昔見た風景《浅沼委員長暗殺》片山通夫

浅沼暗殺の抗議デモ

【LapizOnline】1960年10月12日、日本社会党の委員長だった浅沼稲次郎氏が、演説中に右翼の少年に左胸を刺されて死亡した。国民に衝撃が走り、抗議のデモは日本全国に広がった。ただこの風景は「日常」とはいいがたいかもしれない。

Webサハリン物語《episode#13 日本人はお墓まで帰国した》片山通夫

コルサコフ港

【609studio】コルサコフ(大泊)は港町である。ここから、いやここへ稚内からの連絡船が着く。稚泊連絡船である。コルサコフは港を見下ろせる丘の町であった。この町にも残留朝鮮人は大勢暮らしている。2・3人に聞いてみた。彼らが口々に言うのは決まっていた。

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Webサハリン物語《episode#12 アリランの歌 02》片山通夫 

【609studio】ここであらためて地図を広げてみたい。サハリンと北海道の稚内とは宗谷海峡を挟んで50キロにも満たない。ただユジノサハリンスクと稚内との距離は190キロほどある。戦前連絡船で8時間ほどかかったという。冷戦時代にその距離を飛んでいたのは渡り鳥かラジオ放送の電波だった。NHK稚内中波中継局から発せられるラジオ放送は宗谷地方はもとよりユジノサハリンスクまで届いていた。筆者もユジノサハリンスクで聞いたことがあるが、鮮明に聞くことができる。 “Webサハリン物語《episode#12 アリランの歌 02》片山通夫 ” の続きを読む

Webサハリン物語《episode#11 アリランの歌 01》片山通夫 

【609studio】朝鮮民謡に「アリラン」と言う歌がある。朝鮮半島全域で歌われている。
「アリラン アリラン アラリヨ・・・」と日本でもよく知られているあの歌である。聞けば「アリラン峠」とはどこにあるのかはわからないと言う。きっとどこの地方ででもマッチするように特定の場所では無いという意味なのかもしれない。 “Webサハリン物語《episode#11 アリランの歌 01》片山通夫 ” の続きを読む

Webサハリン物語《episode#11 サハリンの朝鮮人#02》片山通夫

板門店

【609studio】サハリンでも残留朝鮮人はソ連当局を相手に「祖国へ返せ」とデモを仕掛ける人もいた。筆者がインタビューした女性も息子夫婦とその子供を北朝鮮に送られてしまったと嘆く。息子が堅くなに「祖国韓国へ返せ」と当局に訴え出たため、業を煮やした当局は「そんなに帰りたいのなら」と船に乗り込ませた。 “Webサハリン物語《episode#11 サハリンの朝鮮人#02》片山通夫” の続きを読む

Webサハリン物語《episode#10 サハリンの朝鮮人#01》片山通夫

 

ユジノサハリンスクで

【609studio】いわゆる「鉄のカーテン」の向こう側の実態はなかなか把握できない。それは取材し始めた頃から感じていた。サハリン州は「閉鎖都市」だった。シベリアで外国人が行けたのは、ナホトカやハバロフスクなどごく少数で外国人立ち入り禁止だった。 “Webサハリン物語《episode#10 サハリンの朝鮮人#01》片山通夫” の続きを読む

Webサハリン物語《episode#9 中央アジアの朝鮮人》片山通夫

東京新聞より

【609studio】米ソ両国は、いや世界は第二次世界大戦後、いわゆる冷戦時代を迎える。鉄のカーテンと呼ばれた、スターリン時代のソ連は朝鮮半島に今も残る傷跡を残している。それは1950年6月25日の北朝鮮軍が韓国に攻め込んで始まった朝鮮戦争に代表される。戦争休戦に3年かかった。この間サハリンでは帰国できなかった朝鮮人たちは炭鉱、林業、漁業など第一次産業に従事していた。ロシア語のできない彼らに指導でいたのは中央アジアの朝鮮系ロシア人の通訳だった。 “Webサハリン物語《episode#9 中央アジアの朝鮮人》片山通夫” の続きを読む

Webサハリン物語《episode#8 ソ連の軍政時代と新聞》片山通夫

戦後樺太で発行された「新生命」紙

【609studio】樺太全土を手中にしたソ連軍は当然のことながら「軍政」を敷いた。と言っても樺太ではまだ30万人ほどの日本人と一説には6万人ほどの朝鮮人が住んでいる。彼らにソ連の何たるかや軍政で世の中が日本時代とどのように変わるかを知らしめなければならない。 “Webサハリン物語《episode#8 ソ連の軍政時代と新聞》片山通夫” の続きを読む