連載コラム・日本の島できごと事典 その149《裸の島》渡辺幸重

裸の島』の1シーン(「普通人の映画体験―虚心な出会い」サイトより)

【LapizOnline】--モノクロ画面には単調なメロディーが物憂げに流れている。風景は乾いた小島の畑。その中を、重い水桶2つをしなった天秤棒に下げた夫婦が天まで耕された急斜面の畑を登る。そして野菜に水を与える。ただただその作業が繰り返される画面が続いた。

映画『裸の島』(1960年、新藤兼人監督)にはセリフが一切なく、夫婦がただ黙々と働く光景が延々と続きます。瀬戸内海の孤島で暮らす家族の生活を描いたこの作品は1961年モスクワ映画祭でグランプリを受賞、世界60か国以上で上映されました。そのロケ地は瀬戸内海に浮かぶ面積0.0142平方キロの宿祢島(すくねじま:広島県三原市)です。

この島には殿山泰司と乙羽信子が演ずる夫婦と男の子2人の家族が住み、急斜面の土地を耕し、ヤギやアヒルを飼い、自給自足の生活をしています。水がないため夫婦は小舟を漕いで隣島から水を運びます。朝早くから水を汲みに舟を出し、島と島とを何度も往復しながら畑に水を撒くのです。子どもたちは家畜の世話をしながら隣の島の小学校に舟で通います。
映画には単調な生活の繰り返しだけでなく、隣の島で食堂に入り、子供服を買うなどの楽しみの場面も挿入されています。また、長男が病気になり、医者が間に合わずに亡くなったことやその葬式の様子も描かれています。

この映画には小島嶼の悲哀や喜びがすべて入っています。島の環海性・狭小性・孤立性・生産性などから生じる貧困問題や教育問題、医療問題などです。それを声高に訴えるのではなく、ただ日常の生活を静かに映し出す実験的な表現方法は人々の心に響きました。しかし、最初はまったく反響はなく、話題になったのはモスクワ映画祭グランプリ受賞からだったそうです。ある批評を読んだら「島の1年を通して、自然の厳しさ、家族の在り方、死生観にまで迫る内容」とありました。

私が何とも言えない感情にさせられたワンシーンがあります。長男の葬式のあと日常の水運びに戻った妻が突然、大事な水が入った桶をひっくり返し、育ち始めた作物を引き抜き、畑に突っ伏して号泣しました。そのあとまた、日常の水やりに戻るのですが、号泣場面は私の体を“離島苦”という言葉が突き刺した瞬間でした。

撮影は1960(昭和35)年の正月・春・夏に計60日間かけて行われました。撮影拠点は宿祢島の南南西約0.8kmにある佐木島です。撮影には佐木島の人たちの積極的な協力があり、子ども2人を含め、殿山・乙羽以外の出演者はすべて島の住人でした。

宿祢島は1951(同26)年に「新藤兼人監督と映画「裸の島」を愛する会」が買い取り翌年、三原市に寄贈しました。2012(平成24)年5月には米アカデミー賞俳優のベニチオ・デル・トロがこの島を訪れています。宿祢島の島頂には「裸の島」の碑が、佐木島には記念碑があり、ロケ地周りツアーも行われているようです。

乙羽や新藤監督の『裸の島』に対する思いは深く、二人とも亡くなったあと遺骨の一部が宿祢島の近くの海に散骨されました。