ONCE UPON a TIME 外伝 ”まずはBarへ。#2”片山通夫

なんとも皮肉な名前のカクテル。自由キューバ!コカコーラはアメリカの象徴、そしてキューバのラム酒。
ボクは片言の英語でバーテンダーの男とそのことを教わった。そしてこの飲み方は米西戦争時の米軍将校が飲んだの見方だったとか。ちなみにアメリカでコーラは1886年ごろから薬として販売されていたようだ。

クーバ・リブレ
ライムジュースは、ライム1/4個をグラスの上で搾り、そのままグラスの中に落し入れるか、またはグラスに飾って飲み手の好みで酸味を調整するか、どちらでもよい。ただし、この場合はマドラーを添える。1900年、キューバ独立戦争(米西戦争)時、スペインからのキューバ独立を支援するアメリカ陸軍通信部隊のラッセル大尉が、ハバナのバーで、このレシピでの飲み方を愛した。8月のある夜、その飲み方を真似た兵士たちが大いに盛り上がり、大尉に乾杯の音頭を迫った。大尉は乾杯の言葉として「Cuba Libre」(キューバの自由のために)と発し、それがカクテル名になったと伝えられている。「キューバ・リバー」の表記も多くみられるがあくまで本来は自由なので!。
参考

現代時評《超法規の国、ロシア》山梨良平

ウクライナにロシアが侵攻してはや一年が経とうとしている。この一年、男をあげたのがウクライナのゼレンスキー大統領、反対に男を下げたのがロシアのプーチン大統領だ。
プーチン大統領の考えや行動には、怒りとともに呆れるが、中でも筆者が「これは!?」と思うのが傭兵組織ワグネルの起用である。ワグネルの創始者は周知のように、元はプーチン大統領の料理人だったとか。いわば一番プーチン大統領に近い立場だったのだろう。敵の多い大統領にとっては料理人は一番信頼できる人間でなければ採用しないだろう。

そのワグネルがこともあろうに刑務所で兵士募集を始めた。もちろんプーチン大統領のも黙認もしくは許可のもとにだろう。漏れ聞こえてくる話では、半年間戦争に参加すれば背負っている罪を帳消しにして給与まで払うということらしい。ということは凶悪犯も半年後には無罪放免で野放しになるということである。市民にすればとんでもない事だと思われる。

いや、市民はもちろんだろうが、ロシア国防省の面々、つまり正規軍の立場から言えば面目丸つぶれということ以外に考えられない。警察と国防軍とは様々な面で繋がっているはずだ。事件が起きて必死で捜査して犯人を逮捕し、裁判にかけ、刑務所に収容した囚人を如何に私兵と言えども、いや相手が私兵だからこそ開放を黙認できるはずがないと思う。

ところが先日突然刑務所での徴兵をやめると発表した。何処からかクレームがきたのか、ワグネルの傭兵資金が枯渇してきたのか、正規軍からクレームが届いたのか、プーチンが正規軍のクーデターを恐れたのか、理由はわからない。筆者が考えるに、おそらくこれらすべての理由からだと思う。規律を重んじるはずの軍隊が超法規のワグネルをいつまでも野放しにしているプーチン大統領に苦言を呈したのかもしれない。それにしてもワグネルの資金は何処から出てるのだろう?

影の声が聞こえてきた。安倍政権時代の我が国もあまり変わらん?
河井夫妻事件!

ONCE UPON a TIME 外伝 ”906がボクの部屋番号”片山通夫

Cubana de Aviacion

Cubana de Aviacionの機種は覚えていない。決して大きくもなければ豪華でもなかったように思う。ソ連製の機体だった。写真の一枚も撮っておくべきだった。驚いたことは機内で葉巻をもらったこと。cigarroというから紙巻タバコかと思ったら葉巻だった。そのころボクは煙草を吸っていた。他の乗客はその葉巻を吸いだしたのには驚いた。機内がもうもう・・・。

3時間ほどのフライトでのどかな空港に到着した。空港の名前は革命戦士の名前をとったホセ・マルティ空港。お断りしておくがホセ・マルティ空港をインターネットで探してもボクが降り立った空港ではないのだ。はっきり言ってえらく綺麗で豪華な空港になっている。当たり前だが。

ボクは機内で名前を呼ばれて最後に降りた。そして空港の一室に案内された。内心(これ、やばくない?)と思ったが、とんでもない。とても親切な待遇だった。そして車に案内されてハバナ市内へ。とんでもなく大きなホテルに着いた。
ホテルの名前はHabana Libre。後でわかったことだけど革命前はアメリカ資本のヒルトンホテルだったとか…。こんな豪華なホテルに泊ったのははじめての経験。古いけど。

