とりとめのない話《風と気配と地蔵さんと》中川眞須良 

風呼び地蔵

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昔 西の国からは船で堺の港へ、摂津の国からは旧堺市内を起点に 高野詣の人々は西高野街道を大和明日香の国へは竹内街道もしくは長尾街道をと、古くから人の往来が絶えなかった歴史の街、堺。その中心地から東南へ1キロメートル、緩やかな坂道の終わりの三叉路(現榎元町)が、これら二つの街道への分岐点である。

行先を右手(東南)にとれば西高野街道、左にとれば竹内街道である。その南西角に、「高野山女人堂へ十三里」と彫られた古い道標の直ぐ側に大小七体の地蔵を祀った祠がある。通リに対し横向き(西方向)の祠のため、道行く人は正面から全体は見えないなりに近づいて、2・3歩右へ寄ればすべての姿が確認できる。

道路の拡張 舗装工事などにより三叉路の東向いから今の場所に移されたのを機に、周辺の無名の小さい地蔵と共に合祀され100年近くが過ぎ、以降誰かが人の出世を願い手を合わせたのであろう「出世地蔵」の名があると聞く。全ての地蔵に濃いピンク地に白の模様が入った鮮やかな揃いのよだれかけが新調されたようだ。そのためか地蔵が大変引き立って見える反面、祠が狭く過密にも見える。 訪れたときは残暑とは思えぬ猛暑が続く10月の午後、そして無風、さらに正面(祭壇)には祀られている物すべて空、花なし、緑なし、水受けに水なし、もちろん線香の煙、全てなし。
ただお愛想のように色褪せしたクリーム色の、持ち手のついたプラスチックカップが一つ置かれているだけである。

陽が傾き 少し気温が下がる夕刻からの人々の日常の生活が始まれば「科戸の迷い風」が祠の隙間から入り込み、内の熱気を取り払い、地蔵さんの体温を平熱に戻してくれるだろうし、水受けに水が張られ線香の煙が漂うかもしれない。そうなれば先日縁日で見かけた小さい真っ赤な風ぐるまを、あの古びたカップに立ててやれば 昨日の余り風と共に南西から街道に向けやって来るいつもの風(常風)がくるくると回してくれるかもしれない。

今日、そんな願いを叶えてくれそうな気の利く風がやってくるのであろうか。
「お地蔵さん やぁ―――い!?」

七尊全てのお地蔵さんに訪ねてみたが、返事がない。