現代時評《無関心と付和雷同》片山通夫

映画福田村事件パンフレット
関東大震災(インターネットから)

 

 

 

 

 

 

 

 

この前の土曜日、映画を見るためにバス停にいた。なかなか来ないバスを待って。もう9月も9日なのに暑い日だった。ひとりの男性が道路の向かい側で何かビラを配っていた。通る人はだれも見向きもしないし受け取らない。少し興味があって男性に近づいた。彼が配っていたビラには「憲法は希望」と書かれていた。つまり「憲法9条を守れ」という趣旨のビラだった。バスが来たのでビラだけ受け取った。

映画は「福田村事件」という映画だ。1923年(大正12年)9月6日、関東大震災後の混乱および流言蜚語が生み出した社会不安の中で、香川県からの薬の行商団(配置薬販売業者)15名が千葉県東葛飾郡福田村(現在の野田市)三ツ堀で地元の自警団に暴行され、9名が殺害された事件に基づいて制作された。(末尾の参考を参照)

関東大震災のあと、流言飛語が飛び交った。たとえば東京などでは「朝鮮人や共産主義者が井戸に毒を入れた」というデマが流れ、それを信じた官憲や自警団などが多数の朝鮮人や中国人、共産主義者を虐殺した事件があった。先に述べた事件が起こった福田村は千葉県内。同じ千葉県では「朝鮮人を恐るるは房州人の恥辱である。朝鮮人襲来など決してあるべきはずでない」、「もし朝鮮人が郡内にいれば、さだめし恐怖しているに相違ない。よろしく十分の保護を加えられるべきである」と

9月と言えど炎天下の今日、なかなか受け取ってもらえない憲法を守る9条の会のビラ。一方は小さなシアターでほんの10人ほどの映画福田村事件の観客の映画館。この二つの出来事を筆者は一日で経験した。映画を見た後、なんとなくその場を立ち去りがたくて映画館に併設された喫茶店でお茶を飲んだ。筆者はこのロシアによるウクライナ侵攻前に、サハリン残留朝鮮人の歴史などを調査していた。サハリンがまだ日本統治下で樺太と呼ばれていた時代、植民地だった朝鮮から6万人(北海道新聞調べ)以上の朝鮮人を労働者として樺太に移住させた。しかし日本が戦争に敗退して「ほとんどの日本人が帰国した」中で、朝鮮人たちはそのまま樺太に放置された。理由は「彼らは日本人ではない」と理由からだった。

そんな中、樺太では「福田村でのような虐殺事件」が起こった。それは瑞穂事件と呼ばれ、瑞穂村の日本人は「朝鮮人らをソ連のスパイではないか、事態に乗じて略奪をするのではないかと疑い、近所の朝鮮人らを抹殺することを決意した。そして8月20日から8月23日にかけて27人の朝鮮人が惨殺された。また、上敷香(現レオニードヴォ)事件という虐殺事件も起こった。1945年8月18日(もしくは17日)に南樺太の敷香郡敷香町上敷香(ポロナイスク市管区)レオニードヴォ)で起こったる朝鮮人虐殺事件で被害者数はソ連側によって行われた現場検証では18名の遺体があったとされている。

長々と樺太での事件を紹介したが、福田村事件や樺太での朝鮮人虐殺事件を読んでいると、人間と言うものは、付和雷同の末、人を虐殺しても口を拭い、また一転して生活の根源である憲法を変えようとする勢力にはまったく関心を示さない、つまり無関心でいることができる。ある意味恐ろしい存在だと思う。もう少し歴史に目を向けて評価し、憲法にも目を向けて考える習慣を持ちたい。

無関心は付和雷同を呼ぶ。

【参考】

福田村事件公式サイト
https://www.fukudamura1923.jp/

(以下ウイキペディアより)

