連載コラム・日本の島できごと事典その134《遺骨返還訴訟》渡辺幸重

百按司墓(今帰仁村「百按司墓木棺修理報告書」より)

【LapizOnline】第二次世界大戦前の日本で旧帝国大学の人類学者が研究のためと称して北海道・樺太のアイヌ人や奄美・沖縄の墓から人骨を大量に持ち出しました。戦後、返還を求める運動が起きており、アイヌ人の遺骨の一部などが返還されていますが、多くの遺骨が未返還のままです。沖縄では琉球国王家の子孫にあたる沖縄県民ら5人が遺骨の返還を求めた訴訟(琉球民族遺骨返還等請求事件)を起こしました。

2023(令和5)年10月、大阪高裁で一つの判決が出されました。昭和初期に旧京都帝国大学(現京都大学)により百按司墓(むむじゃなばか/沖縄県今帰仁村)から持ち出された26体の遺骨の返還を求めて2018(平成30)年2月に起こした琉球遺骨返還訴訟の控訴審判決です。大阪高裁は原告側の返還請求を棄却した大阪地裁の一審判決を支持し、原告側の控訴を棄却しましたが、付言として裁判長は「遺骨は、ふるさとで静かに眠る権利があると信じる。持ち出された先住民の遺骨は、ふるさとに帰すべきである」と述べ、「今後、京大と原告、沖縄県教育委員会、今帰仁村教育委員会らで話合いを進め、沖縄県立埋蔵文化財センターへの移管を含め、適切な解決への道を探ることが望まれる」としました。これに対し、原告側は「棄却は残念」としながらも「琉球民族が先住民族であると明確にされた」ことを評価し、この「歴史的な判決」を確定させるために上告しませんでした。

国連総会で採択され、日本政府も賛成した「先住民族の権利に関する国際連合宣言」(2007年9月)は先住民族の権利を示し、その中で先住民族は遺骨の返還に対する権利を有し、国家は遺骨のアクセス・返還を可能にするよう努めることも明記しています。また、国連の自由権規約委員会が採択した総括所見(2008年10月)は、日本政府に対してアイヌや琉球・沖縄の人々を先住民族として明確に認め、その文化遺産及び伝統的生活様式を保護し、保存し、促進し、土地の権利を認めるべきとしています。大阪高裁の判決はこれらの権利が琉球民族に属するとしても「琉球民族に属する個人」に認められるとするのは困難として今回の個人による請求を棄却したのです。

裁判で問題になった百按司墓は第一尚氏の王族ら14~15世紀の有力者が祀られたとされる風葬墓です。京都帝国大学医学部の清野謙次教授の指導により、同大の金関丈夫助教授が1929(昭和4)年に百按司墓から少なくとも33体、三宅宗悦講師が1933(同8)年に百按司墓を含む国頭、中頭、島尻などの墓から約70体の人骨を持ち出しました。百按司墓からは合わせて少なくとも52体の遺骨が持ち出されています。このうち、金関助教授によって一部が台北帝国大学(現国立台湾大学)に移管されたあと2019(平成31)年に沖縄に返還され、琉球人遺骨63体が沖縄県立埋蔵文化財センターに移されています。

奄美群島からは1933(昭和8)年以降三宅講師らにより喜界島93体、徳之島92体、奄美大島80体の計265体(他に沖縄島・那覇の墓地から奄美人遺骨2体)が持ち出されたと言われ、「京都大収蔵の遺骨返還を求める奄美三島連絡協議会」が結成されて京都大学に遺骨返還を求める運動が展開されています。

<追加情報>残念なことですが、前回の「ヤマネコ」で紹介したツシマヤマネコ「ひかり」が5月18日、対馬市上県町で死んでいるのが発見されました。胃の中に魚が詰まっており、吐き出そうとして窒息死した可能性があるということです。