現代時評《解散命令の及ぶ先》片山通夫

「解散するとか、解散しないとか、それは法人のことです。教団が解散することはないのです」旧統一教会の田中富広会長談(毎日新聞2025/3/25付)
つまり「信仰は心の問題だから」と言うわけである。組織がなくなっても、オーム真理教のように、新しい組織を作ればいいだけのことなのだ。なかなかしたたかである。こうなれば宗教関係をつかさどる文科省とのいたちごっこになるだろう。

そして9万人と言われている信者は次の選挙で「反教団に走った政治家」を狙い撃ち、つまり「落選運動」のターゲットにすれば良い。実際に「落選運動」するわけではない。しかし兵庫県知事選の時の立花氏のように振舞えばいい。ターゲットの候補者が教団べったりだと有権者に印象付けられたらいいのだ。一説には9万人の信者がいる。そのうち何人かが「立花氏のような候補者」なればいいと言うわけだ。

ターゲットになった候補者はどうするのだろうか?「いや私は教団と関係がありません。教団信者が勝手に応援しているだけなのです」とでも言い訳に走るのか。
当分裁判は続くだろう。最高裁まで。「解散するとか、解散しないとか、それは法人のことです。教団が解散することはないのです」と話す田中会長の言葉は厄介だ。

この教団のもとは韓国人の文鮮明と言う人が開いた。その後我が国の岸信介と昵懇になり。岸信介、安倍慎太郎、そしてこの教団の広告塔だった凶弾に倒れた安倍晋三がこの教団を陰に陽に支えた。裁判の行方を見ていかなければならないが、岸、安倍父子が健在だった頃のようには行かないだろう。教団の息のかかった議員たちもいつまでもシラをきれないと肝に銘じるべきだ。