福田村事件
https://onl.bz/1XTCSZ1

瑞穂事件
https://onl.bz/3hfkwc8

上敷香事件事件
https://onl.bz/jArUxdc

現代時評plus《中国の非難、安易に乗るな」片山通夫

世界一の輸出大国となった中国 ― 貿易大国から貿易強国へ ―

昨今、中国への非難論調が、マスコミ、政治家、それに乗っかった右翼的な人々などから多くなった。安部政権以来、岸田政権に至る現在まで、何かと言えば中国非難である。仮想敵国ではなく立派な「敵国扱い」。汚染水(処理水)放出に関して、中国は日本からの魚介類の輸入を全面禁止措置をとった。これに対していうなれば国民挙げてとは思わないが、ここぞとばかり中国嫌いや高市早苗議員など時流に乗るのに過敏な政治家を交えて中国に対して非難ごうごうである。高市早苗議員は真贋は不明だが「反対にこちらからも中国産を輸入禁止に」と叫んだとか。「ホンマかいな」と疑うレベルである。いったい我が国と中国の貿易高を彼女は把握しているのだろうか。ジェトロの調査発表で2022年度の輸出は前年比10.3%減の1,848億3,070万ドルと、過去最高を記録した前年から減少に転じたが、2011年(1,942億9,627万ドル)に次ぐ過去3番目の金額となった。これを全面禁止にすると我が国は代替えの輸出入先をすぐに決められるか大いに疑問である。つまり確実に干上がってしまう。国民も落ち着いて、思慮の浅い議員の口車に乗らないで、考えて欲しいものだ。マスコミもそのような政治家の言動には真っ向から否定してもらいたい。
もう中国は1945年以前の中国ではない。
今や立派な技術大国であり資源大国でもある中国を真正面から見る必要がある。パートナーとして理解する必要がある。いたずらに敵視するのでなく。

 

現代時評《関東大震災100年に思う》片山通夫

関東大震災で燃え盛る町と避難する人々

今年は関東大震災から100年。一世紀の昔なのだから時代も違う。情報の伝わり方も違うと思う。正確さから言えば、関東大震災当時と比べれば現代は驚くほど早くて正確だろう。当時「流言飛語」という言葉がはびこった。読んで字のごとく、根拠がないのに言いふらされる、 無責任なうわさをいう。今でいうデマである。大震災は1923年9月1日11時58分32秒に発生し、死者・行方不明者は推定10万5,000人で、明治以降の日本の地震被害としては最大規模の被害となっている。一方で作家の芥川龍之介はこの自警団に参加し活動をしていたことが分かっているが、自警団の異常な殺戮行為に対して「自然は唯冷然と我我の苦痛を眺めている。我我は互に憐れまなければならぬ。況や殺戮を喜ぶなどは――尤も相手を絞め殺すことは議論に勝つよりも手軽である」と批判をしている。つまり芥川龍之介は自警団の虐殺を目撃していたのだ。 “現代時評《関東大震災100年に思う》片山通夫” の続きを読む

現代時評《『屍の街』にみるヒロシマの心》井上脩身

広島原爆の日の8月6日、松井一実広島市長は平和宣言のなかで、5月のG7広島サミットに触れ、「真の世界平和を祈念する『ヒロシマの心』は、皆さんの心に深く刻まれているものと思う」と述べた。「ヒロシマの心」とは被爆者の実体験から生み出された憤怒の心にほかならない。だが、78年がたった今、それを表現できる被爆者は少なくなり、悲劇の伝承が難しくなっている。こうしたなか、原爆文学作家、大田洋子の小説『屍の街』の原稿を世界記憶遺産として申請されることになった。登録されるためには、政府のバックアップが不可欠だ。「広島出身」が看板の岸田文雄首相の核問題に対する本気度が試されている。 “現代時評《『屍の街』にみるヒロシマの心》井上脩身” の続きを読む

