現代時評《国民の選択》片山通夫

【609studio】27日、2週間の選挙運動を終えた衆議院選挙の投開票が行われた。国民の選択は自民公明両党に厳しい制裁を加えた。両党を足しても過半数に届かないという。結果として自公両党にNOを突きつけたわけである。諸々の結果に対する論評は各紙や各局などが書いている、もしくは今後石破政権の向かおうとする方向を見ると、政権にとっては「いばらの道」だ。それは過半数を割ったというだけのことではない。

「禊(みそぎ)」と言う言葉がある。本来は「神道において、罪や穢れを水で洗い清める宗教儀礼や行為」を指す。もともとは日本神話に出てくる「イザナミが黄泉の国(よみのくに)へ行ってしまったので、夫であるイザナギが黄泉の国へ会いに出かけたが時すでに遅くイザナミは見るも無残な姿になってしまっていた。それを見たイザナギは黄泉の国から逃げ帰り、汚れた体を清めるための禊を行った」という神話に出ている言葉である。

その禊を今回のように裏金問題で党を出ざるを得なかった候補者が選挙に勝利、つまり当選したからと言って「禊は済んだ」とばかりに、大手を振って返り咲くのは、少しどころか、おおいに違うと感じる。今回の場合、そもそも、共産党機関紙「しんぶん赤旗」のスクープから始まった。そのうえ選挙期間中に自民党の公認から漏れた候補者が所属していた党支部に2000万円もの資金を提供していたことが明るみに出た。国民にとっては「懲りない連中だな」としか思えない。裏金が発覚してからの党の処分は甘かった。そのうえでの2000万円だ。

党の候補者は「有難迷惑」などと述べているが、その使途などに関しては明確ではない。つまりこの問題が発覚した岸田政権時代から一貫して「甘い処分」に徹してきた。それゆえ選挙に勝ったと言っても決して「禊」にはなりそうにない。
それが国民の今回の選挙の選択だと思う。