編集長が行く《関東大震災と横浜・関西村 #2》文・写真 井上脩身

関東大震災で壊滅状態になった横浜市中心部(ウィキベテアより)

関西府県連合病院と小学校
震災が発生した日の夕方、森岡二朗・神奈川県警察部長は、横浜港から海を泳ぎ、東洋汽船の貨物船これ丸の無線を借りて東京府に救援を要請。応答がなかったため大阪府知事あてに「本日正午、横浜に大地震、ついで大火災あり。全市炎上。死傷おびただし」と打電。この無線が各地で傍受され、地震による惨劇が世界中に流れた。 “編集長が行く《関東大震災と横浜・関西村 #2》文・写真 井上脩身” の続きを読む

編集長が行く《関東大震災と横浜・関西村 #1》文・写真 井上脩身

関西村をテーマに開かれた講座

横浜市の地下鉄の掲示板に「関西村」と記されたチラシがはられていた。横浜と関西?
意外な取り合わせに目がとまった。関東大震災で甚大な被害を受けた横浜市の中心部に、関西の府県が被災者のための救援村をつくり、ハマっ子たちから「関西村」と呼ばれた。100年後の今、その事実が横浜市民に知られていないので講座を開く、というのがチラシの趣旨であった。 “編集長が行く《関東大震災と横浜・関西村 #1》文・写真 井上脩身” の続きを読む

Once Upon a Time《チェルノブイリ原発》片山通夫

【609studio】チェルノブイリ原子力発電所事故は、1986年4月26日午前1時23分(モスクワ標準時)に、当時のソビエト連邦の構成国であるウクライナ・ソビエト社会主義共和国のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で起きた原子力事故である。筆者は事故直後には無理だったが何年かして取材に出かけた。