現代時評《叩けよ、さらば開かれん》片山通夫

筆者は決して信心深い人間ではない。むしろ無神論者にほぼ同じ、つまり罰当たりと言われるかもしれない。しかしこの程度の言葉は知っている。
「叩けよ、さらば開かれん」とは《新約聖書「マタイによる福音書」第7章から》ひたすら神に祈り、救いを求めれば、神は必ずこたえてくださる。 転じて、積極的に努力すれば必ず目的を達成することができるという意味らしい。 “現代時評《叩けよ、さらば開かれん》片山通夫” の続きを読む

現代時評plus《悩ましい日々 4》片山通夫

緊急事態宣言が3月7日まで伸ばされた。結果としての現状のコロナ禍の中、これは仕方のないことだ。ただこの宣言によってさまざまな影響が出る。変な表現かもしれないが、前政権の時は国民一人当たり10万円という給付金があった。これで息をついた家族も多くいたと思う。ところが第3次ともいわれる今、財務相は早々に今回は給付しないと言明した。菅首相は最後には生活保護がわが国にはあるとうそぶいた。国民の血税をどのように使うかという最も大切な問題を、たった一人や二人の政治屋に任せなければならばならないわが国の状況を国民は肝に銘じておきたい。
政治に無関心に多数の国民がなると、非常時といえる今、たった2人の政治屋に国を誤らせることになる。冒頭に「現状では仕方のないことだ」と書いた。しかし今に至るまでこの自民党政権の無策がこの現状を招いたといっても過言ではない。新自由主義だかなんだか知らないが、国公立病院の統合や予算削減、保健所などの統合、人員削減など、いわゆるセーフティネットの予算を削減してきたつけが今押し寄せてきているのではないか。今更書きたくないが日本国憲法には《(第二十五条)すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。》とある。今こそ首相に生活保護があると言わさないため、国民は政治にもっと関心を持たなければならない。
*筆者註:生活保護を受けるということが悪いというのではない。生活保護を一般に国民の間に行き渡れば、つまり憲法25条の条文の通りに生活できれば、もっと言えば国民すべてが医療保険と生活保護を受けることができる国になればそれはそれでいいという意味であり、今のような状況で窓口で断られる状態で首相に「わが国には生活保護がある」とは言ってもらいたくはない。ただどこかのバカ学者が「ベーシックインカム7万円」といったのにはあきれた。一度その金額でアンタが生活してみなと言っておく。

現代時評《首相!華麗な変身を》山梨良平

自粛警察とは大きな災害発生時や感染症の流行に伴う、行政による外出や営業などの自粛要請に応じない個人や商店に対して、偏った正義感や嫉妬心、不安感から、私的に取り締まりや攻撃を行う一般市民やその行為

コロナ禍の中、○○警察なる自粛警察がはびこって来ているようだ。最近ではウレタンマスクをしている人を攻撃するウレタン警察なんてものも出てきたとか。
自粛警察の典型例は「県外ナンバーは帰れ!と怒る人の正義感」という記事もみた。少し冷静になれば、県外ナンバーといったって道路一つ隔てて県外、または引っ越してきて県外ナンバーなのかもしれない。自然災害の途に、日本人は優しい、お互いに助け合って災害を乗り越えている姿に感動したなどと外国人から褒められたり、その姿が外紙に掲載されたりしたあの日本人はどこへ行ったのだろう。○○警察はなぜ生まれたのだう?と疑問の思う人も多い。こんな時だ、優しさをなくすことはしたくない。

話は変わって、ようやくコロナ禍の中で国会が開かれた。菅首相をはじめ内閣は失礼な話だが全く体をなしていない。今最も必要なのは国を、国民を滅ぼさないようにすることだろう。菅内閣は一体なのを守ろうとしているのか、はなはだ疑問だ。議論は全く議論の体をなしていない。菅氏の最も悪い面が前面に出てきている。1月27日の参議院予算委員会で立憲民主党の蓮舫氏は「そんな答弁だから、(国民に首相の)言葉が伝わらない」と迫ると、「少々失礼じゃないでしょうか」と色をなして反論。」したという記事を見た。
詳細は上のリンク先の毎日新聞をお読みいただきたいが、彼女の首相に対する言葉は少々きついかもしれないが、的を得ている。もちろん物には言いようということもあるが、首相の木で鼻をくくったような答弁や官房長官時代の記者会見を見てみると、まったく「(国民に首相の)言葉が伝わらない」はその通りだ。