今でも覚えていること。906はボクの部屋番号である。

ONCE UPON a TIME 外伝 ”Ciudad de Mexico”片山通夫

キューバ航空機

カタカナで書くと”シウダ デ メヒコ” と読む。そのまんまメキシコシティ。
は知らなかったが、それにメキシコ合衆国らしい。アメリカだけじゃなかった、合衆国は。
それはともかく、とりあえずホテルを探してバスの旅の垢を流した。さっぱりと!
そして日本を出るときに聞かされていた電話番号をダイアルした。日本航空メキシコ支店だった。電話の相手はボクが今何処にいるのかと聞いてきた。ホテルの名を言うとすぐにチェックアウトしてロビーで待つように言われた。
なんでもまもなくハバナ行きの便が出るらしい。ボクにとってはそんなの知らんがな…である。とにかく迎えに来てくれて空港まで送ってもらった。日本航空の飛行機に乗るわけでもないボクを親切に面倒を見てくれたわけだ。いずれにしても日本航空のお世話になった。

そして空港でまたひと悶着。搭乗手続きを済ませてまでは問題なかった。メキシコのイミングレーションも問題なかった。登場ゲートの手前で「US Emigration」と書かれた所があるので、それを見ながら「おかしいな。ここじゃないのか」とハバナ行きの出発ゲートを探していた。すると「ハバナ」と呼ぶ声がした。やはりそこだった。つまりキューバへ行く客は「アメリカの出入国管理」を再び通らなかったら行けないのだ。そこでパスポートとビザのチェック、コピー、ボクの写真をとられた。アメリカという国は何処までも厚かましい。こんな経験はずっと後でアルメニアでもあった。アメリカじゃなく、ロシアだったが。

結局少し遅れてボクは座席に座ることができた。 航空会社はCubana de Aviacion。

 

現代時評《起こるか?クーデター》片山通夫

もちろん私の単なる推論でしかない話だが、昨秋から今に至るまで、ロシアの状況はあまり芳しくないようだ。当初、つまりほぼ一年前に満を持してウクライナに攻め込んだのはいいが、ウクライナ国境付近に車列64キロが衛星写真で撮影された。無論この車列はロシア軍のものだ。つまり何らかの理由で前に進めなくなったわけだ。通常の考えでは燃料の補給や車両の不備が原因なのかもしれないと思う。プーチン氏は「キエフ(今はキーフ)を1週間で陥落させる」予定だったようだ。その64キロメートルの車列は混迷する戦況の予兆だった。 “現代時評《起こるか?クーデター》片山通夫” の続きを読む

ONCE UPON a TIME 外伝 ”メキシコはメヒコというらしい”片山通夫

グレイハウントバス

アメリカとメキシコの国境のゲートは問題なく通過できた。きっと旅行者なんてはいて捨てるほどいるのだろう。アメリカ側で一緒になったアメリカ人が十数名一緒に越えたことも大きかったのかもしれない。とにかく彼らとはメキシコシティまでは同じバスで移動するというので、まったくスペイン語のできないボクは心強かった?!少し歩くとバスの停留所があった。そこに制服も来ていない男が

タコス
サボテン
サボテン

立っていて案内している。パスポートに書かれた名前とメキシコのビザ、それにバスチケットを見せると傍らに止まっているバスを指さす。言っちゃ悪いが、まったく田舎のおんぼろバス。それまでの快適なエアコン付きのバスと雲泥の差。ついでに言うとメキシコのバスはトイレもなかった。
時折止まるバスステーションでトイレ休憩と簡単な飲み物やスナックを手に入れる。時にはバナナ、ヤシのジュース。
当然メキシコの通貨だったが、いつ何処で両替したのかは記憶にない。
何しろはじめてのメキシコの旅だったので、見るものが珍しくそちらの方に気がイっていたのだと思う。鮮明に覚えているのは人の背丈ほどもあるサボテンとタコスという食べ物。
いずれにしても今更と言われるだろうがボクには珍しかった。こうしてボクらのバスの旅は何日か続いた。

ONCE UPON a TIME 外伝 ”サンフランシスコからメキシコシティへ”片山通夫

国境を通る車(イメージ)

