現代時評《出入国管理法改定とマクリーン判決》井上脩身

出入国管理及び難民認定法(出入国管理法)の改定案が6月9日、参議院で可決された。改定法は、難民申請が3回目以降の人を強制送還の対象とするなど、政府とって「好ましくない人」をこれまで以上に強圧的に排除できるようにした。私は先月、本欄で我が国の憲法の基本原則である国民主権の「国民」が日本国籍を有する者である点をとらえ、「人民不在の国民限定憲法」であると指摘した。改定出入国管理法は、憲法の「外国人排除性」を徹底し、外国人の人権を抑えつけたのである。調べてみると、マクリーン判決という46年前の最高裁判決が、政府の″島国政策″にお墨付きを与えていることがわかった。

マクリーン判決は次のような経過をたどった裁判である。
ハワイ大学を出たアメリカ国籍のロナルド・アラン・マクリーンさんが平和奉仕団の一員として韓国に渡ったのは1966年。在韓国日本大使館で在留資格を得て1969年に来日、琵琶や琴の練習に取り組んだ。1970年5月、1年間の在留期間更新を申請したところ、法務省入国管理局は8月、9月7日までの在留期間更新を許可。マクリーンさんは9月8日からさらに1年間の再更新を申請したが、入国管理局は「語学学校に就職するとして入国したにもかかわらず、無届けで転職した」として認めなかった。
マクリーンさんは1970年9月、更新不許可処分の取り消しを求めて提訴。法務大臣は裁判で不許可理由について、「無届け転職」に加えて、以下のような「政治活動への参加」をあげた。
1 入国間もなく、アメリカのベトナム軍事介入反対などを唱え、「外国人ベ平連」に所属した。
2 1969年、外国人ベ平連の集会に参加、以降9回、集会に参加した。
3 同年10月、アメリカ大使館にベトナム戦争反対のための抗議におもむいた。
4 1970年3月、朝霞市の米軍基地付近で行われた反戦デモに参加した。
法務大臣はほかに8項目を挙げているが、ベトナム戦争反対運動を行ったことが不許可の理由だったのは明白である
1973年3月、東京地裁は「憲法の国際協調主義や基本的人権保障の理念からみて、法務大臣の裁量の範囲を逸脱する違法な処分」として、法務大臣の不許可処分を取り消した。
高裁は法務大臣の処分を認め、最高裁も1978年10月、高裁判決を支持して上告を棄却した。その理由として「憲法上、外国人はわが国に入国する自由を保障されておらず、在留の権利、引き続き在留することを要求し得る権利を保障していない」としたうえで、「外国人に対する憲法の基本的人権の保障は、外国人在留制度の枠内で与えられているに過ぎない」と″限定人権主義″を採用、マクリーンさんの主張を退けた。
マクリーン判決の最大の問題点は、外国人の在留する権利は憲法上保障されていないとしたことだ。その論理的帰結として、在留させるかどうかについて、法務大臣の裁量を最大限認めたのである。平たく言えば、外国人が日本に居られるかどうかは法務大臣の胸先三寸なのだ。

入国管理局のホームページ「入管法改正案について」によると、「外国人を日本の社会に適正に受け入れ、日本人と外国人が互いに尊重し、安全・安心して暮らせる共生社会を実現することは非常に重要」としながら、「テロリストや日本のルールを守らない人など、受け入れることが好ましくない外国人については、入国・在留を認めることはできない」と排除規定を設けた。「日本のルールを守らない人」の例として、政府は「他人名義の旅券を用いるなどして不法に入国した人」「就労許可がないのに就労している人」「許可された在留期間を超えて日本に滞在している人」「日本の刑法などで定めるさまざまな犯罪を行い、相当期間実刑判決を受ける人」をあげている。
だが、これらは単に例示にすぎない。マクリーン最高裁判決が生きているかぎり、反戦運動や反政府活動をした外国人について、法務大臣が「好ましくない外国人」と判断すれば、在留が認められなくなる可能性が高いのだ。
日本人(日本国籍のある者)であれば、反政府デモに加わっただけで日本から追い出すことなど、法務大臣にできるはずがない。その運動にさいして、傷害罪や器物損壊罪などの刑法犯を犯し、有罪になったとしても刑期を終えると、普通に社会生活を送ることができる。外国人の場合、刑法犯罪に至らなくとも在留不許可にできるというのでは、余りにも不公平というほかない。

冒頭、改定入国管理法によって、難民申請が3回目以降の人が強制送還の対象となると述べた。なぜ「3回目以降」なのか。先に挙げた入国管理局のホームページには「現行の入管法では難民認定手続き中の外国人は、申請の回数や理由を問わず、退去させることができない」としたうえで「難民認定を繰り返すことで退去を回避しようとする人がいる」と説明している。「難民認定を繰り返す人」は「受け入れることの好ましくない外国人」というのである。
2022年の場合、難民認定申請者3772人中、3回目申請者は250人、4回目申請者91人、5回目申請者22人、6回目以上7人、計370人。全体の1割は3回目以降の申請である。この1割の人たちはいかなる理由で「好ましくない外国人」なのであろう。そもそも、難民認定の申請を繰り返す人を「好ましくない人」というレッテルをはること自体が不合理であろう。ここにも、マクリーン判決の暗い影が差しているのだ。

日弁連は出入国管理法の改定について昨年7月6日、会長名で「ノン・ルフールマン原則に反則するおそれがある」との声明を出した。ノン・ルフールマン原則というのは、生命や自由が脅かされかねない人々(特に難民)が入国を拒まれたり、それらの場所に追放したり送還されることを禁止する国際法上の原則で、日本語では「追放及び送還の禁止」と呼ばれる。
国際法上の原則を踏み外しかねない政策がとられている背景に、マクリーン判決があることは、何度も述べてきた。憲法が「日本国籍のある者」についてのみ基本的人権を保障している以上、やむを得ないのであろうか。マクリーン裁判で東京地裁は、憲法の国際協調主義や基本的人権保障の理念をふまえ、法務大臣の自由裁量の範囲を超えると判示した。たしかに憲法前文には「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とある。ここに言う「国民」は、文意からみて「人民」を意味する。グローバル化が進み、外国人労働者が増え続ける今こそ、国が外国人に対してとるべきなのは、憲法がうたう国際協調主義に基づいた生存権の保障であろう。しかしながら、わが国の政府は、時代に逆行した「反国際協調主義」による外国人・難民政策をとっているのである。