LapizOpinion《Webメディアの台頭》一之瀬明

【LapizOnline】アメリカの話。 元メディア幹部のフィドラー氏は1980年代に「人々は紙に印刷された新聞を必要としないだろう」と唱えた。「新聞は持ち運びの出来る機器によって配信される。そして人々はそれを「読む」というわけだ。印刷された新聞を買うという行為は、端末に配信されるニュースを読むのと同等だ。勢い印刷工場でインクを使って、いや紙そのものを輪転機にかけ、トラックで運び、町の新聞スタンドで販売すると言うスタイルはすでに遅れている形態だと言わんばかり。一体何人のジャーナリストが路頭に迷うのか。
携帯電話が発達して全ての人々がそれを持ち、偶然か故意かはともかく事件に遭遇すると、携帯電話のスイッチをONにするだけで、写真、動画はもちろん音声まで記録することができる。後は自分のブログなりにアップするだけだ。ジャーナリストはそれらのブログから事件を知り取材に走る。もしくは、ブログの主にアクセスし、インタビューするだけで、一本の記事がモノにできるわけだ。こうした場合、ジャーナリストはどうなるのだろうか。おそらく評論や論評もしくは解説をする役目を担うことになるだろう。

残念ながら新聞もテレビメディアも相次ぐリストラ!

真実より経済重視のジャーナリズムに未来ない。そしてテレビも取材能力が落ち、良質の番組は週ー回程度でしか放映出来ない。事の本質を見極めるよりも、バラエティ番組に走ることになる。いや、それすらももう必要はなくなる。ニュースや意見などの番組は既にインターネットで格安に配信されている。時間にあまり制約されずに、繰り返し配信されているので落ち着いて見ることができる。こうしてみると「莫大な費用をかけた地上波など誰が見るか」となる。ただ食堂や家庭で垂れ流しているだけの放送になってしまったのではないか?
地上波の衰退は見方によっては、自殺行為だった。テレビが出現したころ、評論家の大家壮一氏は「一億総白痴化」と述べた。「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると人間の想像力や思考力を低下させてしまう」という意味合いの言葉である。(この項ウイキペディア)

この現象はこの前の兵庫県知事の選挙で如実に表れた。今後政治や法律がこの「Webメディアの台頭」についてゆけるか。実際それが問題だ。
いや、まず市民が理解できるのだろうか?