Once Upon a Time 外伝 ”ちょっとキューバを取り巻く歴史”片山通夫

1969年9月2日に亡くなったベトナムのホーチミミンを悼むカストロ・ハバナ・革命広場で

フィデル・カストロ、チェ・ゲバラらが中心となってアメリカ合衆国の影響が強かったキューバのフルヘンシオ・バティスタ政権を打倒し、武装解放闘争が成功したのは首都ハバナに入城した1959年1月1日。カストロたちが革命を起こしたのは、バチスタ政権がキューバを食い物にするアメリカ資本に対して何もできなかったことが主な原因。これによってキューバにあった、砂糖プランテーションを中心としたアメリカの権益は失われ、両国は険悪な仲になった。同時に首都ハバナのカジノなどの歓楽街からアメリカ人の姿は消えた。
その後、1962年10月から11月にかけて、ソ連がキューバに核ミサイル基地を建設していた。これに対抗してアメリカはカリブ海でキューバの海上封鎖を実施した。結果、米ソ間の緊張が高まり、核戦争寸前まで達した一連の出来事が起こった。これをキューバ危機と呼ぶ。

ボクがキューバに渡ったのは1969年4月。つまり革命後10年の年月が経っていたが、アメリカの経済封鎖は続いていた。

Once Upon a Time 外伝 ”遂にビザを手に入れた。 ”片山通夫

それから2年ほど経った。何しろ東京に通う為の旅費稼ぎにアルバイト三昧。これでキューバに行けなかったら・・・。不安な日を過ごしたこともあった。当時は高速バスも無かったので夜行列車。東京駅の地下にある東京温泉と言う銭湯でさっぱりして。
キューバの記念日はそこそこ多くあったので、大使館のパーティが催された。その度にとは行かなかったが結構通ったと思う。時には寝台急行”銀河”に乗ったこともあった。

いずれにしてもボクはビザを手に入れた。それも6ケ月の滞在ビザ。

Once Upon a Time 外伝”一端の友好協会会員になったボク ”片山通夫

キューバの国旗

今から考えると本当に無謀だったが、ボクは時折東京へ行った。知った人もいなく、ただテレビやラジオ、それに新聞や雑誌という情報が得られるモノを図書館などで読み漁って東京へ行った。経済的に苦しかった。だから長くは東京におられなかった。ある日カストロやゲバラなどの名前にぶち当たった。なんでもカリブ海に浮かぶ小さな島でマイアミの近くだと知った。カストロやゲバラが当時のバチスタ政権を倒して革命を起こしたのがたった10年ほど前だとか…。若い国には若いだけ無茶が通る可能性が高い。その点成熟した国は持っているシステムにがんじがらめになって融通は利かなさそう。
ボクは日本キューバ友好協会という親睦を目的とする団体の末席を汚して東京にあるキューバ大使館に事あるごとに出入りした。いっぱしの友好協会会員になったわけだ。

Once Upon a Time 外伝 ”退路を断つ ”片山通夫

イメージ

けど結局ボクはフーテンにもなれなかったと思う。某広告代理店を紹介してくれた人とはその後交流はなくなり、いよいよ退路を断ってしまったわけだ。そりゃあ心細かった。かっこなんて決して良くはない。寅さんの妹、さくらの心配もよくわかる気がする。しかし大抵の人がそうだと思うが”退路を断つ”と火事場のバカ力よろしく、無い頭をフル回転させて次の手を考える。自分でいうのもなんだが、行動も早かった。最近のCMじゃないけど”そうだ、外国へ行こう”と決めた。ところが外国と言っても何処へ行けばいいのか?
そんな頃、世の中は騒然としていた。1970年の少し前のことだ。まだ60年安保の余波で次の70年安保がくすぶりだしていた。
安保闘争に関してはこちら

2023年1月17日・神戸

阪神淡路大震災が起こった日。

現代時評《河野洋平氏の良識》片山通夫

「70数年前に日本は決心したじゃないかと。尊い命を犠牲にして、我々今ここに繁栄を得ているのです。決して忘れません、決してあの過ちは繰り返しません。何十年も言い続けて、その結果がこの政策転換というのは、私はあり得ないと、そう思っているのです」「安倍政治というものに非常に大きな問題があったと思います」
元衆議院議長・河野洋平氏はTBSの「報道特集」という番組でこう語った。 “現代時評《河野洋平氏の良識》片山通夫” の続きを読む

Once Upon a Time 外伝 ”ボクは…フーテンだった。 ”片山通夫

フーテン族?
フーテン

モノクロームに目覚めたのにはわけがあった。忘れもしない1969年冬のことだった。ボクはそのころ進路に悩んでいた。結局踏ん切りがつかないでウロウロと、今でいうフリーターのようなことをしていた。 “Once Upon a Time 外伝 ”ボクは…フーテンだった。 ”片山通夫” の続きを読む

Once Upon a Time 外伝 ”35mmという選択 ”片山通夫

こんなレンズだった。今はもう持っていない。

レオタックスを買ったのはいいけれど、レンズを選ぶのに一苦労。このタイプのカメラは長焦点レンズは使うのが難しい。それで通常は標準レンズとなる。ファインダーも50mmになっている。しかしワイドレンズの方が使いやすいし、それが目的で買った。つまりスナップには35mm、f2というレンズが最強だとボクは思っている(今もそうだ)。
それでそんなレンズを探し求めた。ライカのコピーなのでレンズマウントはライカLマウント。あのスクリューマウント。ものすごく数がある。ニッコール、キャノン、トプコ‐ル、Jupiter、ロッコール、Fujinon、ヘキサノン、セレナー・・・・

