現代時評《視野狭窄》山梨良平

視野狭窄という言葉がある。医学上の言葉だろうが、その持つ意味は恐ろしい。
素人ながら調べてみたら《視野の一部が見えなくなったり、見える範囲が狭くなったりする状態で、両目で見ているときは気づきにくいことが多く、片目で見たときに気付いてもいつから狭くなったのかがわからないことが多い》とあった。徐々にもしくは気が付かないうちに視野が狭くなる病気で、いつしか失明の危険もある》らしい。

眼科医だったアサド大統領

ここでいう医学的な意味はともかく、現実には政治の世界などで、上に立ったものなどが「視野狭窄」を起こしている場合が多い。例えば今世界で話題になっているシリアのアサド大統領がロシアに亡命した。これは「父子2代で50年超の恐怖政治(東京新聞)」を行ってきた結果だろう。この親子は極度の「視野狭窄」でほとんど周りを見えてなかった。彼の経歴を見ると皮肉なことに「1988年にダマスカス大学を卒業。シリア軍で軍医として働いた。4年後の1992年、ロンドンに本部を置くウェスタン眼科病院で眼科を専門とする大学院に通った」とある。皮肉なことに眼科医だったのだ。

これからアサド大統領親子の「悪行」がどんどん出てくると思うが、独裁者の末路と言うものに考えさせられる。今後、プーチン・ロシア大統領、北朝鮮の金正恩とその一族、中国の習近平総書記等、またアフリカや南米などまだまだ民主的なシステムで選ばれた指導者も少ない国々があるようだ。
そんな国々の指導者、もとい独裁者は、自らの末路を歴史に照らして考える能力もないのだろうか?
憐れと思うばかりである。