現代時評《公文書》片山通夫

公文書危機 闇に葬られた記録(毎日新聞)

公文書等(国の行政文書等)は国及び独立行政法人等の諸活動や歴史的事実の記録であり、国民共有の知的資源です。このような公文書等を適切に管理し、その内容を後世に伝えることは国の重要な責務です。(内閣府公文書管理制度

この「適切に」管理し・・・と文言通りに行かないのが我が国の現状だ。文春で「今、公文書を軽視する風潮がひろがっている」と痛烈に批判したのは福田康夫元首相だ。
今年(2023年)3月の国会での質疑で高市経済安全保障担当大臣が、総務省の公文書を「まったくの捏造だ」と批判して波紋を呼んだことは記憶に新しい。この文書の作成当時高市氏は総務大臣だった。また、安倍晋三政権下では「森友学園問題」や「加計問題」、さらには「桜を見る会」をめぐっても、公文書の改ざんや破棄がおこなわれていたことが発覚している。

こうした事態を福田康夫元首相は「文藝春秋」誌上で「公文書は『国家の証し』そのものである」としたうえで、近年の政治家の「権力の用い方」に大きな懸念を表明し警鐘を鳴らした。

福田氏は〈まず最初に強調しておきたいのは、公文書は「国家の証し」そのものである、ということです。わが日本国がどのように成り立ち、国家の仕組みや制度がどんなふうに出来上がってきたのかを証明する大切な証拠なのです。私は若い頃、アメリカの公文書館が膨大な文書を保管し、きちんと公開していることを目の当たりにし、大きな衝撃を受けました。民主主義国家の底力を見た思いがしました。そこで、私が官房長官と総理大臣の頃、公文書管理法の制定に道筋をつけたのです。ところが、近年公文書を政治家が「捏造」と決めつけるとか、官僚が改ざんをするといった、とんでもない事件が立て続けに起きた。(中略)これは「権力の行使」に大きな問題があると考えられます。さらには「政治主導」に起因する問題もあります。〉

安部政権時代は政治家が中央省庁の官僚を「顎で使い」、言うことを聞かない官僚は「内閣人事局」管理しだした。この制度は政治家が官僚を意のままに動かすという制度にもなり、まさに安部政権とそれに続く現政権まで公文書管理の面でもいわゆる「忖度」ということが横行している。筆者など安部政権時代にはじめて政治の場での「忖度」ということがあると知って驚いた記憶がある。

先に述べた高市氏の「公文書は捏造だ」と国会で述べた答弁は高市氏の心に頭にこびりついた「安部時代からの垢」なのかもしれない。高市氏は国会の追及を「捏造」という言葉で乗り切ったつもりだろうが、その発言の記録は永久に残る。きっと招来に恥ずかしい思いをすることだろう。

モノローグ・コロナの日々《治療薬》片山通夫

コロナがおそらく政権の疲れからか感染症の分類が2023年5月8日から2類から5類に変更になった。5類とはインフルエンザ並みだとか。・・・とすると、治療薬が存在する。高熱になった場合は、 発症後48時間以内であれば抗インフルエンザ薬(タミフルやリレンザ等)の効果(インフルエンザウイルスの増殖を抑える)が期待できるようだ。また漢方薬の麻黄湯(まおうとう)などが効果的だとか。

しかし残念ながら、コロナにはこれほど効果が期待できる治療薬はまだないようだ。知り合いの医師と話していたら「町のドラッグストアで買えるようになることが理想だが」とつぶやいていたのが印象的だった。

現代時評《傭兵会社ワグネル》片山通夫

盤石の体制だったと世界が考えていたロシアのプーチン体制の一角がほころび始めた。周知のように民間軍事会社ワグネルの「一日反乱」が起こったのだ。ワグネルは19世紀ドイツの作曲家のリヒャルト・ワグナーのロシア語。ちなみにウクライナで活動中の民間軍事会社の名称にモーツァルト・グループというのがある。ワグナーにしろモーツアルトにしろ迷惑だろうな。所でそもそも傭兵の歴史は古いようだ。
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モノローグ・コロナの日々《あなたの価値観を私に押し付けないで》片山通夫

同性婚に関する裁判や性的少数者(LGBTQ)の理解増進法などになんとなく、しかし長い間、違和感を覚えていた。それが何なのか、自分でも自覚できなかった。それが今朝すっと、いわゆる胸のつかえがとれた。
国が、国家権力が個人の生き方に干渉しているからなのだと気が付いた。まったく余計なお世話なのだ。これと「差別する」ということはまったく違うということを書き添えておく。気をつけなくてはいつの間にか個人の生活、もしかして尊厳にまで国家が干渉しだす。東京新聞の2023年6月26日の記事に「 LGBTQ権利擁護の大パレード、NYで観衆200万人「他人の価値観をコントロールしようとしないで」 という記事があった。
言葉を換えれば「あなたの価値観を私に押し付けないで」だ。(掲載は不定期です)

