【LapizOmline】最近、早乙女勝元さんの『東京大空襲ものがたり』(金の星社)を読みました。小学生の男の子がゼロ戦のプラモデルの組み立てに夢中になるくだりがあり、小学校時代の友だちのYくんを思いだしました。手が器用なYくんは長さ10センチ余りのゼロ戦の模型をつくり、みんなに見せびらかしていました。半藤一利さんの『昭和史1926―1945』(平凡社)には、ゼロ戦は紀元2600年に正式に戦闘機として採用されたとあります。神武天皇が即位した年を元年とし、2600年にあたる1940(昭和15)年に、紀元2600年を迎えたのです。その年、ゼロ戦は「神の国」のエースとして登場したものの、はるかに性能がまさるB29にはかなわず、敗戦を迎えたのでした。紀元2600年の記念式典は1940年10月10日、皇居前広場で盛大に開かれました。日中戦争が泥沼化するなか、「A(アメリカ)B(イギリス)C(中国)D(オランダ)包囲陣」がしかれ、「米英討つべし」の声があがっていました。こうした世相をうけ、航続距離2000キロに及ぶゼロ戦(零式艦上戦闘機)は、お祝い気分に花を添えました。
いま思えば、紀元2600年の国を挙げての祝いが、対米戦争にむかって引き返しができないムードをつくることになったのでした。「神武天皇がおつくりになった神の国。米英相手でも、神風が吹くので負けるはずがない」と国民の戦意が高揚。その年、日本はドイツ、イタリアとの三国同盟を締結したうえで、現在のベトナムに軍を派遣する北部仏印進駐を強行しました。アメリカが日本への石油輸出を禁止するなど、米英を強く反発させたこの外交、軍事作戦が、太平洋戦争への端緒となったと思うのです。
ところで、神武天皇の国であることと、戦争をすることとどういう関係があるのでしょう。神武天皇は『日本書紀』に記載され、「八紘而為宇」と述べたといいます。これが「八紘一宇」といわれる言葉で、「地球上に生存する全ての民族が、あたかも一軒の家に住むように仲良く暮らすこと」と説明されています。神武天皇は「地球上のだれもが一軒の家に住めるような国造りをした」というわけです。
日本軍は「アジアの国が神武天皇のもと、ひとつになれば平和になる」として、「八紘一宇」を中国や東南アジアへの侵略を正当化する論拠にしました。そして「大東亜共栄圏」という、アジア各国に対する傲岸にして不遜きわまりない構想を打ちあげたのでした。
1945年8月、敗戦で「八紘一宇」は「日本を軍国化した思想」として否定されました。そもそも神武天皇は神話のなかの天皇であって実在しない、と多くの歴史家は考えていました。自民党政府は神武天皇の即位を祝う「紀元節復活」をもくろみましたが、反対の声がつよく、「建国記念の日」と「の」を入るという苦肉の策で1966年、国民の祝日に追加しました。「建国という事実を祝う」というもので、神武天皇の表面化を抑えたのでした。
はじめての「建国記念の日」となった1967年2月11日をよくおぼえています。大学のキャンパスを歩いていて、テレビ局が賛否について女子学生にマイクを向けているのをすぐ間近で目撃したからです。彼女がどう答えたのかわかりませんが、友人の多くは「祝日がふえただけ」とクールに反応。神武天皇崇拝という空気はなく、わたしの周りでは「八紘一宇」はほとんど死語と化していました。
その「八紘一宇」がよみがえったのには耳を疑いました。2015年3月16日、参院予算委で自民党の三原じゅん子氏が質問のなかで、「八紘一宇は日本が建国以来大切にしてきた価値観」と述べたのです。「軍国主義発言」などと批判されると、三原氏は「この言葉が戦前、国威発揚のために使われたことは知っている。戦争体験のある政治家はそういう意味でとらえているが、私は戦争体験がない。だから、この言葉が持つ本来の意味を評価する必要がある」と語りました。
昨秋、「選択的夫婦別姓」に関する新聞記事で、導入を反対する国会議員が「神武天皇の考えだから」と述べていることを知りました。自民党は選択的夫婦別姓導入反対の理由として「家族の一体性が損なわれる」こと挙げていますが、ここでいう「家族はふつうに使うファミリーの意味ではなくて、「八紘一宇」でいう「神武天皇の家族」なのです。三原氏の主張と併せ考えると、保守派治家にとって、「夫婦同姓」は「建国以来大切にしてきた価値」ということのようです。
石破氏は自民党の総裁選で選択的夫婦別姓について「個人的には賛成」と発言し、「石破氏なら実現するかも」とわたしは期待しました。ところが石破氏は首相の座につくと、三原氏を女性活躍担当や内閣府特命(こども政策、少子化対策など)担当の大臣として初入閣させました。活躍している女性の多くは夫婦別姓を望んでいます。その担当大臣が「八紘一宇」を政治家としての精神的支柱にしているのですから、笑止というほかありません。
「八紘一宇」がいま亡霊のように現れたとしても、ゼロ戦は過去のこと、とだれもが思うでしょう。そのゼロ戦を石破氏は著書『日本人のための「集団的自衛権」入門』(新潮新書)のなかで取り上げています。「血のにじむような努力のすえに開発された当時世界最高の性能を持つ零式戦闘機」と高く評価し、「日本が太平洋戦争の開戦を決意するに至った要因の一つとして、軍艦や戦闘機などの兵器のすべてを自国で賄えるようになったことが挙げられる」と指摘。「明治維新からわずか70年余りでこのような技術を持つにいたった日本人の姿は実に感動的」とまで記しています。「軍事おたく」の石破さん。少年時代、ゼロ戦のプラモデルの組み立てに夢中になっていたのかもしれません。
石破氏は前掲書のなかで「世界の潮流は武器の共同開発・生産・運用に向かっている」と述べ、アメリカなどと共同開発する方針を示しています。「世界最高の性能を持つ」武器が開発されると、「八紘一宇の精神」にそって、またも戦争をはじめることになりはしないでしょうか。いまはそのような気配はないけれども、軍事費が飛躍的に膨らんでいく現況をみると、15年後の2040年ころが心配です。その年は「紀元2700年」なのです。
今年は戦後80年。「憲法の平和主義を守りぬかねばならない」の思いを込め、本号では「編集長が行く」のなかで「東京大空襲」を、また「びえんと」のなかで、「レイテ島決戦」をとりあげました。