アメリカで新大統領が「分断から融和へ」をモットーにスピーチをした。菅首相も「国民の支持をバック」に、このコロナ禍のなか、大胆な政策を打ち出せれば、まさか二階幹事長も経済優先でNOとは言えないだろうと思うのは甘いのか。もちろん前提に「国民の圧倒的な支持」が必要だが…。

それこそ、こんな言い方は失礼だが、どうせ現在の支持率も低いし、下手をすれば早晩退陣ということになる。それなら、歴史に名を残してもらいたいものだ。マスコミと野党とそれに続く国民を味方につけて「華々しい退陣覚悟」の政策を打ち出すべきだ。

菅首相!こんな困難も、天が与えた好機ととらえてみては?

現代時評plus《悩ましい日々 3》片山通夫

「日月潭、今月末から3月上旬まで桜のシーズンに 名所でイベント/台湾」これは台湾の通信社「フォーカス台湾」の記事。昨年や一昨年の記事ではない。今年1月28日の穂日付。ちょっと読んでみたい。

(南投中央社)中部・南投県の景勝地、日月潭周辺では今月末から3月上旬にかけて花見のシーズンを迎える。桜の開花に合わせて周辺の桜の名所では各種イベントなどが開催され、花見客を出迎える。(中略)校内に約1000本の桜が植樹されている?南国際大学(南投県)では、交通部(交通省)観光局日月潭国家風景区管理処と同大の共同で来月2日から3月14日まで桜フェスティバルを開催。お茶会やピクニックイベント、音楽やダンスのステージなどが催される。同管理処は、伊達邵親水歩道や慈恩塔歩道、魚池郷香茶巷、有水巷、金龍山歩道、信義郷光復巷などでも花見を楽しめるとして、来訪を呼び掛けている。

花見のシーズンで客寄せのニュース。そこにはコロナの一字もない。一年前から徹底した管理・封じ込めをした結果だ。

ではどのようにしてコロナを封じ込めたか?

東京都の1日の新型コロナ感染者がついに800人を超えた。かたや台湾ではコロナ対策が奏功し、4月12日以降、国内感染者ゼロが約250日続いている。日本と台湾の政府によるコロナ対策は当初から大きな差があった。その最たるものは水際対策の初動の遅れとミスジャッジだが、マスク供給をめぐる対応でも大きな違いがあった。台湾では2月にはマスクを国民全員に配布するシステムとマスクの在庫を知らせるマスクマップを作りパニックを防いだ。これらを実現できた背景にあるマスク国産化への政治決断と医療デジタルネットワークについて紹介する。(アジア市場開発・富吉国際企業顧問有限公司代表 藤 重太)
DIAMOND ONLINE から

現代時評plus《悩ましい日々 2》片山通夫

【ワクチン考】

昨年暮れから世界の国々で新型コロナのワクチン接種が始まったことは広く報道されているのでご存じのことと思う。ワクチン接種で世界で様々な問題が起きているようだ。
接種した方が亡くなったというニュースには接していないが、アレルギーを引き起こすという事例がとか。
また不浄とされる豚の成分が含まれているワクチンに対するイスラム社会の反発もやるせない。この豚成分が含まれているというワクチンがすべてのワクチンを指すのか、特定のワクチンを指すのかはわからない。困ったのはイスラム国家やイスラム教を信じる人々が多く住む国や社会だ。
イスラムの戒律は厳しい。ゆえにイスラムを信じる人たちの間でワクチンの接種が不安視されている。幸いなことに世界最大のイスラム教徒人口を抱えるインドネシアやアラブ首長国連邦(UAE)でも「問題なし」とするファトワを出し、現在は接種が進んでいる。
註:ファトワ:ファトワを発令する権利があると認められたムフティーと呼ばれるウラマー(イスラム法学者)が、ムスリムの公的あるいは家庭的な法的問題の質問・要請に対して、口頭あるいは書面による返答として発せられる。 “現代時評plus《悩ましい日々 2》片山通夫” の続きを読む

