
私は若い頃「人口が少なく生産性の低い小さな島は無人にしたほうがよい」という話を聞いていたので調べてみたところ、1964(昭和39)年に日本政府の全国離島審議会小委員会から「『小島の大島への移住』に関する意見書」が出ていました。そこでは島の人口減少や高齢化に対処するため島の生活環境の改善と持続可能な地域社会の構築を目指して小さな島の住民を大きな島に移住させることが提案されています。

これを受けてトカラ列島の臥蛇島(がじゃじま:鹿児島県)と伊豆諸島の八丈小島(東京都)では島外移住が進められました。その結果、臥蛇島は1970(昭和45)年に、八丈小島は1969(同44)年に無人になりました。移住者たちは故郷への思いを引きずることが多かったと言われます。一方では移住を選ばずに地域内での振興を目指す動きも見られましたが、当時は生産性や効率性を優先し、住民の思いや地域の歴史・文化・自然などの価値は軽んじられる傾向にありました。近年、国防を優先する政府の国境離島政策により「国境近くの離島を無人島にしない」方針が打ち出されています。島の住民の生活権が国や社会の都合によって振り回されていることを感じます。
臥蛇島は古くから人が住み、かつてはカツオ漁などの漁業が盛んで、ピーク時の1940(同15)年には133人の人が住んでいました。無人島化の波はしばしば臥蛇島を襲い、第二次世界大戦後の米軍政下にあった1952(同27)年には奄美群島政府が移住を提案、吐?喇列島が日本に復帰した1952(同27)年頃には十島村が移住を勧奨しました。
そして1964(同39)年の全国離島審議会小委員会「小島の大島への移住」に関する意見書を背景に当時の経済企画庁が諏訪之瀬島と併せて臥蛇島に移住を勧告しました。これらの動きに対して反対し続けた住民も最後は村の勧告を受け入れざるを得なくなり、1970(同45)年7月28日、最後の住民4世帯16人全員が鹿児島市などへ移住したのです。臥蛇島が無人島になってからも元住民や関係者で結成された臥蛇会は里帰り・集団墓参の活動を行っています。
無人島になった臥蛇島では、2015(平成27)年頃から陸
コプターからの降下訓練などが実施されており、島嶼奪還作戦のための自衛隊の訓練場候補地にされていると言われています。
私には、国家権力が島から人を追い出して自由に軍事訓練ができる島を作ったように見えて腹立たしくてなりません。
註:吐噶喇=トカラ