編集長が行く《特攻のまち、知覧 02》 文・写真 井上脩身

鳥濱トメしのぶ知覧茶屋

 トメの味をしのぶ知覧茶屋

【LapizOnline】知覧をたずねた。特攻隊についての遺品や資料の大半は知覧特攻平和会館で保管、展示されている。
同会館の玄関を入ると、まず目に入るのが一式戦闘機「隼」の機体だ。私は戦争が目的(当然のことだが)である戦闘機を見るのは好きでない。しかし卓庚鉉が特攻出撃のため搭乗したのは隼だ。目をこらした。機体の銅には大きく日の丸がえがかれている。操縦席は地上から2・5メートルくらいの高さにある。もし女学生が出撃を見送りに来ていたら、その中にトメの娘がいないか、目を走らせたであろう。操縦かんをにぎったとき、アリランを口ずさんだだろうか。わたしはグレーの機体を見ながら、卓庚鉉に思いをめぐらしたのであった。
隼の両側の壁に、特攻隊員の写真が陳列され、展示ケースには遺書や両親にあてたハガキなどが展示されている。その多くは「ご両親様のご健勝を祈っています」「祖国のために戦ってまいります」などと書かれていて、葛藤や迷いなど心の奥底の機微に触れる文面は見当たらない。覚悟の出撃であったことはわかる。幼少期から「お国のために死ぬ」とたたきこまれてきたにせよ、死に臨んで割り切れるものなのだろうか。もしそうであるなら、特攻精神、玉砕精神というものは、武士道を、本来の意味とは異なる形で利用したのではないか、という気がした。
卓庚鉉の写真や遺書がないかと注意深く見まわしたが、見当たらなかった。「アリラン」をうたった卓だが、遺書は書かなかったのであろうか。写真はネットで公開されていることを後で知った。
別の部屋では零式戦闘機も展示されている。子どものころから「ゼロ戦」という言葉は耳にタコができるくらいに聞いている。今思えば、私の小学生時代、「民主主義」「民主教育」「平和憲法守れ」「戦争反対」「ノーモアヒロシマ・ナガサキ」という言葉が声高に叫ばれる一方で、年末には商店街に「軍艦マーチ」が流れ、手が器用な同級生はゼロ戦の模型づくりに熱中していた。だが、私はゼロ戦の実物を見るのは初めてであった。日本軍としては最新鋭機であったが、もしB29も合わせて展示されていたら、なんというチャチな戦闘機か、とおもったであろう。
特攻平和会館の建物の敷地に三角兵舎が復元されている。半地下式の木造バラックで、約20人が寝泊まりできる広さ。特攻隊員は出撃までの数日間、この兵舎で過ごしたという。卓庚鉉も、ともに出撃する隊員とここで宿泊したはずだ。あるいは「アリラン」をこの三角兵舎内でもうたったかもしれない。
特攻平和会館の見学を終えて、食堂に入った。「知覧茶屋」と名づけられていて、「特攻の母、鳥濱トメの味を引きつぐため、孫が開いた」との、トメの写真入りの説明板が入り口近くに立てられていた。早坂さんは「富屋食堂はうどん、蕎麦といった麺類や丼物、カレーライスが人気だった」と書いている。私はソバを注文した。素朴な味つけであった。朝鮮人である卓庚鉉にこの味が合ったかどうかは、私にはわからないが、出撃が決まると、トメの味をのどの奥におぼえさせたようとしただろう。

勇者と裏切り者のはざま

アリラン歌碑

食事をおえて知覧茶屋の周囲をぶらっと歩いていると、道端の「アリラン歌碑」に目が留まった。「アリランの歌声とほく母の国に残して散りし花花」と刻まれている。「朝鮮半島出身特攻勇士の碑」が正式な碑の名前のようだ。私は「勇士」という言葉に不快感をおぼえた。アメリカの軍艦に突っ込む自爆行為は、正常な精神で行えるものではない。一人の人間の精神を異常な状態にさせ、勇士とたたえる日本軍幹部の精神状態もまた異常であったというしかない。特攻作戦は、軍幹部の異常な精神がなせる業であったことをまず押さえておかねばならないと思うのだ。
そのうえで、卓庚鉉のアリラン特攻を考えてみたい。
すでに触れたように、卓一家は生きるために朝鮮から日本にやってきた。薬学専門学校にまで進んだ卓庚鉉は、高い学歴への羨ましさと朝鮮人への差別が入り混じった日本人の目にさらされまがら、生きのびていかねばならなかった。そうしたなかでの特攻志願である。卓庚鉉は日本軍幹部にたたえられる道を選んだのだ。それが朝鮮民族への裏切りであると非難するのはたやすい。だが、日本で生きていくしかなかった卓庚鉉としては、日本全体が異常な精神状態になっているなか、ほかに選択肢はなかったのであろう。
後から考えれば、特攻に志願すべきでなかった。そうした誘惑に抵抗していれば、戦後、卓庚鉉はそれこそ朝鮮人の誇りと尊厳を貫いた者としてたたえられたかもしれない。少なくとも薬学の専門知識のある者としてコリアン社会のなかで、一定の地位を得たであろう。しかし、神ならぬ普通の人間である。「裏切者」と指弾されるのは、余りにもかわいそうではないか。
彼は、日本軍幹部の期待どおり、特攻出撃し、散っていった。それは「勇者」としてたたえるべきことだろうか。彼は「お国」のために戦った。だがその国は精神錯乱状態であった。そのような国のために戦うことは、決してたたえられることではない。日本人でないのに「日本のお国」のために死んでいった卓庚鉉。なんという不条理であろうか。
私は大阪・鶴橋のコリアンキャバレーに誘われたことがある。閉店の時間になると、チマチョゴリに身を包んだウェイトレスが勢ぞろいして「アリラン」を合唱した。彼女たちの心をこめたうたいぶりに、私は心をゆさぶられた。出撃前夜に「アリラン」をうたった卓庚鉉。彼の心はどこにあったのだろう。朝鮮人として、魂をこめて歌ったのだとしたら、翌日、祖国でない「お国」のために死なねばならないとは、何と残酷なことであろう。

アリラン特攻は、日本軍の精神異常の極致を示すものであった、と私はおもうのである。(完)