現代時評《首相の危機管理能力》井上脩身

東日本大震災からあと1カ月余りで10年になる。26年前の阪神大震災、昨年からのコロナ禍を合わせて、この四半世紀の間に我が国は百年に一度の災禍に三度も遭遇することになった。阪神大震災は「地震が起きない」とほとんどの人が思い込んでいた関西で発生、東日本大震災は「安全」のはずの原発が過酷事故を起こし、コロナ禍については、「中国のこと」とよそごと視したのがつまずきの元となった。こうした国難に際し、時の総理大臣に求められるのは的確でかつ迅速な対応能力である。新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言下の今、国民の命を守るうえで、国のトップリーダーとしての危機管理力が問い直されるべき時であろう。 “現代時評《首相の危機管理能力》井上脩身” の続きを読む

現代時評plus《悩ましい日々》片山通夫

【初めに】

コロナウイルスから派生したと思われる新種が南アメリカあたりから出て、イギリスで多数発見されたという。一方わが国でも海外渡航歴のない方からも発見された。コロナウイルスがここまで蔓延すると一年前に誰が想像しただろう。まさに青天の霹靂。私は全くの素人であり、過去に取材先にはアフリカ諸国を避けていた経緯がある。野口英世氏博士の研究で名高い黄熱病やエボラ出血熱など感染症に対する恐怖があったことは事実。

ところで唐突にもワクチン担当相に河野氏が就くことになった。ワクチンの輸送や保管、会場設定といった接種をめぐる実務全般の管理だ。任務は厚労省だけでなく、ワクチンの輸送を扱う国土交通省、保管する冷凍庫に関わる経済産業省などに幅広くまたがるため、担当相には調整力が求められるが、独善が多い今までの彼の言動を見ると調整力に期待できるか疑問符が付く。決して彼が適役だとも思えない。東京オリンピック・パラリンピックを開催すると固い決意の菅首相だが、もし河野担当大臣が「失敗」すれば、オリンピックどころではないことになる。菅首相も姑息な手段に転じた。「失敗すれば」すべてを担当相に押し付けて、オリンピック開催もコロナの収束もできない無能大臣として後世にその名を残すことになる。 “現代時評plus《悩ましい日々》片山通夫” の続きを読む

現代時評《対応を誤る日本政府、それを糊塗するNHK解説委員》片山通夫

アメリカの建国時の話ではない。表現は悪いが世界のどこかの発展途上国での話でもない。独裁国のクーデターでもない。2021年1月のアメリカの首都ワシントンで起こった。
テレビでは「トランプにあおられた群衆」があろうことか国会議事堂に押し寄せた状況を伝えていた。連邦議会では大統領選の結果を認定する手続きが進められていた.

乱入者は下院議長の執務室や議長席に座ったという。これは明白な「議会占拠」である。この衝撃を受けて各国首脳は次のように非難したコメントを出した。 “現代時評《対応を誤る日本政府、それを糊塗するNHK解説委員》片山通夫” の続きを読む

現代時評《五輪のためのGo To政治》井上脩身

「オリンピックは災害だ」コロナ前から中止を訴えていた人々  https://blogos.com/article/505936/

 コロナに明け暮れた2011年はあと2日で幕を閉じる。迷走をつづけた政府のコロナ対策の極め付きはGo Toトラベルであろう。新型コロナウイルス第2波さなかの7月に事業が開始され、急激に感染が拡大した第3波中の12月14日になって突如、菅義偉首相は年末年始の間の停止を発表した。私は「首相はGo Toを一時的といえどもやめない」と予想していただけに、この決定は首相の本心ではない、とみた。はたしてその夜、首相は銀座のステーキ店で、王貞治・元福岡ダイエーホークス監督ら8人程度で会食し、野球の話をしていたことが判明。首相の頭の中は東京オリンピックしかないのではないか、との私の疑念は決して的外れでないことが実証されたように思えた。Go Toの一時停止は1月11日までである。感染状況いかんにかかわらす、翌12日に首相はGo Toを再開するにちがいない。「Go To五輪」のために、国民は新しい年もまたコロナの恐怖のなかで、自粛暮らしを余儀なくされる。 “現代時評《五輪のためのGo To政治》井上脩身” の続きを読む