新聞スクラップ009《「NGは仕方なかったのでは」という記者たち》片山通夫

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デイリー新潮(2023年10月07日)がジャニーズ会見「望月衣塑子記者の暴走」を見た東京新聞記者たちの本音「迷惑なんですが…上層部は問題にしていません」

「昔は、朝日や読売を打ち負かす特ダネを取ってくる優秀な事件記者だったんですがね…」。こう嘆くのは、東京新聞のベテラン記者である。ジャニーズ事務所の会見を「茶番だ」と騒ぎ立てる東京新聞・望月衣塑子記者(48)の“暴走”が止まらない。同僚たちは彼女の振る舞いをどう思っているのか。“本音”を聞いた。と書きだした。《デイリー新潮(2023年10月07日)》
以下本文参照 https://www.dailyshincho.jp/article/2023/10070600/?all=1

なるほどこういう見方もあるのかと驚いたが、考えてみれば内閣記者会だか、いわゆる記者クラブの弊害が顕著だ。

「ジャーナリズムとは何か」と改めて考えさせる記事だ。

前回のスクラップ007で述べた埼玉県議会の「虐待」防止条例案では県庁詰めの記者たちはどうしてるんだろう?

新聞スクラップ008《やばい自民党・埼玉》片山通夫

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東京新聞電子版(2023年10月6日 21時55分)
「埼玉県で子育てしたくない」? 子どもだけの外出・留守番は「虐待」とする自民の条例改正案に保護者反発

なんでも自民党が県議会に提案し委員会で可決された。《「放置」見つけたら県民に通報義務も》あるという。これではひとり親や共働きの家庭は子育てが出来ない。保育園の充実が先決だろう。旧ソ連時代の「ピオニール※」の再現か、それとも戦時教育の再現か?
なんとなく「旧統一教会」の影を感じる。

※ソ連邦における10歳から15歳までの少年少女を対象とする児童組織,少年団。 英語ではピオニール。 ピオネールの掟の中にはすべての子どもの模範となること,コムソモール(青年共産同盟)に入る準備をすることが掲げられていた。
追記:結局取り下げました。

現代時評《貴方は「消耗品」、戦争は突然勃発する!》片山通夫

現在行われているロシアとウクライナを見たら明白であり、今更説明も必要ないと思うが、それでも・・・。

ニューヨーク・タイムズは2023年8月18日、昨年2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻で、これまでにウクライナ軍のおよそ7万人、ロシア軍のおよそ12万人が死亡したとするアメリカ政府当局者の見解を伝えした。 この他に両軍合わせておよそ30万人のけが人が出ているとしている。一方、真贋は不明だが、ウクライナ軍発表ではロシア軍戦死者27万人。日本の自衛隊総数25万人が消滅するほどの犠牲者が出ているとした。 “現代時評《貴方は「消耗品」、戦争は突然勃発する!》片山通夫” の続きを読む

現代時評《人間の器》山梨良平

TVニュースより(日本テレビ)

通常能力や性質からみた、人間の大きさを指して「度量」と言う言葉を使う。
もう何時の頃かは忘却の彼方においてきたが、以前は政治家にも、与野党通じて「広い度量の人物」はおられた。 別の言葉で表現すると「器が大きい人物」を指すのだろう。

しかし昨今の自民党のみならず与野党に度量の広い人物は見当たらない。たとえばこのほど、杉田議員のアイヌ民族を侮辱する表現について、札幌法務局が「人権侵犯の事実があった」と認定していたことが分かった。具体的には「会議室では小汚い格好に加え、チマ・チョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさんまで登場」と自身のブログの書いたことを指すらしい。彼女は「落選中で一般人だった」と言い訳した。 “現代時評《人間の器》山梨良平” の続きを読む

新聞スクラップ007《どうする、汚染タンク?》片山通夫

 

2023/9/24 福島民報

中国が大反対して日本の水産物を全面輸入禁止と大騒ぎして、「食べて応援」などと何も対応できない政治家がパフォーマンスしている。またそれを新聞やテレビで懸命に取り上げている。そんな中福島民報が冷静なしかし深刻な記事を一面で掲載した。

現代時評《福田村事件にみる日本人の差別観》井上脩身

映画「福田村事件」ポスター

関東大震災から100年がたった9月1日、私は大阪の映画館で映画『福田村事件』を見た。千葉県福田村(現・野田市三ツ堀)で起きた売薬行商人惨殺事件を核に、震災のパニックから朝鮮人虐殺に至った時代背景に迫ろうとした意欲作だ。だが、闇の中に埋もれていた福田事件をえぐり出して世に知らしめたのが、辻野弥生さんの力作『福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇』(五月書房)であることを、映画のどこにも示されていないことに違和感を覚えた。映画は、大正デモクラシーに並行して、水面下で軍国主義が進む中で事件が起きたことに力点を置いているが、この事件の本質は、朝鮮、朝鮮人に対する日本の国や人々の差別観ではないのか。辻野さんが探り出した事件の真相から、私なりに福田事件を考えてみた。

