【609studio】話は前後するが、1904年、日本とロシアとの間で 日露戦争が始まった。戦いを有利に進めた日本は、講和条約であるポーツマス条約において、ロシアから 朝鮮半島における優越権を獲得した。朝鮮は1897年に清から独立しており、国名は 大韓帝国 (韓国)に変わっていた。 “Webサハリン物語《episode #5 韓国併合》片山通夫” の続きを読む
Webサハリン物語《episode #4 稚泊連絡船》片山通夫
【609studio】戦前、稚内港と大泊港に「稚泊(ちはく)連絡船」が通っていた。ちなみにこの航路は210.0 km (130.5 mi)で8時間の航海だったという。この航路で樺太に渡った有名人に「銀河鉄道の夜」の構想を樺太で練ったと言われている宮澤賢治や、樺太から雪の北緯50度線を越えてソ連に亡命した岡田嘉子がいた。恋の逃避行説で有名な事件だった。
稚内港の北防波堤は吹き付ける吹雪を避けるための立派なドーム型の桟橋が残されている。このドーム防波堤に現在はないが稚内桟橋駅があった。樺太へ渡る人々はこの駅まで宗谷本線に乗ってきた。また大泊の桟橋は現在も使われている。 “Webサハリン物語《episode #4 稚泊連絡船》片山通夫” の続きを読む
Webサハリン物語《episode#3 植民地朝鮮で土地収奪など皇民化政策》片山通夫
【609studio】サハリンに朝鮮人がいるということは、強制連行であれ自発的に仕事を求めて渡った人であれ、結果的には植民地朝鮮では職を得ることができなかった人やその家族だ。 “Webサハリン物語《episode#3 植民地朝鮮で土地収奪など皇民化政策》片山通夫” の続きを読む
Webサハリン物語《episode#2 なぜ樺太に朝鮮人が?》片山通夫
【609studio】ボクはまったくサハリンに知り合いがいなかったが、韓国・大邱(テグ)に中ソ離散家族会と言う組織を知った。そこで紹介して貰って離散家族会の李会長を訪ねた。どこの馬の骨かもわからないボクを李さんは樺太(現サハリン)にいる彼らの留守家族を何人も紹介してくれた。留守家族とは強制連行で夫を父を労働力として樺太へ連れて行かれ、韓国に残された人々を指す言葉だ。樺太には最盛期では6万人もの朝鮮人がいたという調査を戦後北海道新聞が行った記録があった。 “Webサハリン物語《episode#2 なぜ樺太に朝鮮人が?》片山通夫” の続きを読む
Webサハリン物語《 episode#1 チェーホフのサハリン》片山通夫
【609studio】サハリンは複雑な歴史を持つ。サハリンは北海道の北端。稚内市と宗谷海峡を隔てて南北に長い形をした島を指す。サハリン島と言えばロシアの作家、アントン・チェーホフのルポルージュが有名で、本書は1890年に3カ月かけて取材した流刑の島サハリンの優れたルポルタージュである。帝政ロシア時代、チェーホフは流刑の地だったサハリンに赴き3カ月の間綿密な調査を行った。是非一度、読者の皆さんにもお読みいただきたい。
サハリン島 上 岩波文庫 赤622-7 https://x.gd/Th7m0 “Webサハリン物語《 episode#1 チェーホフのサハリン》片山通夫” の続きを読む
Webサハリン物語《 はじめに》片山通夫
【609studio】本書は1999年秋にボクがはじめてサハリンへ行った後に取材した内容を「サハリン物語」(リトル・ガリヴァー社刊)として纏めたものをWEB版に書き直したものである。
世界中を恐怖に陥れた新型コロナウイルスがようやく下火になった頃に、ボクが過去に撮り続けた作品の集大成ともいうべき写真集《Once Upon a Time》をまとめ上げることができた。 https://x.gd/p46ns “Webサハリン物語《 はじめに》片山通夫” の続きを読む
Lapizstory《出雲の神々そして鬼が行く道005》片山通夫
Lapizstory《出雲の神々そして鬼が行く道004》片山通夫
【LapizOnline】出雲往来
中国山脈を貫き、日本海に面した出雲から瀬戸内海までをさす。
古来「往来」とは人の行き来するさまを指すようだが、出雲往来のように街道の意味にも使われる。 “Lapizstory《出雲の神々そして鬼が行く道004》片山通夫” の続きを読む
LapizStory《出雲の神々そして鬼が行く道003》片山通夫
609studio《7月になりました》編集部
【609studio】旧暦7月を文月(ふづき、ふみづき)と呼び、現在では新暦7月の別名としても用いる。文月の語源は稲の穂が実る頃と言う意味の「穂含月(ほふみづき)」が転じたという説や七夕に書物を干す行事があり書物(文)を開くと言う意味から来たと言う説も。 “609studio《7月になりました》編集部” の続きを読む