編集長が行く《ひろしま美術館 ひだまりの絵本画家・柿本幸造 002》井上脩身

やさしい目の「どんくまさん」

美術館入り口の柿本幸造展表示
美術館入り口の柿本幸造展表示

柿本は「どうぞのいす」より少し早い1966年、至光社創業者の武市八十雄、同社編集者の蔵富千鶴子と話し合い、「不器用で失敗して迷惑をかけるけれど、それなのにどうしても憎めない、こんな主人公の絵本を作ろう」と、「どんくまさん」シリーズを始めた。武市がアイデアを出し、蔵富が文章を書き、柿本が絵を描くという分業方式だった。
至光社の「こどものせかい」9月号に「どんくまさん」が掲載されてシリーズがスタート。「どんくまさん うみへいく」(1967年)、「どんくまさんの らっぱ」(1970年)、「どんくまさんは えきちょう」(1972年)、「じゃむ じゃむ どんくまさん」(1972年)、「えを かく どんくまさん」(1975年)、「どんくまさんは ゆうびんやさん」(1978年)、「小さくなった どんくまさん」(198年)、「どんくまさんの かわのたび」(1982年)、「どんくまさん みなみの しまへ」(1986年)、「思いっきり どんくまさん」(1988年)、「どんくまさんの たからさがし」(1993年)など、26年にわたってシリーズはつづいた。1998年、「どんくまさんの あき」の制作中に柿本が亡くなって未刊行となったが、柿本は57歳から死ぬまで合わせて22編の「どんくまさん」を描いたのだ。

 「どうぞのいす」のパン食べるリスの絵(柿本展図録より)
「どうぞのいす」のパン食べるリスの絵(柿本展図録より)

柿本展では33点のどんくまさんの原画が展示された。なかでも私が目を見張ったのが水道管から水が噴き出している絵だ。中折れ帽をちょこんとかぶったどんくまさんが噴きあがる水を、目を丸くして見上げる様子が描かれていて、おもわず「かわいい」と、推し活の若者のような奇声をあげそうになった。推し活のミスが原因で道路が水浸しになったというのに、推し活に声援を送りたくなる、といった感じだ。
「どんくまさんは ゆうびんやさん」では、どんくまさんが丘の上のウサギのおばあさんに郵便物を届ける場面が描かれている。自転車を下において、雨のなか、丘をあがるどんくまさん。家から傘をさして出てきたおばあさんに向けるどんくまさんの目に、そこはかとなく表れているしずかな優しさ。私は心が洗われるおもいがした。
すでに述べたように、私は「どんくまさん」の絵本を買った。「どんくまさん」シリーズの第1号、シリーズの原点となる作品だ。
どんくまさんが都会に出ると、乗用車やバスが信号で止まっている。どんくまさんは「困ってるだろうな」と最後尾のバスを押す。その前の車へと次々に追突し、じゅずつなぎになって車の列が宙にうきだす。幼稚園に入って寝てしまったりと失敗を繰り返すどんくまさんは道路工事の現場を通りかかり、「ぼくも手伝えそう」とつるはしをふりあげる。
そして水道管を掘りぬいてしまったのだ。
どんくまさんが山に帰ると、ウサギの子どもたちは歌をつくった。

のっそり のろまの どんくまさん
なにをやっても だいしっぱい
のっそり のんきな どんくまさん
やさしいんだもん だいすき

柿本が「どんくまさん」を描いているとき、わが国は経済成長まっしぐらに進んでいた。経済優先の名のもと、効率主義がはびこり、どんくまさんのような失敗人間は「役立たず」「落ちこぼれ」「ダメ人間」などの烙印を押され、陰で小さくなっているしかなかった。冷え冷えとした社会に対し、柿本は「どんくまさん」の絵に「心の温もりを取り戻そう」とのメッセージを込めたのではないだろうか。21世紀も四半世紀が立とうとしている現在、勝ち組、負け組の分断が進み、負け組にとって息苦しい社会になっている。「社会にひだまりを」。柿本の絵本とその原画に接したいま、柿本の作品に改めて光が当たれ
ばと、私は心から願っている。(完)