現代時評《時代錯誤の元首相国葬》井上脩身

安倍国葬反対集会 ・インターネットより

8月20、21日に毎日新聞が行った世論調査によると、岸田内閣の支持率が36%と7月の調査より16ポイントも急落した。回答者の87%が自民党と世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との関係に問題があるとし、安倍晋三元首相の国葬に53%が反対している。旧統一教会と深いつながりがある安倍氏の国葬に半数以上の国民が嫌悪感をいだいているのである。安倍氏が銃弾によって非業な死を遂げたことはまぎれもない。だがそれが「政治家安倍」の知られざる精神世界を浮き上がらせたことも事実である。国葬が妥当であるのか。私なりにかんがえてみた。

岸信介氏に抱かれた安倍氏

8月6日の毎日新聞の「時の在りか」というコラム欄に掲載された1点の写真に、ておく私の目はくぎ付けになった。安倍氏の祖父、岸信介氏が1957年に首相になったさい、その就任を喜ぶ親族の表情をとらえた写真だ。岸氏は孫の安倍寛信、晋三兄弟を抱きかかえ、岸氏の横に安倍晋太郎氏夫妻が立っている。安倍晋太郎氏はいうまでもなく後に外務大臣になった安倍晋三氏の父である。安倍晋三氏は3歳の幼児だった。
コラムは同紙編集委員、伊藤智永氏が執筆。(以下、安倍晋三氏を安倍氏と表記)政治記者として接した安倍氏について「生まれながらに政治家業は継ぐものと疑わない天然の貴族意識が異様な印象として刻まれた」と表している。貴族を辞書でひくと「一定の家系に生まれたことによって一般人と区別され、世襲的な法的・政治的特権を与えられた人間」とある。この写真は「岸・安倍一家」の貴族性を見事にとらえているのだ。安倍氏は「政治家貴族」としてこの世に生まれてきたのである。
貴族といえばまず頭に浮かぶのは平安貴族。宮廷で我が世をおう歌する公家をさすが、平清盛という天才が生まれた平家も武家でありながら貴族化した。清盛の子や孫は、清盛の政治的資産にあずかって「平家にあらずんば人にあらず」と、甘い汁を吸うことが出来た。
岸信介氏に抱かれた安倍氏はさながら後に平家軍の総大将になる清盛の孫、維盛であろう。維盛は「光源氏の再来」といわれる美男子で、幼児期はかわいい子だったに相違ない。カメラにまっすぐ目を向けている安倍氏はかわいいさかりであった。

貴公子である安倍氏は政治家貴族として、岸氏の政治資産を受けつぐ宿命をはじめから負っていた。したがって、安倍政治を検証するためには、岸氏の政治姿勢をおさえておくことが先決である。
岸氏はA級戦犯被疑者として巣鴨拘置所に拘置されたさい、自分の思いを『断想録』の題でつづった。その中で、「此の国民的優秀性は依然として吾等の血に流れている」としたためている。「優秀な国民」というのは優勢思想に通じ、「よき結婚からよき子供が生まれる」という伝統的家族観に基づく概念である。岸氏は不起訴になり、無罪放免となった。やがて岸氏は「反共のためならアメリカとも協力する」と考えるようになる。
朝鮮戦争勃発2年後の1952年、サンフランシスコ講和条約にともなって公職追放解除になり、「自主憲法制定」をかかげて政治活動を開始し、5年後、岸内閣が誕生。1960年、日米安保条約を改定させた。
旧統一教会(旧称=世界基督教統一神霊協会)が設立されたのは1954年、日本に伝わったのは1958年。岸氏が保守政治家として力をつけ、首相に上り詰めた時期である。岸氏は反共と家族観で一致する同教団にシンパシーをおぼえたのであろう。1964年、同教団の本部は岸内閣の首相公邸として使用された場所に移転した。同協会の政治団体「国際勝共連合」が1968年に設立されると、教団と岸氏の関係はいっそう強まった。
岸氏は1967年、皇室尊崇を建学の精神とする皇学館大学の総長に就任。1987年、総長在任中、死去した。

安倍氏は第1次内閣のさい、改定された教育基本法に家庭教育の条項を導入。第2次内閣では2014年、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定をした。中国、北朝鮮、ロシアを念頭に、日米同盟を核とする反共軍事体制を構築しようというものだ。安倍氏が中心に自民党は2012年、憲法改正草案をまとめたが、そのなかで①国防軍の保持②家族の尊重――などを規定。一方安倍氏は皇室尊崇をうたいあげる日本会議と緊密な関係を持つ日本会議国会議員懇談会の特別顧問として、政治の右傾化を図った。
安倍氏は約8年8カ月にわたって首相の座にいた。だが安倍氏が力を入れたという北方領土問題や拉致問題では何ら進展はみられなかった。つまるところ岸信介氏の跡をなどっていたに過ぎない。
問題は安倍氏が政治家貴族であることだ。貴族政治はやがて腐敗することは歴史が教えている。通常その腐敗は貴族本人の根腐れと、腐敗が周囲に広がるという二重構造になる。安倍氏の場合、「モリカケ・さくら」として現れた。森友学園をめぐる国有地払い下げ価格の異常な値引きについて、国会でウソの答弁を繰り返し、官僚がそのウソにあわせようと公文書を改ざんしたのは腐敗の典型例である。
1980年代以降、つぼや印鑑を高額で購入させる旧統一教会の霊感商法が社会問題となった。安倍氏はせめてこの点だけでも岸氏を踏襲すべきでなかった。にもかかわらず安倍氏は2021年、教団の友好団体による集会にビデオメッセージを送った。腐敗の最たるものといって過言でないだろう。自民党最大派閥である安倍派の国会議員を中心に、旧統一教会との接点が次々に明るみにでているが、まさに腐敗の二重構造である。

戦後、国葬について法律に規定がなく、吉田茂氏が死亡したさいに行われた1件があるのみだ。そのさい、1951年に事実上の国葬として執り行われた大正天皇の皇后である貞明皇后の大喪儀を例に挙げて閣議決定されたという(8月9日付毎日新聞)。要するに国葬はトップレベルの殿上人である皇族について、極めて例外的に行われるものなのである。
民主主義国に貴族政治は相いれない。安倍氏を殿上人のごとく敬い奉る政治家は少なからずいるが、そうした貴族政治が腐敗の温床になった。安倍氏を国葬で行うなら、貴族政治を認めることになる。それは民主主義の死にほかならない。
1000年以上も昔の平安時代ならいざ知らず、21世紀のいま、国葬ははなはだしい時代錯誤なのである。