連載コラム・日本の島できごと事典 その148《佐渡金山》渡辺幸重

佐渡島の金山」採掘作業の様子(「日本の国内旅行ガイド700箇所」より)

今年(2024年)の7月27日、「佐渡島(さど)の金山」として佐渡金山遺跡(新潟県佐渡市)がユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産に登録されることが決まりました。日本では「琉球王国のグスク及び関連遺産群」や「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連」などに続く21件目の世界文化遺産になります。世界文化遺産は9月30日までに各国政府が世界遺産委員会へ推薦書暫定版を提出し、翌年2月1日までに推薦書正式版を提出、国際記念物遺跡会議(ICOMOS)の審査を経て(自然遺産は国際自然保護連合(IUCN))、6~7月の世界遺産委員会で世界遺産リストへの登録の可否が勧告されます。この勧告には「登録」「情報照会」「登録延期」「不登録」の4段階があります。

佐渡島の金山の場合、日本政府は2022(令和4)年2月にユネスコの世界文化遺産に正式に推薦しました。順調に行けば翌年の第46回世界遺産委員会で登録が決まるはずでした。しかし、佐渡島の金山に対する第46回世界遺産委員会の勧告は追加情報が求められる「情報照会」でした。3年以内に修正推薦書の再提出を行わないと推薦は無効となります。日本政府は2024(同6)年の世界遺産委員会に向けて推薦書を再提出して1年遅れの登録になったのです。では、登録が遅れた理由や背景は何だったのでしょうか。

佐渡金山は、1601年に開山されたと伝えられ、1989年(平成元)年3月まで400年近く操業を続けてきました。世界文化遺産「佐渡島の金山」は「相川鶴子(つるし)金銀山(相川金銀山と鶴子銀山で構成)」と「西三川(にしみかわ)砂金山」からなり、世界中の鉱山で機械化が進む16~19世紀に伝統的手工業による生産技術や生産体制を深化させ、純度の高い金の生産システムを発展させた鉱山遺跡として推薦されたものです。「情報照会」の勧告で求められた追加情報は、西三川砂金山の砂金を採取するための導水路跡の説明に不備があるというものでした。日本政府は途切れている導水路部分も含めて一体のものとの説明を提出しましたが、登録が遅れた背景には日本と韓国の間に横たわる大きな問題がありました。

佐渡島の金山が世界文化遺産に推薦されたとき、韓国政府は第二次世界大戦中に朝鮮半島から連行された労働者が金山で強制労働させられたことなどの歴史的背景を理由に強く反対し、推薦の撤回を求めました。ユネスコの事務局長に深い懸念を伝え、反対署名を世界遺産委員会委員国などに送付するなどの反対キャンペーンを展開しています。しかし、日韓交渉によって佐渡の施設に朝鮮半島出身者の過酷な労働環境を説明する展示物を設けることなどして歴史全体を反映することを日本政府が約束したことから最終的には韓国政府も登録に同意することとなりました。
ユネスコ世界遺産委員会の委員国は21カ国あり、日本は2022(令和4)年からメンバーですが、韓国も2023(同5)年11月に委員国に選出されました。日本政府が佐渡島の金山の登録を急いだのは韓国が委員国になる前に通したかったから、という説があります。そうだとするとずいぶん狭小な精神と言わざるを得ません。日韓友好には政府や国民が交流し、話し合いによって日韓の歴史問題への理解を深めていくことが必須だと考えるからです。