光と影が綾なすとき《海に向かって》写真・片山通夫
さてどこで撮ったのかあやふやなデータで申し訳ない。函館港なのか九州・門司港なのか・・・。あまたある写真から選ぶとなるとこんなことも起こりうるとお断りとお詫びを・・・。
光と影が綾なすとき《ふたりだけの恋路ヶ浜》写真・片山通夫
【609studio】伊良湖崎に沈む夕日は素晴らしい。
「♪名も知らぬ 遠き島より流れよる 椰子の実ひとつ♪」
島崎藤村の叙情詩「ヤシの実」の舞台となったことでも知られている。
その砂浜で夕陽をバックに戯れる二人を撮った。(不定期連載)
Once Upon a Time《浅沼委員長暗殺》片山通夫
【609studio】1960年(昭和35年)10月12日(水曜日)自民党・社会党・民社党3党首立会での演説中、17歳の右翼少年・山口二矢に刺殺された。その死を悼み暴力に抗議するデモが東京や大阪などで繰り広げられた。なお犯人はその場で逮捕された。
Once Upon a Time《藍染》片山通夫
【609studio】ある時、そう、突然仕事が降って湧いた。徳島の藍染の記録を撮る仕事だった。ボクは有頂天になって「モノクローム」で良いかと確認した。クライアントも当然という風に大きくうなづいた。そして撮った写真のうちの一枚がこれ。
Once Upon a Time《挫折の時代》片山通夫
安保、浅沼委員長暗殺、大学、国鉄・・・。暗かった社会のはけ口を若者たちはデモで社会に政府に大学、いわゆる体制側に訴えた。決してとは言えないが、あまり効果はなかったように思える。「挫折」と言う言葉が若者の間にはびこった時代でもあった。 “Once Upon a Time《挫折の時代》片山通夫” の続きを読む
光と影が綾なすとき《百鬼夜行》写真・片山通夫
その昔、平安時代のこと。京の都には百鬼が跋扈していた。百鬼夜行と言い、深夜に徘徊をする鬼や妖怪の群れ、および、彼らの行進を指す。
つまり人に災いをもたらす妖怪変化どもが深夜に都大路を練り歩いていた。
そんな時代に彼らが人間にもたらす災いを避けるために陰陽師がいた。陰陽師は天文学に優れて星の運行を読んで未来を読んだという。有名な陰陽師に安倍晴明がいた。時代が流れ京の都が応仁の乱にあった時、安倍晴明の子孫は若狭の国名田庄に疎開した。その名田庄に天壇が今に残る。 応仁の乱
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*天壇:土御門総社にある「天壇」。四神を示す四色の鳥居が四方を囲む神聖な空間。平安時代の大陰陽家として名高い安倍晴明を始祖とする土御門家は、「陰陽寮」の長官を世襲していました。その後、応仁の乱などの戦火を逃れるため、1400年代にこの名田庄の地に移り住んだと言われている。
不定期・連載
光と影が綾なすとき《メリケン波止場の壁画》写真・片山通夫
【609studio】神戸港にメリケン波止場と言う波止場がある。なんでも当時、この近くにはアメリカの領事館があり、当時の人々は「アメリカ」を「メリケン」と聞き間違えたため、メリケン波止場と呼んだらしいと言うが、アクセントが「メ」にあったのでそう聞こえたということではないのかとボクは思っている。当時は聞こえたまんま発音したであろうから。
光と影が綾なすとき《差し込む光・妻籠宿》写真・片山通夫
【609studio】妻籠宿は馬籠宿と並んで中山道の有名な宿場町である。写真は脇本陣奥谷で、格子から太陽の光が差し込む光景を秋から早春と言った季節限定(9月から3月の晴れた日)だが見ることができ、今や妻籠宿の風物詩となっている。
光と影が綾なすとき《石畳の道・京都》写真・片山通夫
【609studio】京都の八坂神社から少し下がったところにこじんまりとした通りがある。周りはいかにもと思える料理屋さんが数軒並んでいておりしも降っていた小雨もやんで灯がともった。まるでおあつらえ向き。