オピニオン《「夢の島」か「夢洲」か》片山通夫

来年に開幕を控えた関西万博だが、《爆発後に「他にはない」と断言したのに…可燃性ガス4カ所で発生 大阪・関西万博会場 「出ないわけないやん」 》と6月1日付東京新聞。
可燃性ガスが開催後に観客を傷つけるケースもと小中学生を無料招待も危うくなってきた。筆者は1970年の万博に毎日某パビリオンで働いていた。あの時の盛り上がりには驚いた。
テーマソングの「世界の国からこんにちは」は総売り上げは300万枚を超えてミリオンヒット曲となった。歌手も三波春雄をはじめ坂本九、吉永小百合、山本リンダなど>8社のレコード会社が競作で発売300万の国民がこのテーマソングを聞き、歌い大阪万博を盛り上げた。無論時代も現代のように「醒めた」時代ではなかった。経済も好調に向かっていたと言うバックボーンも違っていた。

当時1955年11月1日~1975年4月30日まで、米ソ冷戦時代の真っただ中でベトナム戦争と言う米ソ代理戦争が行われていた。そんな中で、米国やソ連(当時)のパビリオンは国のメンツをかけてか技術と文化を展示していた。また岡本太郎の太陽の塔は筆者にとっても驚きだった。お祭り広場も世界の国が、全国の自治体が、連日お国のPRを、文化を繰り広げていた。当時とは時代が違うという人もいた。しかし「違えば同じことの繰り返し」では盛り上がらない。口の悪い記者仲間は飲んだ勢いで「ゴミの山から出るのはメタンガス位だ」と口さがない。先に述べたがテーマソング「世界の国からこんにちは」は大人も子供も歌っていた。そして「人類の進歩と調和」を目の当たりにした。

今度のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」というが・・・。会場はメタンガスが出るゴミの山を「夢洲」と言い、これは東京の「夢の島」というゴミで埋め立てられた二番煎じ。

註:このOpinionは24年6月18日発行の【609studio】メールマガジン掲載のコラムを加筆修正したものです。