モノローグ・コロナの日々《梅雨の中の七夕と伝統的七夕》片山通夫

子供の頃はこんな七夕の夜が恋しかった。

昔、小学生のころ、七夕祭りはいつも雨か、うっとおしい日の連続だった。何しろいわゆる梅雨のさなか。降らない方が不思議な時期だった。そして8月に絢爛に行われる仙台の七夕祭りがうらやましかった。そしてなんて頭のいい人が考えたのだろうと長い間そう思っていた。しかし本来は旧暦の7月7日が正しいのだと気が付いた。変に新暦に「語呂合わせ」をするからいたいけな小学生を悩ますのだ。
太陰太陽暦は、明治6年に現在の暦が採用されるよりも前の暦で、現在は公には使われていない。このため、伝統的七夕の日は、太陰太陽暦による7月7日に近い日として、以下のように定義された。
つまり二十四節気の処暑(しょしょ=太陽黄経が150度になる瞬間)を含む日かそれよりも前で、処暑に最も近い朔(さく=新月)の瞬間を含む日から数えて7日目が「伝統的七夕」の日という。

さて今年は8月22日がその日に当たる。そんな先なら忘れてしまいそう。

モノローグ・コロナの日々《プーチン 大変!》片山通夫

外国の干渉が間接的せよ、直接席的にせよ、うるさいのかプーチン大統領の腰がなんとなく定まっていないように感じる。BBCは「ベラルーシ大統領、プリゴジン氏の到着を発表し亡命を歓迎 ワグネルに基地提供と」、「プリゴジン氏、ロシア軍トップ2人の拘束計画 米紙」などと姦しい。
いずれ一枚岩でなく、一癖も二癖もある3人のにらみ合い。我々凡人にはまったく先が読めない。言えることは「プーチン 大変!」だ。

現代時評《騒乱 マイナンバーカード》山梨良平

この稿を書くにあたって、例によって「騒乱」の意味を辞書で調べてみた。「騒乱」とは「事変が起こって、社会の秩序が混乱すること。 また、そのような事変。」を指す。
ロシアでは、ワグネルのクーデターもどきがおさまって一息ついているようだが、ロイター通信が《世界は「プーチン後」に備えを、ワグネル反乱で動き始めた時計》とコラムに書いた。何はともあれ、水面下では単に収まったとは言えないようだ。
所で我が国の「騒乱」だが、現在のところマイナンバーカードに尽きるようだ。ほとんど毎日と言っても過言ではなさそうな騒ぎになっている。とうとう「返納騒ぎ」だ。政府も巨額の予算を使って始めたカードなのだから、今更「はい、そうですか」と撤回するわけには行かないのだろう。しかしことは国民の安全(健康)にかかわる事態になってきた。来秋には「紙の保険証」をマイナンバーカードに切り替えると言うのだが、なかなか実際はそうは行かない事態だ。

ここで筆者が把握できたトラブルを挙げておく。 (順不同)
*本人ではない家族名義の口座 13万件
*別人の公金受取口座 748件
*マイナンバーカード保険証に別人の情報 7300余件
*別人の証明書発行など
*預金口座の氏名の「ふりがな」がなく、漢字のみが登録

国民の矛先は河野デジタル相に向かっているようだが、根本原因は政府の計画性と融通のなさだろう。過去にも「一旦決めて予算化すれば」途中で中止や廃止という小回りが効かないのが政府であり自民党なのだろうと思える。しかしそれは国民の利益にもならないし、国家予算の喪失にしかならない。どこかの政党が「身を切る改革」と言っているが、実際に政府が「身を切る」必要がありそうだ。この政党もこんな時は「他人事」だから自ら火の粉をかぶる気もなさそうだが。

今、我が国のマイナンバーカードをめぐる有様は「騒乱」と言うに値する。

モノローグ・コロナの日々《始めます!》片山通夫

まさかこのような日々をこの年になって過ごすことになるとは想像もつかなかった。「あやつ」がやってきて、毎日なす術もなく無事にやり過ごすだけの生活を家人はうるさく言うようになった。それを言う家人も面倒でいやだろうが、言われるこちらもうっとうしい。
あやつは「コロナウイルス」と呼ばれている。いわゆる感染症らしい。ところがこの感染症は今のところ「ワクチン」しかない。つまり治療薬が見当たらないのだ。おそらく世界中の製薬会社や研究所が研究しているであろうと思われるのだが。そんな日々にふと思ったことを綴ってみた。ボクも暇なのだ。(掲載は不定期) “モノローグ・コロナの日々《始めます!》片山通夫” の続きを読む

現代時評《黄河決壊事件とウクライナ戦争》井上脩身

黄河決壊事件

ウクライナのダムが6月6日、何者かによって決壊され、東京23区の面積に匹敵する約6000平方メートルが水没した。ロシア、ウクライナともに、相手側の仕業として非難を応酬。ウクライナ戦争は新たな局面をむかえた。この85年前の同じころ、日中戦争のさなかに黄河が決壊して氾濫、数百万人が犠牲になった。「黄河決壊事件」(写真)と呼ばれるこの軍事事件から導かれるのは「首謀者は住民の信頼を失って最終的に敗れる」である。ダム決壊の実行は軍事的に致命的な愚策にほかならないのである。 “現代時評《黄河決壊事件とウクライナ戦争》井上脩身” の続きを読む