時には文化人スサノオ
【609studio】出雲風土記や古事記や日本書紀に見られるように、出雲は文化が発達した国だった。大陸(中国や渤海)や朝鮮半島という当時の文化の先進国が海を隔ててそこにあるわけだ。そして八束水臣津野命(ヤツカミズオミツヌノミコト)が「出雲は小さい国だ。どこかの国を縫いつけて大きくしよう」とばかりに、新羅などに綱をひっかけて手繰り寄せた。当然土地だけではなくその土地の文化ももろとも手繰り寄せた。そういえばアマテラスとスサノオの神話に、高天原を追い出されたスサノオが一度は新羅に降り立ったという話がある。日本書紀・第8段第4の一書には、「高天原を追われたスサノヲは、その子五十猛神(いたけるのかみ)と共に新羅国の曾尸茂梨(そしもり)に天降る」とある。スサノオはその後出雲に渡り、ヤマタノオロチを退治して櫛名田比売(クシナダヒメ)とともに「この場所は素晴らしい、ここに宮を構えて住もう」とばかりに、出雲の須我の地に宮を設けた。
この話や、くにびきの話と朝鮮半島や大陸とのつながりが出雲には多いのだ。結局繋がり(交流)が深い。またスサノオはわが国初の和歌を歌った文化人でもある。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を
またスサノオが文化人である証拠は他もある。ヤマタノオロチを退治するのに強い酒を使った。酒の製造法もオロチが酒に弱いのも彼は知識として知っていた。
*クシナダヒメは櫛名田比売、奇稲田姫、稲田媛、眞髪觸奇稲田媛、久志伊奈太美等与麻奴良比売ともいう。
不定期・続く