前掲書によれば、地震発生から五日後の9月6日午前10時ころ、売薬行商人の一行14人が茨城県方面に向かおうとして福田村にさしかかった。一行は香川県西部の三つの被差別部落の出身者で、支配人に率いられ、薬を積んだ車を引いて各地を回っていた。同村三ツ堀の神社の境内で休んでいた一行を自警団が見つけ、「鮮人の疑いがある」として尋問したところ、四国弁で語ったことから「全くの鮮人」と判断、警鐘を打ち鳴らして急報、隣村にも応援を求めた。武器を携えた数百人が神社に殺到、行商人一行を包囲し、「朝鮮人を打ち殺せ」と騒ぎ立てた。行商人たちが「私たちは日本人」と弁明につとめたが、群衆となった村人は耳を貸さず、荒縄や針金で縛り、とび口、こん棒などで殴打したうえ、「利根川に投げこんでしまえ」と怒号。渡船場から9人を川に投げ込み、8人をでき死させ、1人を対岸で殺した。ほかの5人は警察官が駆け付けたため殺害を免れた。死者のなかに2~6歳の子どもが3人いたほか、胎児も1人いた。

福田村の自警団は行商人一行をなぜ朝鮮人と判断したのだろうか。一行の語り口に讃岐なまりがあるとしても、彼らは各地を回って商売をしているのだから、福田村でも言葉が通じないということはあり得ない。私は映画で『福田村事件』を見たあと、このことに思いをめぐらせた。浮かんできたのが

・「綿々と続く朝鮮蔑視」
・「よそ者を排除する排他性」
・「おかみ絶対姿勢」の3点である。

まずは朝鮮蔑視。日本の文化は中国から朝鮮半島を経て伝わってきた。島国であるため、ほかに行き場がなくて醸成され、高い文化をつくりあげた。そのおごりであろうか。天智天皇時代の663年、朝鮮に軍を進めた(白村江の戦い)のを皮切りに、1592年、豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄・慶長の役)、1873年、西郷隆盛が朝鮮出兵を主張(征韓論)、日清・日露戦争を経て1910年、韓国併合。1944年の敗戦に至るまでの日本の歴史を概観すると、日本は朝鮮半島を支配しようとし続けてきたことがわかる。こうした国の姿勢が国民のなかに朝鮮蔑視観を植え付けることになった。

日本人の排他性は二つの構造からなる。一般的なよそ者排除と、自分より下位とみた者に対する攻撃的排除である。江戸時代の鎖国政策も重なって、日本人はよそ者を受けつけない体質になっていた。それでも欧米など経済的に上位の国の人々には迎合するが、下位とみなす人たちには容赦なかった。その典型が被差別部落の人たちに対するあからさまな差別である。この体質は貧困層にも向けられる。街の美観や秩序保全の名目でホームレスを排除するのは、本質的には貧者への差別なのである。

おかみへの絶対姿勢は、国民を思い通りに操るため、権力者が町内会組織などを通じて国民に強いるものだ。権力機構が強大であればあるほど国民はその網のなかにがんじがらめにされる。日本の場合、労働運動が盛んだった戦後の一時期を除いて、おおむね保守政権が政治を掌握しており、おかみに逆らうことのできない状態がつくりだされてきた。

以上の3点から福田村事件を分析した。
関東大震災後の朝鮮人虐殺は、地震のあった9月1日夕、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「日本人を皆殺しするため火をつけた」などというデマから始まった。3日、内務省警保局長名で「朝鮮人が各地で放火しており、不逞鮮人に厳密なる取り締まりを」と全国に打電。おかみの言う事は絶対である福田村の人たちは早速自警団を組織、「不逞鮮人」に備えた。農村地帯である同村では、現実の朝鮮人に接した人はほとんどいなかったであろう。したがって、朝鮮人の人となりを知らず、長い間培われてきた差別観だけが増幅した。冷静に考えれば売薬行商人一行が朝鮮人でないことはすぐに分かったはずだ。しかし、彼らは貧しい行商人である。朝鮮人であろうとなかろうと、自分たちより下位とみなした貧者に対する差別観によって攻撃したのである。村人一人一人は善人であろう。群集心理が加わって、火山のマグマのように、それぞれが悪魔と化し、暴発したのである。

100年後の今はどうか。朝鮮人差別、被差別部落民への差別、貧しい人への差別、よそ者排除、そしておかみ絶対姿勢。これらは過去の時代の話とは言い切れるであろうか。
首都直下型地震が30年内に70%の確率で起きるといわれている。今起きてもおかしくないということだ。SNSによって情報があっという間に広まる時代だ。関東大震災の頃とは比較にならないほど、多くの外国人が暮らすなか、にわかにデマと判別できない情報が飛び交うに違いない。そうしたとき、「差別だけは許さない」という確固たる信念を持ち、かつ貫けるのか。AI化が進むなか、問われるのは人間性なのである。