Lapiz2024冬号《巻頭言》Lapiz編集長 井上脩身

LapizOnline】今年8月8日、宮崎県沖でマグニチュード7・1の地震が発生、最大震度6弱の揺れを観測したのを機に、気象庁は「南海トラフ地震臨時情報」(巨大地震注意)を発表、1週間にわたる巨大地震に対する注意を呼びかけました。お盆休みにかかっており、海水浴場や夏祭り会場などでは書き入れ時でした。

和歌山の白浜海水浴場が閉鎖される一方で、阿波おどりが予定通り開催されるなど、関係自治体の対応はまちまち。結局、地震は起きませんでした。儲けそこなった業者は文句の持っていく先もなく、黙って耐え忍ぶしかなかったようです。

わたしは、この発表に釈然としない思いをいだきました。臨時情報は、想定震源域やその周辺でマグニチュード6・8以上の地震が起きた際に専門家が召集され、「巨大地震警戒」「巨大地震注意」「調査終了」の3段階で出されます。「巨大地震注意」というのは、1週間以内に地震が発生する確率が、平時が0・1%であるのに対し0・5%に上がる見こみ、として出されるもので、気象庁は「普段より防災意識を高め、同等かそれ以上の地震に注意してほしい」と国民に呼びかけました。
確率が0・1%から0・5%に上昇するのは、地震学的には大変なことだそうです。学問的にはそうかもしれませんが、日々の暮らしのなかで、0・1%と0・5%は何の違いもありません。タイガースの今季の優勝確率が0・1%から0・5%に上がったと野球評論家が予想したとして、「やった」と喜ぶタイガースファンはいるでしょうか。99・9%優勝できない見込みが、99・5%になったところで、つまるところ99%優勝できないのですから。
地震確率についても基本的には同じことでしょう。「99・9%地震が起きない」と「99・5%地震が起きない」の違いは、平たく言えば「ほとんど全く起きない」と「ほとんど起きない」の違いでしかないのです。海水浴場の閉鎖を決めた自治体首長は「海水浴客の命を守るためにはやむを得なかった」といいます。0・5%の発生確率で事業をやめることが正しいならば、公営バスの運行はできず、公的病院は手術ができなくなるでしょう。ところが、お上が「注意」というと、過剰反応をする人は少なくないのです。

冒頭に述べたように、地震は起きませんでした。こうしたことが数回つづくと、「注意」を無視する空気が広がるでしょう。でも、いずれ本当に地震が起きるに違いありません。それはいつなのか。誰もが知りたいのは、本当に「注意」、「警戒」、さらには「避難」しなければならないときなのです。
地震学者の鎌田浩毅・京大名誉教授は注意の発表に、「いよいよ南海トラフ巨大地震の季節が始まった」との感をいだき、「必ず来る南海トラフ地震」と題するコラムを新聞に投稿しました(9月5日、毎日新聞)。以下はコラムの要約です。
8月に起きた地震は、近未来に日本が抱える三つの激甚災害である南海トラフ巨大地震、首都直下地震、富士山や桜島などの活火山噴火への予行演習と読み解くことができる。南海トラフ巨大地震の発生時期は、地盤の上下動の規則性から2035年ごろ、5年の誤差を見込んで2030~2040年に起きると考えられる。東日本大震災と同規模のマグニチュード9・1が想定され、九州から関東までの広い範囲が震度6弱以上の強い揺れに襲われ、震度7となる地域は10県151市町村に及ぶ。犠牲者総数は約23万人、経済的損失は約213兆円と試算され、日本の総人口の半数を超える6800万人が被災する。
国は今後30年以内にマグニチュード8~9クラスの巨大地震が起きる確率を70~80%と発表しています。鎌田さんは「30年以内の地震発生確率といわれてもピンとこない」とし、「人は実社会では納期と納品量で仕事をしている。いつまでに(納期)、何個を用意(納品量)という表現でなければ、人は動けない」と考え、コラムのなかで次の2項目を強調しました。「南海トラフ地震は約10年後に襲ってくる」「災害規模は東日本大震災より10倍大きい」

鎌田さんの予想が当たれば、10年後にこの国に壊滅的な打撃を与える巨大地震が起きます。となれば、政府はその準備のためのタイムスケジュールを国民に示さなければなりません。気象庁の「注意」発表で済ませているときでないのです。今は南海トラフ巨大地震が起きる確率は「ほとんどゼロ」でも、10年後は「まもなく起きる」なのですから。
もし、気象庁が「10年後に襲ってくる」と告げたうえで「注意」を呼びかけたなら、この夏のようなちぐはぐな対応でなく、「自分の身は自分で守る」ための対策を真剣に考える機会になったでしょう。
南海トラフ巨大地震で日本の半数以上が被災することになれば、被災を免れた地域からの素早い救援が求められます。具体策を今から考えておかねばなりません。1923年、関東大震災が起きたとき、大阪府を中心に関西各府県が連合して、横浜市内に仮設の住宅や病院、学校、役場までつくり、「関西村」と呼ばれました。ところが、こうした取り組みが行われたことは、ほとんど知られていません。「10年後の対策」を考えるうえで、関西村についての研究がなされてもいいように思います。
本号では、「編集長が行く」シリーズのなかで「関西村」を取り上げました。