ONCE UPON a TIME 外伝 ”剃刀が切れない、経済封鎖のせいだ!”片山通夫

ONCE UPON a TIME 外伝 を・・。

カストロ氏とソ連のフルシチョフ氏

しかしそうも言っておれない事態がボクには見えた。革命後10年。気を付けてみるとまだまだ落ち着かない状況だった。最初に経験したのは歯磨きや剃刀の不足だった。そんなもの何処にでもあると思っていたボクは浅はかだった。確かチェコ製の剃刀は見事にボクを「切られの与三」のように傷だらけにした。歯磨きは手に入らなかった。
半年という長期のキューバ滞在だったので日本大使館に挨拶に行った。その時歯磨きのことや剃刀のことが話題になった。大使館では時折メキシコへ出かけるので買ってきてあげようと言ってくれたので早速お願いした。当座の分として彼の手持ちを譲ってくれた。大使館の人って親切だった。同時にアメリカの経済封鎖を恨んだ。

ONCE UPON a TIME 外伝 ”キューバ、陽気の国#2”片山通夫

フローズン・ダイキリ

先にヘミングウエイがこよなく愛したというフローズン・ダイキリのことを書いた。このカクテルぼ作り方を後々に言葉が少しわかるようになってから、某バーテンダーに教えてもらった。ベースはラム酒。それも彼曰くは”ハバナクラブ”というラム酒。結構日本では高い。15年モノでは一本(700ミリリットル)2万円前後する。そこまで行かなくても良いとは思う。3年モノでは2000円位?。
値段はともかく、そのハバナクラブをベースにする。

●ホワイトラム         40ml
●ホワイトキュラソー      1tsp(ティースプーンの略)
●ライム(又はレモン)ジュース 1tsp
●砂糖(又はガムシロップ)   1tsp
●クラッシュアイス       1カップ
 (グラスに軽く山盛りぐらい。)

ミキサーにクラッシュアイスを入れてラムその他の材料をミキサーで混ぜる。
氷が白くシャーベット状になったら口の広いシャンペングラスに注いで二本に切った
ストローをシャーベットに差し込む。

夏になるとこれがおいしい。
あれ?ボク、何を書いてるんだろう???

お断り:Lapiz online が始まりました。是非こちらもお読みください。
しばしそちらで多忙となりそうです。
本稿はしばらく休載させていただきます。

ONCE UPON a TIME 外伝 ”キューバ、陽気の国#1”片山通夫

ハバナ旧市街で

まだまだ言葉もなにもわからなかった時に、堀田善衛氏の”キューバ紀行”という本はボクにとって最大のバイブル(無神論者だけど)だった。その中でとても印象的なエピソードがひとつあったので紹介したい。 (堀田善衛 キューバ紀行から)

すなわち、まず呑気で陽気であること、ナマケモノ、音楽好き、踊り好き、チャチャチャ、ルンバ、コンガ、ボサノバ、パチャンガ、カリプソなどの音楽のリズム、力ン高くひびきのいいスペイン語の発音、
 それから視覚に訴えるものとしては、青い青い空、パステル・グリーンのカリブ海、椰子の木、
 まるでカラーフィルムの広告のためのような風光、大きな帽子のソンブレロ、男はスペイン風のヒゲ、
 そうして女の子はオッパイが大きくて、お尻もまた立派で、部屋へ入って来るときには、まずオッパイから入って来て、出て行くときにはお尻がなかば永遠に残っている。……

わかります?この描写。ボクはこの描写の世界に迷い込んだわけである。

ONCE UPON a TIME 外伝 ”キューバ革命 #3”片山通夫

ケネディ(右)とフルシチョフ

ついでと言ってはいけないだろうけど、もう一つキューバをはさんで世界中が震撼した事件があった。キューバ危機(、英: Cuban Missile Crisis、西: Crisis de los misiles en Cuba、露: Карибский кризис)は、1962年10月から11月にかけて、ソ連がキューバに核ミサイル基地を建設していることが発覚した事件である。

ソ連のフルシチョフはまさにアメリカののど元に短剣を突きつけたのだった。
事件は、1962年夏、ソ連とキューバは極秘裏に軍事協定を結び、キューバに密かに核ミサイルや兵員、発射台、ロケット、戦車などを送ったことに始まる。アメリカの偵察機がキューバのに建設されたミサイル基地を発見し、事態は大きく報道されてアメリカのケネディ大統領とソ連のフルシチョフ第一書記の間で書簡の交換を繰り返し危機を抑え込んだ。この危機はそれぞれの国での指導者の立場が複雑に彼見合っていたと考えられる。ちなみに1964年10月に解任された時は東京オリンピックの最中だった。オリンピックのニュースとともにフルシチョフ解任のニュースは世界に衝撃を与えた。

