昔見た風景《浅沼委員長暗殺》片山通夫

浅沼暗殺の抗議デモ

【LapizOnline】1960年10月12日、日本社会党の委員長だった浅沼稲次郎氏が、演説中に右翼の少年に左胸を刺されて死亡した。国民に衝撃が走り、抗議のデモは日本全国に広がった。ただこの風景は「日常」とはいいがたいかもしれない。

とりとめのない話《風と気配と地蔵さんと》中川眞須良 

その3  風向き地蔵(鵲地蔵)

かささぎ地蔵

【LapizOnline】気になる地蔵尊の一つである。世界遺産・仁徳天皇陵外周道路の西南角に西を向いて一体でひっそりと祀られているが、10年以上前にはこの場になかったお地蔵さんだ。 “とりとめのない話《風と気配と地蔵さんと》中川眞須良 ” の続きを読む

連載コラム・日本の島できごと事典 その147《収容所生活》渡辺幸重

収容所生活/生活風景(食事)(那覇市歴史博物館提供)

沖縄戦で米軍に占領された地域には捕虜や民間人の収容所があり、1945(昭和20)年の9月から10月頃には12か所の収容所で約30万人の民間人が米軍の管理の下に生活していたそうです。沖縄で米軍が最初に上陸した慶良間(けらま)列島では、米軍は座間味に司令部を設置するとともに座間味島や慶留間島(げるまじま)に収容地区を設けて住民を管理下に置きました。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その147《収容所生活》渡辺幸重” の続きを読む

現代時評《地震、雷、火事、おやじ》片山通夫

鯰に御札を貼る要石-出典:国立国会図書館デジタルコレクション

【609studio】かなり古いことわざだとは思っていた。「地震」は恐ろしいのは確かに一番だと言える。江戸時代から色んな地震に名前が付けられていた。国会図書館には「地震年表(江戸期:1605年~1868年)」と言うのが残っている。
そしてたいていが大暴れするナマズが描かれていて地震が起こる。科学的根拠はない。地震の規模は、マグニチュード(M)7.0~7.1 と推定されているがこれも定かではない。ナマズが「迷惑だ」と怒っているかもしれない。 “現代時評《地震、雷、火事、おやじ》片山通夫” の続きを読む

Opinion《原爆を作る人々よ!》山梨良平

先月のことだ。ナガサキに落とされた原爆で犠牲になった人々を悼み、今後の平和をのぞむ式典が長崎平和公園で行われたことは記憶に新しい。

 

 

原爆を作る人々よ!
しばし手を休め 眼をとじ給え
昭和二十年八月九日!
あなた方が作った 原爆で
幾万の尊い生命が奪われ
家 財産が一瞬にして無に帰し
平和な家庭が破壊しつくされたのだ
残された者は
無から起ち上がらねばならぬ
血みどろな生活への苦しい道と
明日をも知れぬ”原子病″の不安と
そして肉親を失った無限の悲しみが
いついつまでも尾をひいて行く
これは23歳で被爆し、原爆症と闘いながらも原爆の悲惨さを訴えた長崎の詩人・福田須磨子さんが綴った詩です。 (長崎市長・平和宣言から引用) “Opinion《原爆を作る人々よ!》山梨良平” の続きを読む

連載コラム・日本の島できごと事典 その146《大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判》渡辺幸重

大江健三郎著『沖縄ノート』

【LapizOnline】第二次世界大戦中の沖縄戦を説明するときよく使われる「集団自決」という言葉は戦後発行された『沖縄戦記 鉄の暴風』(沖縄タイムス社 編著)で太田良博が初めて使った言葉だそうです。戦争中に使われていた「玉砕」「自決」「自爆」などの言葉を言い換えたものですが、「自決」とは軍人用語であり、事件は住民の自発的行為ではなかったということから「強制集団死」という言葉が多く使われるようになりました。ただし、今回は「集団自決」という言葉を使った事件を扱うのでそのまま使うことにします。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その146《大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判》渡辺幸重” の続きを読む

徒然の章《夏空》中務敦行

【LapizOnline】23,24年の空です。
恐ろしい空や雲、色のが溢れた夏でした。
見えないところで、竜巻や夕立が降ったことでしょう。
もうしぬかと思いました。
毎日欠かさず続けた1万歩も、7月のなかばからは7かけに。9月に入って1万歩になりましたが、7,8月には近くのイオンモールの冷房をの中で歩いたり、休みながらの散歩を。
また、大阪に行き地下街をグルグル歩いて1万歩を目ざしました。
6月に10個目のガンの手術を受けても、退院後一週間で1万歩を歩きましたが・・・
この夏の暑さには完敗でした。本当は乾杯!したかった。

とりとめのない話《峠越え「出屋敷峠」》中川眞須良

奈良県五條市の中心 R24号線 「本陣」の交差点を南へとれば通称十津川街道(R168)を地元の人は五新線と呼んでいる。賀名生梅林(あのうばいりん・左の写真)を右手に見、城戸の信号を過ぎたあたりから少し上り勾配がきつくなってくる。紀伊半島の大分水嶺(だいぶんすいれい)天辻峠(てんつじとうげ)の真下を貫く地上650m新天辻トンネルの入口が見えてくるのも間もなくだろう。少し雲が増え風切音が大きくなったが今日の天気予報に雨はないが過去に「峠の長いトンネルをでると土砂降り」の経験は数多い。 “とりとめのない話《峠越え「出屋敷峠」》中川眞須良” の続きを読む

編集長が行く《特攻のまち、知覧 02》 文・写真 井上脩身

鳥濱トメしのぶ知覧茶屋

 トメの味をしのぶ知覧茶屋

【LapizOnline】知覧をたずねた。特攻隊についての遺品や資料の大半は知覧特攻平和会館で保管、展示されている。
同会館の玄関を入ると、まず目に入るのが一式戦闘機「隼」の機体だ。私は戦争が目的(当然のことだが)である戦闘機を見るのは好きでない。しかし卓庚鉉が特攻出撃のため搭乗したのは隼だ。目をこらした。機体の銅には大きく日の丸がえがかれている。操縦席は地上から2・5メートルくらいの高さにある。もし女学生が出撃を見送りに来ていたら、その中にトメの娘がいないか、目を走らせたであろう。操縦かんをにぎったとき、アリランを口ずさんだだろうか。わたしはグレーの機体を見ながら、卓庚鉉に思いをめぐらしたのであった。 “編集長が行く《特攻のまち、知覧 02》 文・写真 井上脩身” の続きを読む