1点の写真画像にわたしの目がくぎづけになった。星条旗にフランス語で「MERCI(ありがとう)」と書きこまれている。フランス北部のノルマンディー米戦没者墓地で撮影、ネットにアップされたもので、フランス国民のアメリカへの感謝の念が見事に表されている。トランプ米大統領は2月28日、ホワイトハウスでウクライナのゼレンスキー大統領と会談したさい、アメリカに対する感謝を求め、会談は決裂した。ウクライナ戦争の停戦交渉を進めるうえで、「感謝」を条件にするトランプ氏の発言がなんとも不可解であったが、星条旗の「MERCI」に、トランプ氏の真意を解くカギがあるようにおもわれた。ノルマンディー上陸作戦の成功で感謝された人物といえば、当時の大統領・ルーズベルトと、最高司令官でのちに大統領になるアイゼンハワーである。トランプ氏は感謝される大統領になりたいのであろう。だが、侵略されて戦火に苦しむ国の大統領に、感謝を強要、そのしるしの品としてレアアースを求めたことで、「感謝されることのない大統領」であることを露呈したのであった。
ノルマンディー上陸作戦は、第二次世界大戦中の1944年6月6日から、アメリカ、イギリスを主力とする連合国軍が、ナチス・ドイツ占領下のフランス北部のノルマンディー海岸に上陸した、西部戦線での一大会戦だ。作戦初日だけで15万人、1週間で約50万人が英仏海峡をわたって敵前上陸したのに対し、ドイツ軍は30万人の兵力で抵抗。45年1月、両軍合せて50万人の死者をだして会戦は終了、45年5月、ドイツは降伏した。この作戦によって、フランスは解放され、第二次大戦の終結につながった。
この作戦の7カ月余り前の1943年11月28日、ヨーロッパ参戦を決意したルーズベルトはイギリスのチャーチル首相らとテヘランで会談し、1944年5月を期して西部戦線での展開を決定。これに基づき、連合国遠征軍最高司令官のアイゼンハワーのもとで作戦が練られた。開始当日、天候が悪く「作戦延期」をもとめる声もあったが、アイゼンハワーは「Will go」といって決行を決断。だが米軍の損害は大きく、死者は2万人以上にのぼった。
作戦開始2日後の1944年6月8日、米国陸軍はノルマンディーに仮墓地を建設。戦後、移設されることになり、フランス政府が新たな墓地を恒久的租借地として無賃料、無税で提供。9387人の遺体が葬られ、星条旗が常にたなびいている。冒頭に述べた「MERCI」書き込みの旗はいつ立てられたのか、残念ながらネットには記載がない。
ルーズベルトは欧州参戦よりも、ニューディール政策を進めたことで歴史にその名を刻んだ。世界恐慌による不況の克服のため、従来の自由主義的経済政策から、政府が積極的に関与する国家資本主義的政策に転換したのだ。ニューディールはトランプゲームで親がカードを配り直すことを指し、ルーズベルトは新規まき直しの意味でこの用語を経済政策のキャッチフレーズとして使用した。ルーズベルトは大統領就任前、ラジオで「大統領になったら1年以内に恐慌前の物価水準に戻す」と宣言したことから、以後の新大統領は「最初の100日で何をするか」が問われるようになり、「100日ルール」とも呼ばれている。
ルーズベルトは歴代大統領人気ランキングで5位に入るほどに今なお人気を得ているが、問題ある政策も少なくない。最高裁判事の人事介入、アフリカ系アメリカ人公民権運動に対する妨害、ソ連の指導者・スターリンの侵略行為の黙認、そして日本人にとって見過ごすことのできない原爆製造を進めるマンハッタン計画の主導である。
米ソ冷戦時代に大統領となったアイゼンハワーには、ルーズベルトに比べると華々しい事績は乏しい。ここであえて挙げるならば、大統領就任後、行き詰まった朝鮮戦争を停止すると約束したことであろう。実際、1953年7月、休戦協定に署名した。ソ連首脳との会談を何度も試みたが1960年、ソ連上空でU?2偵察機が撃墜されたことで頓挫した。もし米ソ首脳会談が実現していたら、歴史的会談になったであろう。
トランプ氏は大統領1期めの2019年6月6日、ノルマンディー上陸作戦75年記念式典に参列し、フランスのマクロン大統領とともに米軍戦没者墓地に足を運んだ。マクロン氏は米退役軍人に謝意を述べ「他国の自由のために戦うときのアメリカは偉大だ」とたたえた。このときに、墓標の前に「MERCI」と書かれた星条旗が立っていたかは定かでないが、ナチス・ドイツから救済してくれたことに対するフランス国民の感謝のおもいを、トランプ氏は痛感したはずである。ルーズベルト、アイゼンハワーに思いをいたせば、「自分も感謝される大統領になろう」とのおもいを抱きだしたとしてもおかしくない。
トランプ氏は2期目の大統領就任とともに、カナダ、メキシコと中国からの輸入品に追加関税を課すと表明。この3か国でアメリカの輸入の40%以上を占めており、ニューヨークタイムズは「関税は1940年代以来の水準まで引き上げられる」と報道。1940年代といえばルーズベルトの大統領時代である。おそらくニューディール政策を表面だけまねたのであろう。これまでの関税を低くする自由貿易主義から保護主義的タリフ政策へと、新規まき直しを図ったのである。
ルーズベルトにとって最大の課題が第二次大戦をどう終わらせるかであったように、トランプ氏にとって最重要課題はウクライナ戦争をどう終わらせるかである。2024年5月「わたしが大統領なら1日で終わらせる」と大見えをきった。1日はともかく、新大統領ルールにしたがって100日で終わらせなければならない。アイゼンハワーが朝鮮戦争を停戦させたように、まずは停戦に持ち込む。そのためには、ロシアのウクライナへの侵略には目をつぶり、プーチン大統領と直取引をすることだ、とトランプ氏は考えたようである。
繰り返すが、ノルマンディー上陸作戦については、成功=フランス救済=第二次大戦終了=感謝??という図式であった。トランプ氏は、ウクライナ戦争停戦=ウクライナ救済=第三次世界大戦阻止=感謝??という図式を頭のなかでえがいたうえで、ゼレンスキー大統領との会談に臨んだにちがいない。会談の席にゼレンスキー氏がスーツを着ていないことを保守系メディアの記者が「失礼でないか」となじったこともあって、トランプ氏の本音発言がとびだした。「もっと感謝しなければならない」「我が国に対して失礼」「(ウクライナの)何百万人の命を第三次世界大戦に賭けるのか」などとまくしたてた。
トランプ氏にとって、停戦即感謝であっても、ゼレンスキー氏にとっては「安全の保証」という真の救済が実現してはじめて感謝の心がわいてくるというものだ。そもそもトランンプ氏の停戦の申し出には危うさが潜んでいる。朝鮮戦争は停戦し、38度線を境に半島が何北に分断、固定されたように、ウクライナも停戦によって東南部のロシア占領地との境界線で分割、固定されるおそれがあるのだ。それはウクライナ救済ではなく、見捨てることにほかならない。
仮にトランプ氏によってウクライナ戦争が終結できたとしたら、大いに感謝されるだろう。その場合でも、感謝は求めるべきものではない。ましてや、まだ戦争が終わってない段階で感謝を要求するのは非常識もはなはだしい。しかも、冒頭に述べたように感謝のしるしとしてレアアースを差し出すよう求めているのである。感謝は心からわき出るものであって、モノ、カネで計れるものではない。だが、トランプ氏はモノ、カネでなければ価値が判断できないに相違ない。なんという心の貧しい大統領であろうか。