連載コラム・日本の島できごと事典 その151《大東隆起環礁》渡辺幸重

ダーウインの沈降説(「二階の窓から」サイトより

【LapizOnlin】ダーウィンは環礁(アトール)の形成過程を次のように考えました(「沈降説」)。海底火山の噴火によってできた火山島の周囲にサンゴ礁が形成されると裾礁(きょしょう)となり、それが沈降するとサンゴ礁だけが上に成長して島を環状に囲む堡礁(ほしょう)ができ、元の火山島が海面下に没して周りのサンゴ礁だけが残ると環礁になるのです。その内側は礁湖(ラグーン)と呼ばれます。さらに、その環礁が大きく隆起すれば、周囲を絶壁で囲まれ、中央に礁湖の跡が凹地となって残る島になります。これを「隆起環礁」と呼びます。
南大東島・北大東島は世界でも十数例しかない隆起環礁の例として世界的に有名で、2007(平成19)年に「大東隆起環礁」として「日本の地質百選」に選定されました。

大東諸島は南大東島・北大東島に沖大東島(ラサ島)などを加えた島々で、琉球海溝を越えたフィリピン海プレートの上にあり、大陸や日本列島と一度も繋がったことがない海洋島からなっています。南大東島は沖縄島・那覇の東方約360kmにあり、南大東島からみて北大東島は東北約8km、沖大東島は南方約150kmに位置します。

大東諸島は約4,800万年前に現在のパプアニューギニア近辺で誕生し、約4,200万年前から火山島が沈下しながら北上して頂上部に珊瑚礁が発達して堆積物が重なり、沈下説の通り環礁が発達して約2,500前には現在のような円筒状に屹立する現在の形が海底にできました。約600万年前にプレート運動が北方向から琉球海溝方向に変わったことで環礁が隆起し始め、約100万年前から20万年前にかけての数回にわたる隆起によって現在のような島が形成されたと考えられています。

大東諸島を形成する琉球石灰岩の厚みは数百mから数千mに達します。北大東島では1936(昭和11)年に中央部でボーリング調査が行われ、地下431mまで掘り下げましたが、すべて琉球石灰岩であることが確認され、到達地底は約2,430万年前とされました。島を形成する石灰岩の厚みは1,800mといわれています。
また、島の表層にある琉球石灰岩の年代は、南大東島・北大東島で約120~160万年前、沖大東島で約50~60万年前とされ、それ以降に環礁が隆起したと考えられます。

なお、南大東島・北大東島は隆起環礁ですが、沖大東島は中央部の凹地と周囲の高地との高低差が10m~15m程度で規模が小さく、隆起環礁とは言えません。ただ凹地は礁湖の跡とみられるため礁湖がないサンゴ礁の隆起地形である「隆起卓礁」とも言えず、隆起環礁と隆起卓礁の中間的性質にあたる「隆起準卓礁」に分類されています。

南大東島・北大東島は周囲が元の環礁である10~20mの断崖絶壁からなり、かつての礁湖の跡である島の中央部には池沼・湿地帯をなす広い盆地(凹地)があります。地元では周囲の急な崖を幕(はぐ)、台地状の周縁部を幕上(はぐえ)、中央部の凹地を幕下(はぐした)と呼んでいます。
盆地や台地には各種のカルスト地形が発達し、多数のドリーネ(擂鉢状の溶食凹地)やウバーレ(連結した複数のドリーネ)、鍾乳洞、石灰岩堤などがみられます。盆地には点在する池沼には雨水をたたえたドリーネ湖やウバーレ湖からなるカルスト湖沼群があり、世界的にも貴重な地形地質として知られています。

大東諸島は今でも北西方向に年間約5~7cmずつ移動しています。