現代時評《歪(いびつ)な日本》片山通夫

最近の報道によると、中国電力が中間貯蔵地の建設調査を山口県・上関町に要請し、町長はこれを容認したらしい。容認の理由は「町は急速に疲弊が進み、就任以来強い危機感を抱いている」というから、いわゆる原発マネーをあてにした「容認」だと言える。

ともあれ、地方の町はすべからく人口減とそれに伴う財政難に苦しんでいる。無論例外はある。有名な観光地を控えている大都市周辺の町や、国際空港に隣接していて、税収がある町など、特別な状況にある町、それに東京のように人口が集中している大都会なども、経済的には裕福だ。この傾向はいわゆる高度経済成長の時代の弊害が今に起こっているのだと思う。一極集中する首都・東京から先日京都に文化庁が引っ越してきた。しかし東京の中央官庁の一部門が越してきても、役人はせっせと東京に通うだけだろう。

こんな話をだいぶ以前に韓国の地方の町で聞いたことがある。李氏朝鮮の時代、首都ソウルから地方には日本でいう「代官」が派遣されていた。競争社会である官僚たちは地方の民の生活をよくすることには目を向けないで、己が出世だけを目標として、中央ばかりを見ている。おのずから地方は搾取の対象として疲弊してゆく。民は苦しむばかりだったという。

今の我が国も同様の状況だと言える。先に述べた上関町のケースを見ても決して経済的には裕福な地域ではないだろう。人口は減るばかりで税収も乏しくなる。そんな中での原発の廃棄物の中間貯蔵の容認とはいささか悲しい。「町を壊す」、「金ないんじゃけ…」と地元は対立した。一方東京だが明治神宮外苑の多くの樹木を伐採し、ビルやスポーツ施設などを建設する計画がある。東京はますます大きくなってゆく。

地方に対する手当を早急にすべきだ。あまりにも不均衡な状態では国力も衰える。太平洋岸のベルト地帯だけが日本となってますます他は衰えてゆき、高年齢者は死ねばよいなどと荷物扱いする輩が大手を振って歩くく日本にはしたくない。原発マネーで生き延びる町など決して美しくもうれしくもないと思う。そうせざるを得ない日本を憂う。

すでに我が国は歪(いびつ)になってしまっている。

現代時評《敗戦の朝に思う》山梨良平

1945年8月14日ホワイトハウスにて日本のポツダム宣言受諾を発表するハリー・S・トルーマン米国大統領

1945年8月15日正午、天皇はラジオで放送された「玉音放送」で、日本政府が前日に決めたポツダム宣言受諾及び日本の降伏を国民に公表された。ポツダム宣言とは7月26日にイギリス、 アメリカ合衆国、中華民国の政府首脳の連名において日本に対して発された全13か条で構成される宣言を指す。
https://onl.tw/RyBd6Hm

当初、日本政府はこの「無条件降伏せよ」との宣言を軍部の圧力で無視することとした。その後、アメリカはヒロシマに6日、ナガサキに9日原爆が投下した。つまり簡単に言うとポツダム宣言を無視する日本政府に業を煮やした連合国は戦争を終結させるために原爆を投下したと言うことになる。おかげでヒロシマもナガサキも今に至るまでその傷跡に苦しんでいる。

歴史に「もし」は禁句だが、「もし、7月中にポツダム宣言を受諾」していれば、おそらく原爆は投下されなかった。この「無条件降伏」とは、1945年7月26日のポツダム宣言を受け入れると言うことで、この宣言には全日本国軍隊の解体のほか、軍国主義の破棄、本土の占領などの諸条件が課せられていた。これらの条件を国家として無条件に受け入れることを要求されたのである。なかなか軍部は納得できなかっただろうと思う。何しろ国民の命よりも国体と言う意味不明のモノを尊ぶ思考だったからだ。
https://onl.tw/axQFV6w

