現代時評《文字を読まない、書けない》山梨良平

文字を書かない、読まない人が増えてきたと日頃感じていた。そんな折、いささか古い記事で週刊金曜日に田中優子さんの記事を見つけた。
実際に読むのか読まないのかはともかく筆者の近親者にいる若者も読まない。読まないから書けない。一度まじめに筆者は彼らに国語辞典を持って歩いて読むことを進めた。筆者は中学生の頃だったか三省堂の「明快国語辞典」を何度も読み返した。それこそボロボロになるまで…。勿論彼らは明快国語辞典は買わなかった。

しかし前述の田中優子さんの週間金曜日に掲載されていた記事によると「古谷経衡さんの分析によれば、多くの人々が本や新聞を、スポーツ新聞を含めて読めなくなっている、という事実」である。「読まなくなった」のではなく「読めなくなった」のだという。アニメも漫画も継続できないという現実、映画は早回しして15分であらすじを知り「映画を見た」ことにしているというのだ。

ところがインターネット上の情報はよく考えもなく、偏った情報を鵜のみにしてその結果、「多数の意見」と勘違いして投票する。筆者の近親者の女の子が選挙権を得たはじめての選挙で、まさにそのような投票行為を行った。例えばその彼女の選択を聞いた筆者は愕然とした。その愕然を感知した彼女は「アカンかった?」だった。つまりインターネット上での多数意見が「正しい」と判断したわけである。

田中優子さんはこう書いている。「都民の多くは政策を読んでもわからないので政策にはしない。長く演説を聞くことができないので15分で切り上げる。その代わりインターネット上のさまざまな手段で膨大に発信する。理解して投票することができないので、体験談で共感者を増やす。自身が具体的な議論ができないので、攻撃的なもの言いをする。それによって、議論していないのに論破したように見え、『勝った』と感じさせることができる。どうやら本当にカラッポなのだ。」

先の兵庫県知事の選挙でもそうだった。まじめに政策などを訴えた候補は落選し、連日の「早回し」の繰り返しを行った候補や応援弁士の意見がインターネット上にあふれた結果を読み取ることができる。「田中優子さんは「どうやら本当にカラッポなのだ。」と・・・。(『週刊金曜日』2024年9月17日)