ONCE UPON a TIME 外伝 ”キューバ革命 #2”片山通夫

ピッグス湾

一方アメリカは亡命キューバ人を利用してピッグス湾事件(スペイン語: Invasion de Bahia de Cochinos、英語: Bay of Pigs Invasion)を起こした。ケネディ大統領の1961年の事で前任のアイゼンハワー大統領時代に立案されていた侵攻案を承認した。在米亡命キューバ人部隊がCIAの全面的な支援でグアテマラで軍事訓練の後、キューバに侵攻してフィデル・カストロ革命政権の打倒を試みた事件。ソ連の支援を受けたキューバ革命軍が勝利し、この作戦を主導したアメリカは世界から非難された。この事件後カストロのキューバはますますソ連を頼るようになった。

今少しウイキペディアを参考にアメリカとの関係を見てみる。1959年5月にカストロは農地改革を断行し、6月にアメリカの資産を国有化したため、アイゼンハワー大統領は対抗策としてキューバの最大の産業である砂糖の輸入停止措置を取る形で禁輸措置に踏み切った。これに反発したカストロ首相は、弟のラウル・カストロを冷戦下でアメリカ合衆国と対峙していたソ連の首都モスクワに派遣し、1960年2月にアナスタス・ミコヤン第一副首相がハバナを訪問し、1億ドルの借款供与、砂糖買い付け、武器売り渡しを柱とする経済協力協定を結んだ。

ONCE UPON a TIME 外伝 ”キューバ革命 #1”片山通夫

フィデル・カストロ(右)とチェ・ゲバラ

キューバ革命(キューバかくめい、スペイン語: Revolucion cubana)は、フィデル・カストロ、チェ・ゲバラらが中心となってアメリカ合衆国の影響が強かったキューバのフルヘンシオ・バティスタ政権を打倒するに至った武装解放闘争を指す。最初は決して社会主義革命ではなかった。しかしおそらくカストロたちに倒されたバチスタ政権が、アメリカ資本に許していた利権などを奪われると慌てたアメリカ資本が、米政府を後押ししてカストロたちの政権を倒そうとしたのだと思う。そこへ冷戦時代のもう一つの雄ソ連がカストロたちの政府を支援した。それに慌てた米政府という冷戦構図がアメリカの喉元・マイアミ沖のカリブ海で繰り広げるという話。もちろん社会主義革命を嫌ってアメリカへ”亡命”したキューバ人も多かった。マイアミには今もそんなキューバ人の町が残っている。
砂糖しか採れないキューバ、暖かい地域で出来る砂糖。ソ連は国際価格より高い値段でキューバの砂糖を買い付けキューバの経済支援をした。(続く)

 

ONCE UPON a TIME 外伝 ”まずはBarへ。#3”片山通夫

フローズン・ダイキリ

ついでにと言っては失礼だがもう一つカクテルを紹介したい。キューバと、かの文豪、アーネスト・ヘミングウエイ(1899年7月21日 – 1961年7月2日)とは浅からぬ関係らしい。
ヘミングウェイは1953年にピューリッツァー賞、1954年にはノーベル文学賞を受賞したキューバの海を舞台にした小説「老人と海」を書いた。https://onl.tw/iMiaB9D

その彼がこよなく愛したといわれるカクテルにフローズン・ダイキリがある。
フローズンでないダイキリはアメリカンスタイルと呼ばれているようだ。
「老人と海」は日本でも多く翻訳されているのでご存じの方も多いだろう。
簡単に説明すると、キューバに住む一人の老漁師が84日間もの不漁の後、巨大なカジキを3日間にわたる死闘の末に捕獲するが、その後にサメに襲われ、獲物を食い尽くされてしまうという話である。食いつくされた残骸をみた港の男たちは老人が巨大なカジキを釣ったことを知る。

今もヘミングウエイがよく飲んでいたというバーは存在するし、彼の別荘は博物館になっている。

パパ・ダイキリ
フローズン・スタイルのカクテルの代表格であるフローズン・ダイキリは、ヘミングウェイが愛飲したことで知られる。ヘミングウェイが好んで呑んだとされるスタイルはパパ・ダイキリと名づけられた(ヘミングウェイは、モヒートも愛飲した)。

