現代時評《ある雑誌記事》片山通夫

先日ふとしたきっかけで興味をひかれた記事を読んだ。2008年の某日、海難事故が起きた。筆者も事件そのものは覚えている。海上自衛隊のイージス艦と漁船が衝突した事故だ。今年13回忌を迎えるという。むろん犠牲者は漁船の乗組員である。

当時の事故の是非や詳細をここで述べることはしない。ただ2008年当時の政府は、この事故の後始末は確実にしたのではないかと筆者は思う。こういう事故には双方の意見の違いが必ず出て衝突する。だからことの是非や善悪に関してはここでな述べない。
むろん突然家族を奪われた遺族にとってはやり切れない気持ちが先に立つのは当然だ。その時の気持ちは察するに余りある。

しかしながら12年が経った今も、時の防衛大臣が毎年お盆になると「電車に乗って、たった一人で仏前に線香をあげに訪れる」となると話は違ってくるのではないだろうか。。遺族はどのような気持ちで彼の訪問を受け入れたのかは知らない。おそらく彼の真摯な気持ちに打たれて、毎年彼を受け入れることにしたのだと思う。
翻って、わが国は過去の過ちをなかったことにしようという動きが近年顕著だ。特に安倍政権になってからの韓国や中国への対応を見るにつけ、そう感じる。

元防衛大臣がもし「いつまで謝り続けなければならないのだ」と口にしたり態度で示したりしたら遺族は彼を絶対に受け入れないだろう。しかし新聞記事によると遺族は元防衛大臣の選挙区まで出かけて選挙の応援をしたという。人と人の触れ合いはまごころでしか伝わらない。

その元防衛大臣とは石破茂その人である。

参考記事 Smart FLASH

石破茂、いまも続ける「漁船衝突事故」遺族とバーベキュー