この戦争で無条件降伏をしたはずの日本だが、実際は国際政治の波に翻弄される。最初の波は今もその影響を引きずっている、A級戦犯だった岸信介を米国の都合で戦犯から解除されて利用された。またその孫である安倍晋三は岸信介の跡を継いで日本の政界を渡り歩き首相にもなったが凶弾に倒れた。岸が絞首刑を免れ天寿をまっとうできたのに、孫の安部は凶弾に倒れたのは皮肉だ。
今一つは日本の戦後の復興も朝鮮戦争でもたらされた。朝鮮戦争特需で日本は生き返ったという。

話を戻す。欧州ではドイツが、東南アジアではベトナムが、そして東アジアでは朝鮮がそれぞれ南北に分断されて同じ民族がにらみ合った。朝鮮半島ではいまだに分断国家としてにらみ合っている。これらの歴史は読者にとっても周知の事実なのでこれ以上は書かないが恐ろしくも残念なことである。

そして2023年8月15日を今日迎えた。日本はこの78年の間に何を学んだのだろうか。確かにいわゆる平和憲法を手に入れた。一部ではアメリカの押し付け憲法だと言われながら。
どうも日本人は「喉元過ぎれば熱さを忘れる」傾向がある。もっと言えば「あったことをなかったこと」のようにふるまう。いや、あったことすら忘れてしまうようだ。そして都合の悪いことは隠ぺいする。最近この傾向が顕著だ。たとえば昨年7月、岸信介の孫が凶弾に倒れた。その国葬を大方の国民の反対を押し切って岸田内閣は閣議だけで決定し実行した。このほど共同通信が情報公開請求した安部氏の国葬の出席者名簿の氏名は74%黒塗りだったと明かした。出席者の7割以上を隠さねばならない国葬って恥も極まれりだ。
比べてはまことに失礼ながら、同じ国葬でも英国のエリザベス女王の場合とつい比べてしまう。

最後に、台湾を訪れた麻生自民党副総裁は台北で講演し「台湾海峡の平和と安定には強い抑止力を機能させる必要があり、そのために日米や台湾には《戦う覚悟》が求められている」と述べただ。中国はもとより、台湾をいさめて戦争の回避を探るべきだと述べるのならともかく、煽ってどうするつもりだ。無責任な自民党副総裁である。

筆者は、8月15日の朝を迎えて、78年と言う歳月はここまで政治を劣化させると感じながら、戦争犠牲者の冥福を静かに祈りたい。 合掌
◇参考
ジャーナリスト桐生悠々(1873~1941年)が執筆し、1933年8月11日の信濃毎日新聞に掲載された「関東防空大演習を嗤ふ」全文

現代時評《これでも戦争しますか?》片山通夫

「終戦(敗戦)の日」を1週間後に迎えて、いや明日はナガサキ(1945年8月9日午前11時2分。)に原爆が投下された日。先日のヒロシマと言い悲惨な戦争だった。改めて平和を誓う現代時評にしたい。

先の戦争を経験された人々、つまり兵士は無論、空襲にあわれた人たちの記録などを見ていると戦地では「弾も食料もなく、亡くなってゆく兵士たち」の類の悲惨な話をよく聞く。
また満州国とやらを建国し、最後にソ連軍が攻めてきた時には日本軍はすでに、転進と言う名の逃亡をし、残された国民は散々な目にあったという話も聞く。国民はソ連兵の傍若無人の略奪に恐れおののいたという。

最近、安倍内閣以来、現在の岸田内閣に致るまで、世界に誇れる日本国憲法を戦争を出来る憲法に変えようとする動きが顕著だ。たとえば、暗殺された安部元首相は「自分たちが専制や隷従、圧迫と偏狭をなくそうと考えているわけではない。いじましいんですね。みっともない憲法ですよ、はっきり言って。それは、日本人が作ったんじゃないですからね。そんな憲法を持っている以上、外務省も、自分たちが発言するのを憲法上義務づけられていないんだから、国際社会に任せるんだから、精神がそうなってしまっているんですね。そこから変えていくっていうことが、私は大切だと思う」とインターネット番組で話したという。(朝日新聞・2012年12月14日)
しかし筆者はこのような風潮を憂える。危惧する。

