお土産を山丹人に贈呈した。その一部が蝦夷錦(山丹服)と言われる錦織の豪華な着物である。アイヌ人がこれを着ていた絵などが残っている。

 このようにアイヌ民族は「自由に」北の大地や樺太、時にはアムールの河口まで出かけていた時代があった。彼らは狩猟民族なのである。

 しかし明治になってアイヌ民族を日本人化させることになって、政府は勧農政策を実施し、1899年に制定された「北海道旧土人保護法」で土地の無償下付や農具の給付など優遇制度を実施したが、既に日本の開拓民たちがいい土地(この土地ももともとはアイヌのもの)を取得してしまったあとで与えられた土地が農業に適してなかったりしてアイヌの人々の生活改善には効果がなかった。

北海道旧土人保護法はアイヌ民族を次のように縛った。

アイヌの土地の没収、収入源である漁業・狩猟の禁止、アイヌ固有の習慣風習の禁止、日本語使用の義務、日本風氏名への改名による戸籍への編入などである。つまりアイヌ民族固有の文化・風習などの否定だった。

 ちなみにこの北海道旧土人保護法は、驚くなかれ、1997年(平成9年)7月1日、アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律(1997年(平成9年)法律第52号、アイヌ文化振興法)は国会で全会一致で可決成立したことにより廃止された。

 そして今日、アイヌ民族の誇りを尊重し、必要な支援策を盛り込んだ新法が19日の参院本会議で与党などの賛成多数で可決、成立したわけである。

 我々の長い歴史の中で、アイヌ民族がようやくその民族の誇りを尊重される時代になった。そして彼らが我々とともに住むこの土地の先住民であることを認めなければならない。

 これを機会に我々の住むこの国は多民族国家であることも同時に認識したい。