ONCE UPON a TIME 外伝 ”まずはBarへ。#2”片山通夫

なんとも皮肉な名前のカクテル。自由キューバ!コカコーラはアメリカの象徴、そしてキューバのラム酒。
ボクは片言の英語でバーテンダーの男とそのことを教わった。そしてこの飲み方は米西戦争時の米軍将校が飲んだの見方だったとか。ちなみにアメリカでコーラは1886年ごろから薬として販売されていたようだ。

クーバ・リブレ
ライムジュースは、ライム1/4個をグラスの上で搾り、そのままグラスの中に落し入れるか、またはグラスに飾って飲み手の好みで酸味を調整するか、どちらでもよい。ただし、この場合はマドラーを添える。1900年、キューバ独立戦争(米西戦争)時、スペインからのキューバ独立を支援するアメリカ陸軍通信部隊のラッセル大尉が、ハバナのバーで、このレシピでの飲み方を愛した。8月のある夜、その飲み方を真似た兵士たちが大いに盛り上がり、大尉に乾杯の音頭を迫った。大尉は乾杯の言葉として「Cuba Libre」(キューバの自由のために)と発し、それがカクテル名になったと伝えられている。「キューバ・リバー」の表記も多くみられるがあくまで本来は自由なので!。
参考

ONCE UPON a TIME 外伝 ”906がボクの部屋番号”片山通夫

Cubana de Aviacion

Cubana de Aviacionの機種は覚えていない。決して大きくもなければ豪華でもなかったように思う。ソ連製の機体だった。写真の一枚も撮っておくべきだった。驚いたことは機内で葉巻をもらったこと。cigarroというから紙巻タバコかと思ったら葉巻だった。そのころボクは煙草を吸っていた。他の乗客はその葉巻を吸いだしたのには驚いた。機内がもうもう・・・。

3時間ほどのフライトでのどかな空港に到着した。空港の名前は革命戦士の名前をとったホセ・マルティ空港。お断りしておくがホセ・マルティ空港をインターネットで探してもボクが降り立った空港ではないのだ。はっきり言ってえらく綺麗で豪華な空港になっている。当たり前だが。

ボクは機内で名前を呼ばれて最後に降りた。そして空港の一室に案内された。内心(これ、やばくない?)と思ったが、とんでもない。とても親切な待遇だった。そして車に案内されてハバナ市内へ。とんでもなく大きなホテルに着いた。
ホテルの名前はHabana Libre。後でわかったことだけど革命前はアメリカ資本のヒルトンホテルだったとか…。こんな豪華なホテルに泊ったのははじめての経験。古いけど。

今でも覚えていること。906はボクの部屋番号である。

ONCE UPON a TIME 外伝 ”Ciudad de Mexico”片山通夫

キューバ航空機

カタカナで書くと”シウダ デ メヒコ” と読む。そのまんまメキシコシティ。
は知らなかったが、それにメキシコ合衆国らしい。アメリカだけじゃなかった、合衆国は。
それはともかく、とりあえずホテルを探してバスの旅の垢を流した。さっぱりと!
そして日本を出るときに聞かされていた電話番号をダイアルした。日本航空メキシコ支店だった。電話の相手はボクが今何処にいるのかと聞いてきた。ホテルの名を言うとすぐにチェックアウトしてロビーで待つように言われた。
なんでもまもなくハバナ行きの便が出るらしい。ボクにとってはそんなの知らんがな…である。とにかく迎えに来てくれて空港まで送ってもらった。日本航空の飛行機に乗るわけでもないボクを親切に面倒を見てくれたわけだ。いずれにしても日本航空のお世話になった。

そして空港でまたひと悶着。搭乗手続きを済ませてまでは問題なかった。メキシコのイミングレーションも問題なかった。登場ゲートの手前で「US Emigration」と書かれた所があるので、それを見ながら「おかしいな。ここじゃないのか」とハバナ行きの出発ゲートを探していた。すると「ハバナ」と呼ぶ声がした。やはりそこだった。つまりキューバへ行く客は「アメリカの出入国管理」を再び通らなかったら行けないのだ。そこでパスポートとビザのチェック、コピー、ボクの写真をとられた。アメリカという国は何処までも厚かましい。こんな経験はずっと後でアルメニアでもあった。アメリカじゃなく、ロシアだったが。

結局少し遅れてボクは座席に座ることができた。 航空会社はCubana de Aviacion。