たとえば「台湾有事」が言われている。日本も参加する勢いで「台湾有事」を捉えている向きもあるくらいだ。こんな時、戦争に巻き込まれたら、もしくは岸田首相が閣議で決めてしまった「敵基地先制攻撃」を行使したら、日本は戦争に参加することになる。
一歩下がって冷静に日本のおかれている今を考えて見てほしい。
輸入大国日本にはは食料自給率38%(農水省)しかないという。海を遮断されたら食料も原油も入ってこない。原油輸入には長いシーレーンが控えている。石油備蓄は約7,655万klで約244日分(2021年3月末現在)。どの国がこの長いシーレーンを越えて原油を日本に運んでくれるのか?

高齢化率は28.4%となっていて若者の世代が減少している。
極論だがオリンピックや万博など、多大な費用がかかる国際イベントはやめることが我が国には重要だ。つまり浮かれている状況には我が国はないと思う。
今、ロシアがウクライナで戦争している。無論ウクライナも反撃していて日々伝えられる状況は泥沼の悲惨な状態だ。あんな状況に日本がおかれたら、古都奈良や京都、鎌倉ならども吹っ飛びそう。いやそれよりも54カ所あるという原発が危ない。

もうかなり以前だが、筆者はロシア沿海州のウラジオストックの目の前に日本海が広がっている海辺にいた。夕方だったかと思う。三々五々、人々は思い思いの姿で海辺を散歩していた。一人のロシア人男性が筆者を捕まえてこれが「太平洋」だと言った。「いや、この海は日本海だ」と言ったが彼は「太平洋」だと譲らない。「この海の向こうには日本がある」というと「アメリカだ」と。つまり彼の頭では日本の国土なんて取るに足らない小さな島だということのようだ。(あー、腹立つ!)

町の声から。石油も天然ガスも石炭もウランも輸入!エネルギー資源のない日本は、エネルギー資源輸入ができなくなれば、餓死者が出る!戦争が起きれば、1年かからずスマホが止まり、交通も物流も電気もガスも水道さえ止まる!戦争しちゃいけない国が日本だ!

それでも戦争しますか?

◆現代時評plus《虚構の国・日本》片山通夫

大阪万博開催日まであと2年を切った。巷間言われているように、外国の出展が順調でない。パビリオンの建設申請が7月半ば時点でゼロだという。一方で同万博の前売り券を関西企業に200億円分購入依頼が協会からなされた。また大人約5000円と想定していた入場券の基本料金を、7500円に引き上げられた。ウクライナとロシアの戦争に端を発した物価上昇と人材不足があいまって万博の開催が危ぶまれている。
一方大阪府・市が実現を目指すカジノを含む統合型リゾート(IR)について「2029年の開業が難しいというのは当事者の共通認識」と述べ、開業時期のずれ込みに言及した。

この夏、汚染水を処理水と言い換えて、得るはずの地元の了解を得られないまま1キロ先で海に流すと東京電力と岸田政権は決定したようだ。当初は地元の理解を前提にと言っていたがどうも強硬する姿勢である。筆者が気になるのは「汚染水」を「処理水」と言い換える事だ。この国には「侵略」を「侵入」と表現し「退却」を「転戦」と言い換える便利な文化」を持つ。

どうもここ10年余りの日本の政府は自分たちの「利益や保身」を最優先して、大多数の国民の利益を考えることはなかったようだ。だから最近多い豪雨や台風の被害など自然災害にもあまり目を向けてこなかった。そして遂には旧統一教会と結託したと言ってもいい位の仲で信者の過程を崩壊させる「安部広告塔」となって信者の家族に謀殺された。
しかるに自民党の内部では「安部の神格化」を目論んでいるようだ。安倍晋三元総理留魂碑の建立がその形として表れている。

