連載コラム・日本の島できごと事典 その152《領海三キロメートル宣言》渡辺幸重

荒れた日の三宝港(secretbase-racingサイトより)

【LapizOnline】島の周辺には好漁場が多くあり、漁船が集まります。しかし、大型船が多い他所から漁に来る漁船に比べて地元の島の漁船は小型船が多いので漁獲高が極端に小さいという状況がしばしば起こります。私が生まれ育った島でも山腹に立つと大海原で操業する島外の大型漁船が見え、資源を奪われるような悔しい思いをしたことがあります。

伊豆諸島が静岡県から東京都に移管されてから百年目を迎えた1978(昭和53)年1月、伊豆諸島・青ヶ島村は「青ヶ島領海3km宣言」を発表しました。前年11月に村議会で満場一致で可決したもので、連絡船の高速化や簡易水道、老人福祉館、役場庁舎、図書館、大千代港の整備など青ヶ島が後進性を脱するためのインフラ整備を要求する中の一つでしたが、特に領海宣言が脚光を呼び、大きく報道されました。

青ヶ島近海は鰹などの好漁場に恵まれていますが、島は二重式カルデラ火山からなり、外周部を高さ50~200mほどの切り立った海食崖に囲まれて入り江もないため漁船を繋留する港が作れず、出漁もできませんでした。危険な岩場の磯釣やカヌーによる漁程度しかできず、八丈島や他府県の漁船が目の前で漁をするのを指をくわえて眺めるだけだったのです。当時の村長は「好漁場に浮ぶ島に住んでいながら魚が食べられないなどという話は実情を知らない人には到底信じられないこと。われわれの島では港湾の整備が大幅に遅れており、魚をとりたくてもとれず、無念な思いをし続けて来ました」と語っています。
一方、島の近海では魚が少くなり、その原因は他地方の漁船が乱獲するからだといわれました。このままでは近海の漁場は消滅するという心配が広がり、島外の大型漁船による乱獲を防ごうと領海宣言をすることになったのです。

この領海宣言には法的根拠がなく、具体的に取り締まる方法はありませんでした。しかし、新聞などで広く報道されたため島の切実な呼びかけが伝わり、漁場の区分をきめる海区調整委で青ヶ島近海での生き餌の禁止が決まり、他県船の数も減りました。宣言の翌年には漁業協同組合が設立され、漁業権の設定ができるようになりました

領海宣言は島の自治権を強化し、地域住民の生活の質を向上させたいという願いの中で発せられました。漁港の整備やヘリコミューター「東京愛らんどシャトル」の就航、インターネットや携帯電話の通信環境改善などが進み、住民や観光客の利便性が向上しました。
ただ、船揚場は崖の上にあるので漁船の揚げ降ろしはクレーンで行っています。また、海が荒れて定期船が欠航することもしばしばで、島民の苦労は今も続いています。

なお、「領海三海里宣言」としている資料も多く見られますが、小林亥一著『青ヶ島島史』(1980年青ヶ島村発行)にははっきりと「3km」と書いてあります。