現代時評《ダモイ・トウキョウ》片山通夫

「ダモイ・トウキョウ」表紙(部分)

【 609studio】かつて宇野宗佑という総理大臣がいた。短期の総理だった。宇野宗助という総理よりも外国メディアに「セックススキャンダルが日本の宇野を直撃」(ワシントン・ポスト)などと掲載されると、それが引用される形で日本で話題となった。
この頃から日本のマスコミは「権力に弱いマスコミ力」を発揮していた。この宇野宗佑総理にはあまり知られていない意外な面があった。「ダモイ・トウキョウ」という著作である。この本は宇野宗佑が自身のシベリア抑留の経験をもとに書いたものだ。このコラムの最後に彼の略歴などをリンクしておく。

さてこの「ダモイ・トウキョウ」だが、ロシア語で「東京に(帰る)」と言う意味らしい。宇野は1945年終戦後に朝鮮の収容所に入り、ソ連兵から「ダモイ・トウキョウ」と言われ、ソ連の船で日本に帰れると思っていたが、着いたところがナホトカで2年間の収容生活を送った経験を書いたものだった。

今ロシアはウクライナに侵攻し、ウクライナ国民やロシア自身の国民を消耗させている。戦争中のことであり、ロシアはどの程度の戦死者が出ているかは正確には不明だが、「刑の軽減」を餌に刑務所の囚人部隊を募り、最近は北朝鮮正規軍を何万人も金正恩は参加させたようだ。
宇野宗佑の場合、「東京へ帰れる」と騙してナホトカ行きの船に乗せたようだが、今は「刑の軽減」や「国(金正恩)の命令」で死地に赴かされる事態だ。宇野の場合のシベリア抑留も多くの日本人がかの地で亡くなった。
騙されて赴くのと、刑の軽減など「一種の取引」で行くのとの違いはあっても、残酷なことだ。
前の戦争の場合もそうだったろうが、今のロシアや北朝鮮の場合も戦争を望む一部の人々にとっては「やめられない」のだろうか。それぞれ戦地で戦っている一般兵士はどれほど「ダモイ○○」の命令を待っていることだろう。

※彼が経験したシベリア抑留をテーマにしたもので「ダモイ・トウキョウ」とは《1945年(昭和20年)の終戦後、8月23日にソ連軍により武装解除され、4日後に朝鮮の宣徳収容所に入った。ソ連の船に乗り、10月7日にナホトカに上陸してマラザ収容所に入所。それから宇野は2年間ソ連に抑留された。 1947年(昭和22年)7月28日に収容所から出所、10月15日に帰還船「信洋丸」に乗って帰国して抑留生活を終えた。1948年(昭和23年)11月に自身の抑留体験を綴った『ダモイ・トウキョウ』(ロシア語: Домой Токио, 「故郷・東京に(帰る)」の意)を出版。

※その他参考
https://x.gd/wtuDe