◇◇現代時評plus《丹波篠山で考えたこと》片山通夫

秋の丹波の山と登り窯

過日秋色の丹波篠山で一日遊んだ。コロナもすこし落ち着いてきたのか人出は結構あった。江戸時代から城下町篠山の商業の中心として栄えた河原町妻入商家が残っている通りには、いわゆる丹波焼の丹波古陶館という美術館でがある。美術館としては小さいが好きな人には応えられない古丹波を満喫できる。美術館に入ると、昔、著名な写真家である土門拳氏が撮った古丹波の写真を思い出す。詳細は忘れてしまったが丹波の地、篠山近郊の今田地区に多くの窯元があり、土門氏は登り窯の妖艶に燃える炎が立杭焼を作っているというような意味のことを写真と共に書いていたように記憶する。

土門氏がどのようなカメラで撮られていたのかは定かではないが、おそらく4×5かそれ以上のサイズのフィルムだろうと推測する。今でも思い出せるのは、立杭焼の壺の窯変や灰被りに関してとても詳しく説明していた。おかげでうろ覚えの筆者も今回の丹波篠山訪問で少しは記憶を掘り起こすことができた。

美術館の後、今田という地区に行った。篠山市街からは少し離れている。山村というおもむきだ。秋の夕日に染まった田園風景はまさに一幅の絵。その中に日本遺産構成文化財の丹波立杭登窯がある。登窯は土地の傾斜を利用して一度にたくさんの器を均等に焼くことができる窯で最高約1300度で熱し2~3日間かけて焼く。火の当たりと「灰被り」という独特な模様と色が現れ一品ずつ異なった趣きある表情に趣がある。薪は確か松材だった。

丹波立杭焼は瀬戸、越前、常滑、信楽、丹波、備前と共に「日本六古窯」と呼ばれ、なんでも縄文時代から続く日本古来の技術を継承しているらしい。土門氏の作品にこの登窯の窯変だったのか、灰被りだったのか、いや両方の写真を見た。知識のなかった自分には一見何の変哲もない土器のかけらだったが、今にして思い起こせば歴史の中の色と形に魅せられた氏の心情も何とか理解できるようになった。
凡人のお粗末である。

参考
丹波古陶館
4×5(インチ)フィルム・カメラ