このような「虚構の世界」に身をおいて生きている自民党の面々は決していま我が国がおかれている悲惨な現実を真正面から見ようとしない。少子高齢化、食料自給率38%、北朝鮮にも劣る宇宙ロケットの技術、旧統一教会問題、福島原発の汚染水、最近はマイナンバーカードのドタバタ・・・・。挙げればきりがない。

まさに「虚構の国・日本」に棲む政治家、財界人そして官僚・・・。

現代時評《公文書》片山通夫

公文書危機 闇に葬られた記録(毎日新聞)

公文書等(国の行政文書等)は国及び独立行政法人等の諸活動や歴史的事実の記録であり、国民共有の知的資源です。このような公文書等を適切に管理し、その内容を後世に伝えることは国の重要な責務です。(内閣府公文書管理制度

この「適切に」管理し・・・と文言通りに行かないのが我が国の現状だ。文春で「今、公文書を軽視する風潮がひろがっている」と痛烈に批判したのは福田康夫元首相だ。
今年(2023年)3月の国会での質疑で高市経済安全保障担当大臣が、総務省の公文書を「まったくの捏造だ」と批判して波紋を呼んだことは記憶に新しい。この文書の作成当時高市氏は総務大臣だった。また、安倍晋三政権下では「森友学園問題」や「加計問題」、さらには「桜を見る会」をめぐっても、公文書の改ざんや破棄がおこなわれていたことが発覚している。

こうした事態を福田康夫元首相は「文藝春秋」誌上で「公文書は『国家の証し』そのものである」としたうえで、近年の政治家の「権力の用い方」に大きな懸念を表明し警鐘を鳴らした。

福田氏は〈まず最初に強調しておきたいのは、公文書は「国家の証し」そのものである、ということです。わが日本国がどのように成り立ち、国家の仕組みや制度がどんなふうに出来上がってきたのかを証明する大切な証拠なのです。私は若い頃、アメリカの公文書館が膨大な文書を保管し、きちんと公開していることを目の当たりにし、大きな衝撃を受けました。民主主義国家の底力を見た思いがしました。そこで、私が官房長官と総理大臣の頃、公文書管理法の制定に道筋をつけたのです。ところが、近年公文書を政治家が「捏造」と決めつけるとか、官僚が改ざんをするといった、とんでもない事件が立て続けに起きた。(中略)これは「権力の行使」に大きな問題があると考えられます。さらには「政治主導」に起因する問題もあります。〉

安部政権時代は政治家が中央省庁の官僚を「顎で使い」、言うことを聞かない官僚は「内閣人事局」管理しだした。この制度は政治家が官僚を意のままに動かすという制度にもなり、まさに安部政権とそれに続く現政権まで公文書管理の面でもいわゆる「忖度」ということが横行している。筆者など安部政権時代にはじめて政治の場での「忖度」ということがあると知って驚いた記憶がある。

先に述べた高市氏の「公文書は捏造だ」と国会で述べた答弁は高市氏の心に頭にこびりついた「安部時代からの垢」なのかもしれない。高市氏は国会の追及を「捏造」という言葉で乗り切ったつもりだろうが、その発言の記録は永久に残る。きっと招来に恥ずかしい思いをすることだろう。

現代時評《傭兵会社ワグネル》片山通夫

盤石の体制だったと世界が考えていたロシアのプーチン体制の一角がほころび始めた。周知のように民間軍事会社ワグネルの「一日反乱」が起こったのだ。ワグネルは19世紀ドイツの作曲家のリヒャルト・ワグナーのロシア語。ちなみにウクライナで活動中の民間軍事会社の名称にモーツァルト・グループというのがある。ワグナーにしろモーツアルトにしろ迷惑だろうな。所でそもそも傭兵の歴史は古いようだ。
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