Webサハリン物語《episode#12 アリランの歌 02》片山通夫 

【609studio】ここであらためて地図を広げてみたい。サハリンと北海道の稚内とは宗谷海峡を挟んで50キロにも満たない。ただユジノサハリンスクと稚内との距離は190キロほどある。戦前連絡船で8時間ほどかかったという。冷戦時代にその距離を飛んでいたのは渡り鳥かラジオ放送の電波だった。NHK稚内中波中継局から発せられるラジオ放送は宗谷地方はもとよりユジノサハリンスクまで届いていた。筆者もユジノサハリンスクで聞いたことがあるが、鮮明に聞くことができる。

サハリンの朝鮮人たちはロシア語より日本語は達者だ。だから情報は日本のNHK放送を聞いていた。韓国は短波放送で1957年9月2日、韓国・水原(スウオン)送信所から50KWの出力で海外向け短波放送を開始した。しかしなかなかクリアには聞くことは出来なかったと思う。何しろ何度も言うようだが、冷戦時代のソ連では海外放送を聞くこと自身が違法だった。それで人々は自宅にある芋などを保管する穴倉に隠れて近所の人々数人で耳をそばだてて聞いていた。ニュースの時間が終わるとガックリ肩を落として「駄目だ。日本は俺たちのことを忘れているのだ」。また聞きにくい短波放送で韓国からの放送に耳をそばだてたがやはりサハリンにいるはずの朝鮮人を迎えに行こうと言った話は聞けなかった。

そして男たちは三々五々帰宅した。そんな夜は酒を飲み彼らは荒れた。
ここでも出てくるのは「アリランの歌」だった。酔った父が歌うアリラン。それに小さく合わせて母が歌う。子供たちはそんな両親を見て育った。

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