現代時評《貧すれば鈍してトランプ勝利》井上脩身

米大統領選でトランプ氏がハリス氏に大差をつけて勝利し、返り咲きを果たした。トランプ氏は選挙期間中、移民がペットを食っていると公言するなど、露骨に差別言辞を弄してきた。にもかかわらず、アメリカ国民がトランプ氏を世界のリーダーであるべき大統領に再び選ぶとはどういうことであろう。その理由を探っていると、世界でトップの経済大国であるアメリカは貧困国でもあるという意外な側面が浮かび上がってきた。「貧すれば鈍する」という。プアホワイトといわれる白人の貧困層が誤った判断をした結果、とわたしは思う。ハリス氏がバイデン氏に代わって民主党の大統領候補になることが決まって後の今年9月の本欄で、私は「世論調査には表の顔で回答し、投票箱には本音を投げこむのが選挙だ。差別者トランプ支持とは言いにくい白人有権者のなかに、トランプ前大統領に投票する者が少なからずいる。したがってハリス氏は世論調査で少なくも5ポイントはリードしていなければ心もとない」と書いた。わたしはこうした「隠れ差別容認者」の存在を念頭に、ハリス氏が黒人であることで2ポイント、女性であることで2ポイント、合わせて4ポイントを世論調査での支持率から差し引かねばならない、とみていた。投票日直前の世論調査ではハリス、トランプ両氏の支持率が拮抗していたので、得票率ではハリス氏はトランプ氏に4ポイント下回るであろうと予想した。はたして実際の得票率はトランプ氏の51・0%に対し、ハリス氏は47・4%と3・6ポイント低く、獲得選挙人数はトランプ氏の276人に対し、223人(いずれも日本時間6日午後8時現在)に過ぎなかった。
以上は世論調結果と異なる選挙結果になったことの説明にはなるが、「隠れ差別容認票」によるリード分を差し引いても、トランプ氏はハリス氏とほぼ同数の票を得ていた。それはなぜだろう。
ペンシルベニア州などラストベルト地帯では雇用数の削減が進んでいるという。働く場が失われれば、当然のことながら貧困化が進む。そこで最新のアメリカの貧困率を調べてみたところ、2022年におけるOECD加盟国中、相対的貧困率が最も高かったのは中米コスタリカ(20・5%)、次いで高いのがアメリカ(18・0%)、3番目がイスラエル(16・9%)。ちなみに日本は8番目で15・7%。相対的貧困率は、国民の所得の中央値の半分未満の所得しかない人の割合を示すもので、アメリカでは18%の人が中間層の半分の所得もなく、貧困にあえいでいるのだ。
コロナ禍中の2019年から2022年にかけて、郊外の貧困率が都市の貧困率の3倍のペースで増えるなど、貧富の格差が急激に進み、貧困層は4100万人に達したといわれている。これらのうち白人貧困者はプアホワイトと呼ばれ、彼らの欲求不満がハリス陣営の頭痛のタネになっていた。
ラストベルトはかつて工業地帯として発展した比較的裕福な地域であった。そこで働く労働者は中間層として、満足な暮らしをしてきた。知的レベルも低くなく、リベラルな考えを持つ人が少なくなかった。ところが、中国が経済的に躍進していくなか、価格競争で敗れて雇用が喪失し、貧困層へと落ちこんでいく労働者が増加。貧困化すればするほど、中間層へのコンプレックスの裏がえしの形で、彼らの心に白人意識が強く持ち上げ、非白人に対する差別意識が鎌首をもたげる。いわゆる差別の構造である。
冒頭に述べたように、トランプ氏は大統領を目指す人物とはとても信じがたい、愚劣極まりないヒスパニック移民差別発言を行ってきた。思えばプアホワイト票獲得作戦の一環だったのであろう。トランプ氏は彼らの差別感をあおり、自らの支持につなげようとした。とはいえプアホワイトたちは「貧しいから差別者支持」とは思われたくない。そこで、イーロン・マスク氏の登場である。貧困とは真逆のウルトラ大富豪が熱烈にトランプを支援している。とあれば、貧困者も堂々とトランプ氏を支持できるであろう。イーロン・マスク氏は「貧すれば鈍する」という後ろめたさを拭う見事な演技者であった。

起源元年以降の地球文明の軸が、ギリシャ、ローマ、スペイン・ポルトガルと地中海を西に回転し、イギリスを経て20世紀、大西洋を回ってアメリカに到達。資本主義国家としての極致に達したが、21世紀に入って、文明軸は西に動き、太平洋を渡りだした――とわたしは考えている。果たして、中国がアメリカに次ぐ経済大国となったほか、アジアの各国も経済成長しつつある。この結果、アメリカの力が相対的に低化し、第2次大戦後、世界を席巻した覇権国家としての威力は、軍事面、経済面、そして外交面で、大きく削がれてきているのが現状だ。こうした西側陣営の弱体化を見すえて、ロシアのプーチン大統領はウクライナに戦争をしかけた。ウクライナ戦争では、アメリカを筆頭とするNATOの底力が試されているといって過言でない。
トランプ氏は、バイデン大統領がウクライナに巨額の資金援助をしていることを批判、そのカネを他に回すべきだと述べるなど、アメリカ第一主義を強調。大統領に就任すると保護主義政策を強く進め、中国からの関税を60%に引き上げるとしている。中国からの輸入を抑えることでアメリカの工業製品が増産に転じ、雇用拡大につながるだろう。だが、文明軸が太平洋を超えていくという流れは決して変わらない。2000年の西回転の動きが逆回転することはありえないのだ。アメリカから回転軸が離れていくからこそ、アメリカはアジア各国との経済的連携がこれまで以上に求められる。にもかかわらず、グローバル経済にそっぽを向いた孤立主義は、世界の経済から取り残される結果になることは、火を見るよりも明らかだ。トランプ氏の政策は、結果としてアメリカの経済力低下の速度をはやめることになるのである。

プアホワイトの人たちは、トランプ大統領の返り咲きによって、あるいは2、3年は、暮らしがよくなったとの実感を得るかもしれない。しかし、しょせんはぬか喜びに過ぎない。5年後、10年後、トランプ氏に投票したことについて、「貧すれば鈍する」であったと、ほぞをかむ思いをするかもしれない。
だが、問題なのはプアホワイト層の心情にとどまらないことである。アメリカはなお超大国である。そのアメリカの力が急激にしぼめばどうなるのか、わたしにはとても予測できない。大統領選におけるアメリカ国民がおかした判断の誤りは、2000年間積み上げた文明秩序を乱し、地球を粉粉にしてしまうのではないか、とわたしは暗たんたるおもいである。