樺太開拓の一環として、パルプ工場が石炭産業とともに多く造られた。
そして、現在もその工場跡が随所にみられる。写真は真岡(ホルムスク)の王子製紙真岡工場
王子製紙の歴史:王子製紙・富士製紙・樺太工業の3社は、従来から競合しつつもしばしばカルテルを結んで協調行動をとっていた。1920年代末になると市況の悪化で、特に富士製紙・樺太工業の業績が悪化する。1929年(昭和4年)に王子製紙は富士製紙の株式を買収して筆頭株主となり、富士製紙の業績建て直しを支援するようになる。また、1930年頃から樺太工業側から王子製紙へ合同を打診していた。市況と各社の状況から、これ以上の消耗を回避し、なおかつ従来以上の市況統制として3社の合同が構想され、巨大トラストである「大王子製紙」発足へと至ったのである。(ウキペディア)