グレイハウント(バス会社)のチケットをよく見ると、ロサンゼルス発になっている。バスセンターでそれを指摘されロサンゼルス行のバスに乗った。その後ロサンゼルスで乗り換えてようやくメキシコシティ行のバスに乗ることができた。
記憶はあやふやだが、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴとメキシコのバハカリフォルニア州ティフアナが最西端の国境の町だった。国境はちょうど日本でいうと高速道路の料金所のような佇まい。車ももちろん国境を越えることができるが、ボクはその手前のグレイハウントのバスディーポでおろされて徒歩で渡った。国境を歩いて渡ったのははじめてだった。島国に生まれ育ったボクは「国境を歩いて渡る」というのが新鮮だったことを鮮明に覚えている。

ここで断っておくが、ボクは英語を含む外国語は出来なかった。それでも横浜からサンフランシスコの2週間で英語は何とかだいぶましになったと思っている。そしてメキシコシティの1週間余り、同じバスに乗った人たちとも仲良くなり意志の疎通は図れた。もちろん賢明な読者の皆さんのレベルでは決してない。ということはスペイン語なんて・・・。

以前、まだ学生の頃、中国へ行った。中国は「書けば通じる」所だった。しかしアメリカは・・・。ましてメキシコは!!

ONCE UPON a TIME 外伝 ”キューバへ行くのか?”片山通夫

イメージ

先に書いたように、アメリカとキューバは犬猿の仲。「キューバへ行くのか?」税官吏は驚いたように2度そう叫んだ。そしてボクのバックの中を徹底的に調べだした。特に何もないのでそれ自身は簡単に終わった。子細に調べたのは荷物よりもパスポートとチケット。(何を疑ってるのだろう?)
しかし怪しいところはないので、それも無事に終わった。最後に今も鮮明に覚えているが、彼は自分の手で自分ののど元を切るしぐさをした。「カストロ!」と言いながら。きっとそんなところへ行けば殺されるぞと言いたかったのだろう。
それでもようやくサンフランシスコの港でホテルを予約し町に出た。バスは明日出発。
ボクは「ホノルルでアメリカに入国した」と思っていたが、アメリカ本土にはまだ上陸していなかったので「入国はしていない」のだそうだ。
その夜ボクは船室で仲良くなった日本人とホテルの部屋で語りあかした。彼はウルグアイのモンテビデオへ明日午後に飛ぶらしい。キューバも人を驚かせるようだが、モンテビデオにも驚いた。

ONCE UPON a TIME 外伝 ”いよいよアメリカ”片山通夫

Golden Gate Bridge

横浜を出て2週間ほど経った。サンフランシスコに着く。しかしその前に海流の影響か海はすごく荒れた。海流のせいだとかいうらしいが、英語の説明は正直よくわからなかった。汽船は1.5万トンの大きな船。太平洋を渡って来て初めての揺れだった。揺れが収まったところで美しい橋が目の前に現れた。Golden Gate Bridgeである。なぜ金門橋と呼ばれるのかは英語がわからなかったのでその時はわからなかったと正直に白状する。
いよいよ上陸だ。体育館のような広さのイミングレーションと税関が控えている。ボクは一応アメリカの通過ビザを持っていた。通過ビザなのでその先何処へ行くのかが明確にしなければならない。ボクはメキシコへ行くといった。グレイハウントという全米をカバーするバス会社のメキシコシティまでのバスチケットを見せた。

 

ONCE UPON a TIME 外伝 ”ホノルル上陸”片山通夫

クリーブランド大統領

4月の日本は寒くはないが決して暑くはない。横浜では桜はすでに散って東北辺りで満開だと思われた。前に書いたが乗っていた豪華な客船はクリーブランドというアメリカ大統領の名前がつけられていた。
それはともかく、船はハワイ・ホノルルに着岸した。24時間だったかの滞在である。下船時の持ち物は現金、水泳具一式、カメラだった。残念ながら国際免許はもっていなかった。まさかハワイでドライブできるとも思っていなかったので、持ち出さなかった。
まず他の乗客とワイキキへ行き泳いだ。海の色は濃く雲は白く空はあくまで青かった。

そうこうするうちに泳ぐのも飽きてきたのでレンタカーを借りようということになった。船で同室の仲間とで。
書くのが遅くなった。僕の部屋は所謂船倉で窓のない6人部屋だった。
レンタカーはすぐに借りられた。ただし前金。金額は忘れた。
その車であちこち走り、最後に日本から移民してきた大家族と知り合った。
総勢20人くらいいたと思う。なんでもバナナのプランテーションで働いているとの話氏だった。夕日に映える家族写真は圧巻だった。でもカラー写真でなくて今のようにデジタルでもなかったので後日郵送するということにした。