ワルツ製ファインダー 28ミリ~135mmまで6段階の可変。

ボクは使ったことのないレンズを選ぶときは価格の安いレンズを選ぶ。選ぶのに失敗しても諦めがつく。しかしあきらめるということはなかった。日本の製品は、レンズはボクにとっては上等だった。けど35ミリレンズだと別途外付のファインダーがいる。今のようにインターネットで探すというわけにはゆかない時代。結局ボクは中古カメラの販売店を回って。

monolog ”ボクはカメラを買った ”片山通夫

レオタックス

ボクはそれまで使っていた安い一眼レフに飽き足らず漸く2台目のカメラを買った。無論距離計連動のカメラである。残念なことにNikonでもない。まして新品でもない。中古の距離計連動カメラである。そしてそれはコピーカメラだった。何のコピーかと言えば、世に名の知れたバルナック型ライカのコピー機である。それでもそれまで使っていた一眼レフよりも小さく軽かった。ただめったには使わないからいいんだけど,高速シャッターダイアルと低速のそれとが分かれていて「2軸回転式」だった。 最初知らなかってカメラを保持する時、高速シャッターのダイアルをシャッターボタンとともに指で抑えてしまって適切なスピードでシャッターは切れなかった。

二軸回転式シャッターって知っています?

現代時評《ロシアとNATOの戦い》山梨良平

昨年2月24日にプーチンのロシアがウクライナに攻め込んだ。なぜなのか、本当のところはプーチンの心のそこにあるからわからない。プーチンが声にして説明してもそれが事実かどうかは誰にもわからないし、わかったところでそれが真実であるかどうかも不明だ。またこの10か月程の間に様々な理由を述べている。それは戦況によってどんどん変わってきたし、今後も変わるだろう。 “現代時評《ロシアとNATOの戦い》山梨良平” の続きを読む

monolog ”カメラの話をしよう#2”片山通夫

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背廣をきて
きままなる旅にいでてみん。

汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに。

国産バルナックライカ型 「レオタックス エリート」と「スーパーロッコール5cmF2.8」

 

荻原朔太郎の詩である。僕もこの作者のようにしきりに旅をしたかった。 “monolog ”カメラの話をしよう#2”片山通夫” の続きを読む

monolog ”水の都とモノクローム”片山通夫

大阪・中の島あたり

水の都と大阪は呼ばれている。川が縦横に走っているからだ。元々は瀬戸内海航路の起点で、海に囲まれていた難波宮(現在の大阪)を指す語で、低湿地で多様性のある水郷とは異なり、道路や水路・運河が交錯する地割が、街の風景となる水辺都市のことを指す。つまり古代からの「ウオーターフロント」なのだ。 “monolog ”水の都とモノクローム”片山通夫” の続きを読む

monolog ”物憂い朝のモノクローム” 片山通夫

京丹後にで

新しい年がやってきた。・・と世間じゃ言うようだけど、ボクにはやはり同じ朝だ。
そしてなんとなくものうい。この感覚は昨日今日に味わった感覚ではない。もうずーっと昔からの感覚で、今更驚きもしない。つまり物憂い朝なのだ。

10日ほど前に買った「デジカメを極める 完全なるモノクローム」というタイトルのムックを買った。特にタイトルが気に入ったから買ったというわけでもない。気に入ったというより気になったから、つい買ってしまったという方が正しい。買う前からおそらくこのような物だろうという気がしていた。そしてその気は正しかった。

つまりボクは今年もモノクロームで撮る、表現するということに徹することを、一冊のこのムックで自分自身に宣言したわけである。昨秋一冊の写真集を出した。とても私的な写真集だけど、60年代から2000年代に至るまでに撮った作品を掲載した。しかしそこにみられる写真はあくまで「記録」でしかない。この点は正直に白状しておく。そして新年を迎えた今…。

所謂作品と言えるような作品を撮りに出かけたいと思うようになった。
心象、イメージ・・・。 それが「思い込み」であってもいいのではないか。この年になるともう開き直りなのだ。今日は正月3日。モノクロームしか撮れないカメラ(Leica monochrome)をもって出かけることにする。     2023年1月3日の朝10時 記す。

◆現代時評《自浄システムを失った自民党》片山通夫

新年明けましたおめでとうございます。本年も現代時評をよろしくお願いいたします。
昨年末に、杉田水脈総務政務官が更迭された。彼女に日頃の言動に政権の維持がむずかしくなってきたようだ。一つは2018年の月刊誌「新潮45」への寄稿文の中でつづった、LGBTQなどの性的少数者に対する「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり生産性がない」と書いた件だ。もう一つは、「チマチョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさんまで登場。完全に品格に問題があります」とした、16年の国連女性差別撤廃委員会に出席した際の自身のブログでの発言だ。(毎日新聞 2022/12/27電子版) “◆現代時評《自浄システムを失った自民党》片山通夫” の続きを読む